銚子丸では「すし職人技」が伝授可能に ClipLine、現場向けAIエージェント開発:「長期間の修行」はもはや限界
人手不足や働き方改革を背景に、現場でのスキル継承が課題となる中、ClipLineはサービス業の暗黙知を形式知化する「ABILI Clip」にAI機能を追加した。実証実験には銚子丸などの企業が参加した。
日本では中長期的な就労人口の減少傾向や若者世代の労働観の変化などもあって、人材確保に苦労する企業が増えている。ITを活用した省力化や自動化もさまざまな形で導入が進んでいるが、接客などでは人がサービスを提供することが価値に直結する面もあるため、機械化や自動化にも限度がある。同時に、働き方改革が進行したこともあって人材の流動性は高まっているため、短期間で必要な業務スキルを身に付けてもらうことの重要性はこれまで以上に高まっていると言えるだろう。
「『できる』をふやす」をミッションに掲げるClipLineは、主に多店舗展開するサービス業を対象に、特有の構造課題をテクノロジーとプロフェッショナル支援で解決するソリューションを手掛ける。同社が開発した「ABILI Clip」は多拠点ビジネスに特化した動画プラットフォームで、クリップと呼ばれる動画マニュアルによって暗黙知を形式知化し、自律的な学習を促進する。
現場の暗黙知を共有 「ABILI Clip」の狙いとは
ClipLineの高橋勇人氏(代表取締役社長)はABILI Clipを「故・野中 郁次郎氏が提唱した『SECIモデル』をデジタル化したもの」と表現する。SECIモデルは一橋大学大学院教授の野中 郁次郎氏らが提唱したナレッジマネジメントにおける基礎理論として知られるもので、個々人が経験や勘に基づいて習得した、言語化や数値化が難しい知識である暗黙知を組織全体で共有・活用し、さらに新たな知識を創造するプロセスとして体系化したものだ。高橋氏は「動画だと、言葉にはしにくい現場での工夫などをそのまま伝えることができる」と語る。
ClipLineが今回発表した「ABILI AI」は、「サービス業の現場にAIを」というスローガンを掲げてリリースされるもの。2025年9月に現場スタッフ向けの「ABILI Pal」(アビリ パル)と、店長やマネジャー向けの「ABILI Buddy」(アビリ バディ)の2種類のAIエージェントがリリースされる予定となっている。
すし銚子丸など5社が実証実験
リリースに先立ち、2025年6月1日から約1カ月間、5社による実証実験が実施された。参加企業は回転ずしチェーン「すし銚子丸」を展開する銚子丸、賃貸住宅情報サービス「いい部屋ネット」を運営する大東建託リーシング、有料老人ホーム「SOMPOケア ラヴィーレ」を手掛けるSOMPOケア、ファミリーレストラン「デニーズ」を展開するセブン&アイ・フードシステムズ、「やきとりの扇屋」を運営するヴィア・ホールディングスだ。
この実証実験では、現場スタッフ向けの「ABILI Pal」に関しては85%が「分かりやすい」、88%が「今後も使いたい」と回答。店長・マネジャー向けの「ABILI Buddy」については、過半数が「今後も使いたい」と評価したという。
銚子丸で新しい働き方の導入や福利厚生の充実、DX(デジタルトランスフォーメーション)推進、海外プロジェクトの推進などに取り組む堀地 元氏(専務取締役)は、同社におけるABILI ClipやABILI AIの活用状況について紹介した。すし銚子丸は関東を中心に約90店舗を展開する回転ずしチェーンだ。堀地氏は「豊洲市場や各地の漁場から店舗へ直送された魚をさばき、お客さまの目の前で職人がすしを握る『技術力と人材力』、また、回転ずしの中でも劇場型エンターテイメント性を持つ『ライブ型ビジネスモデル』、さらには、全ての従業員が理念・真心を売る『銚子丸プライド』を持つ組織集団であること」を強みとすると説明。競合チェーンでは切り身の状態で各店舗に配送し、ロボットが握ることで省力化を図っている例もあるが、すし銚子丸では各店舗に丸のままの魚が送られ、各店舗で職人がさばいているという。
堀地氏は昨今の人材不足に関して「店舗が完成しても人を集められないせいで開店できないといった状況もあるほどだ」と語る。現在ではすし職人を目指して長期間に渡って修行を積むという人は減る一方、全く畑違いの異業種から転職してくる人も多いといい、そうした人が迅速に技術を身に付ける上でABILI Clipなどのサービスが役立っているという。
「聞きづらさ」をなくす仕組み
「忙しい現場で何か分からないことがあっても聞きづらい」といった課題も、それぞれがクリップを参照する形であれば抵抗感が大幅に減る。ABILI AIではクリップ内で語られている作業説明などをAIで書き起こして学習させることで暗黙知を形式知化し、さらにAIエージェントによる対話型インタフェースを活用し、働く人が何か疑問を持ったときにその場で解決できるというものになっている。すし銚子丸では、現場で働いている人がそれぞれ所有するスマートフォンなどを利用して随時クリップの参照ができる形にしているという。昔ながらの職人仕事で、長期間の修行期間中「見て憶える」「盗んで身に付ける」といったやり方の代表格のように言われるすし職人の育成も、最新のテクノロジーを活用することで効率化されている点が興味深いところだ。
ABILI AIは9月に正式リリースの予定だが、実証実験に参加した企業の多くが継続利用意向だという。これを踏まえて同社では「2026年8月までに50社の導入を目指す」としている。なお、AI利用者の懸念として「AIが返す回答が本当に正しいものなのか」という点がよく指摘されるが、ABILI AIでは回答の妥当性の検証を重視しているという。ABILI AIは、各社がそれぞれ作成したクリップの内容を学習させた各社毎に最適化されたAIモデルとして作成、提供されるが、モデルが返す回答が妥当な内容なのかどうかの検証は1〜2カ月掛けて入念に実施し、さらに導入企業による確認も経た上で実際に展開されるとのことだ。
「世の中に数々のマニュアルがあるが、マニュアルだけで現場が動くかといえば全くそんなことはない。ほとんどはマニュアル以外のOJTとか先輩からの注意とか教育とかによって現場が動いている」。高橋氏はそう指摘する。さらに、こうした形の教育や学習は属人的になりがちで、例えば店舗によってはどうにも聞きづらい人ばかりだとか、逆に教え上手な人がいるといった違いがあることでサービス品質が極端にばらついてしまうことも起こりがちだ。テクノロジーの活用によってこうした現場の課題が解決されることは、人材不足に悩む企業だけでなく、働く人の労働環境改善にも大きく貢献するものと期待される。
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