薄いPC vs. 厚いPC──ローカルLLM時代のビジネスPC選びは?:PCの役割が変わる
クラウド時代に広がった“薄いPCで十分”という常識が、ローカルLLMの台頭で揺らぎ始めている。企業ITの現場で問われる端末性能とは。
企業のクライアントPCは、この十数年で大きく軽量化してきた。アプリケーションの多くがSaaS化し、文書作成や表計算といった定番作業はWebブラウザさえあれば完結する。VDIやDaaSが浸透した企業では、PCそのものを「画面を映すための装置」と捉える向きが強まり、調達現場でも“薄いPCで十分”という発想が広く共有されてきた。本稿では、TechTargetジャパンやComputer Weeklyの記事からAI活用時代のクライアントPC選びを考える。
PCそのものがAI処理の主戦場になるか
“薄いPC”の流れを後押ししたのが、クラウド中心のIT環境である。Computer Weeklyは「PCは業務システムやクラウドサービスへアクセスするための端末にすぎない」という見方を取り上げ、PCスペックが企業ITの中心でなくなった実態を描いている(出典:Do we need another PC?)。管理のしやすさや調達コストの見通し、故障時のリカバリーの容易さを考えれば、情シスが薄いPCを標準化する判断は自然であった。
さらに、PC寿命を延ばし、電子廃棄物を減らそうとする“サステナビリティー”の観点も、同じ方向に作用した。Computer Weeklyは企業がPCの買い替え頻度を抑え、長期利用を前提とする取り組みを紹介しており、こうした考え方は情シスの現場にとっても合理的に映る(出典:Making end-user computing more sustainable)。
クラウドが主役になった時代において、PCは軽く、安く、均一であるほど望ましい。企業の多くがその方針に乗ってきたのは、決して偶然ではない。
ところが、生成AIの本格利用が始まったことで、この均衡は揺らいでいる。これまで「AIはクラウドで動かすもの」と考えられてきたが、ローカルで実行できるLLMが増えたことで、PCそのものがAI処理の主戦場になり始めているのである。なかでもOpenAIの「gpt-oss」のようなローカルで動作するオープンなLLMの登場は大きい。企業が自社環境で検証しやすくなり、AI処理をクラウドに依存しない選択肢が急速に現実味を帯びた。
ネットワークの影響をほぼ受けず、クラウド送信の制約を気にせずに作業できるメリットは、利用者にとって決して小さくない。特に数百ページの取扱説明書や技術文書を扱う現場では、ローカルでRAGを動かした方が作業テンポが途切れないという声もある。
Computer Weeklyは2024年の注目トピックとして「オンデバイスAIの普及」を挙げ、スマートフォンだけでなく企業向けPCでも“PC側でAIを動かす”流れが強まっていると分析する(出典:Top 10 end user computing stories of 2024)。
AIを使う前提が変われば、求められるPCの役割も変わる。こうして“厚いPCへの回帰”を求める声が利用部門の中で急速に増えてきていると考えられる。
もっとも、情シスは従来どおり薄いPCを選びたいと考える。管理対象が増えるほど統制が難しくなるという、長年の経験に裏打ちされた感覚があるからだ。PCの性能差が大きくなれば、問い合わせ対応も複雑化し、保守体制にも負担がかかる。薄いPCは“例外がない状態”を保ちやすく、運用上の安全策として選ばれ続けてきた。
だが、利用部門が求めるものは異なる。開発者はコード補助とログ解析、法務は契約書の要約、営業は提案書の下書き作成といった用途で、PC性能が作業効率に直結するようになった。これまでクラウドで処理していたAIの仕事が、自分の手元で高速に動くと分かれば、「今のPCでは遅い」と感じるのは自然である。クラウドの待ち時間やAPI制限に左右されるより、PCで完結させた方が落ち着いて作業できるというリアルな実感が、現場から情シスへと伝わり始めている。
こうした双方の主張がぶつかり、PC調達の議論は複雑になっていく。情シスは全社最適を求め、利用者は個別最適を求める。どちらが正しいわけでもなく、評価軸がそもそも重ならないため、対立は避けにくい。PC調達が数年単位で企業全体に影響を及ぼすことを考えると、簡単に折り合いがつかなくなる理由も理解しやすい。
その結果、企業では“二極化”という現実的な落としどころを探る動きがある。全社的には薄いPCを維持しつつ、AIを積極的に活用する部署には厚いPCを限定的に配備する方法だ。利用度の高い職種だけに高性能モデルを割り当てれば、情シスの管理負担を抑えながら部門の生産性も確保できる。
GPUサーバを社内に置き、薄いPCからローカルLLMのAPIを呼び出す構成を取る企業も増える可能性がある。クラウドほどの制約がなく、PCほどの負荷もない、中間的なアプローチとも言える。
PCは、かつて“クラウドへ接続するための装置”としてその存在感を薄めてきた。しかし、生成AIの定着によって状況は変わり始めている。PC側に処理を戻す動きは、単なる回帰ではない。クラウドとローカルのバランスを改めて見直し、業務に適したコンピューティングの配置を探る動きである。
今後、PCの議論は“薄いか厚いか”という二択から、業務内容に応じて最適な性能を割り当てるという段階に進むだろう。クラウド中心の運用で十分な領域はそのまま薄いPCで統一し、AIによって作業効率が大きく変わる領域には厚いPCを投入する。企業ITの現場では、PCの役割が静かに書き換わり始めている。
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