仮想化で「保険としてのバックアップサイト」も戦力化する大阪ガス:ディザスタリカバリ導入事例:遠隔地間レプリケーション
災害対策にコストは付きものだが、ソリューションの選択次第で大幅なコスト削減が可能だ。余剰リソースと見られがちな待機中のバックアップサイトも、サーバの仮想化技術で別用途に転用できる。
災害対策のきっかけは阪神・淡路大震災
災害対策導入のきっかけにはさまざまなものがある。ハードウェア構成の大幅な見直しやシステム移行時などがその例だ。当然ながら少なからずコストが発生するが、バックアップサイトを用意するとなるとその額は莫大だ。
災害対策はいわば保険のようなもので、何らかの事故や災害が発生しない限りその効果は実感できない。それだけに、導入費用の捻出をしぶる経営層も少なくない。
大阪ガスが災害対策を施すきっかけになったのは、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災だった。大きな震災を目の当たりにし、災害対策の必要性を強く認識したのだ。そのため、全社的な災害対策への取り組みが速やかに決まったという。
「災害対策に必要な予算が幾らかということよりも、災害対策は絶対に必要だという判断が先にありました」と、大阪ガス 情報通信部の松本光司氏は語る。
幸いなことに、大阪ガスのデータセンターは大阪市に置かれていたため、震災による被害はそれほど大きなものではなかった。もちろん、被災地域にあった支社ではコンピュータ端末が利用できなくなるなどのトラブルはあったが、それらは代替品を用意することですぐに復旧できたという。
「当時は、現在ほどITシステムに依存した業務は行っていませんでした。そのため、大きなITシステムのトラブルもなく、ガス供給の復旧作業に支障はありませんでした」(松本氏)
とはいえ、ガス供給事業という観点でITシステムは欠かせなかった。例えば、課金に必要な顧客情報などはITシステムで管理されていた。そのような経緯から、災害対策として最低限保守すべき情報を日常的にバックアップする仕組みが導入されることになった。
バックアップのために大阪、京都間を車で移動
震災から2年後の1997年、大阪ガスは大阪市から40キロほど離れた京都市にバックアップサイトを置いた。災害対策という性格上、震災などの同一原因による被害を避けるためだ。その点では、より離れた地域も候補地として浮上したが、災害発生後にバックアップサイトへ出向く必要性を考え合せると、支社のある京都市が現実的な選択だったようだ。事実、京都市は阪神・淡路大震災による被害は受けていない。
当時、社会インフラであるインターネット回線が十分に整備されていなかったため、ネットワークを経由したバックアップは難しかった。そのため、人手によるバックアップテープの運搬が日次で行われていた。システムインテグレーションを引き受けたオージス総研の北村裕司氏は、「多いときには100本余りのテープを車で運んでいました」と打ち明ける。
「当時のテープは容量が小さく、膨大な数のテープを必要としていました。大阪から京都まで、バックアップテープを車で運び終わるのが朝の10時ころ。前日のデータをすべてロードし終えると、13時から14時というのが日常でした」(北村氏)
大阪ガスは、何らかの災害によるITシステムの停止から復旧までの目安時間を24時間以内と定めている。金融機関ではほぼリアルタイムな復旧と絶え間ない継続性が求められているが、ガスの供給事業においては課金などの一部の業務を除き、ITシステムの停止が消費者へのサービスに直接影響することはない。そのため、長時間にわたる車によるバックアップテープの運搬も問題はなかった。
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