人の注意力に依存する体制からの卒業
”人はミスをする生き物” 情報漏えいを防ぐセキュリティ教育以外の方法はこれだ
情報セキュリティ教育を継続しているにもかかわらず、メール誤送信や情報漏えいなどのインシデントは後を絶たない。「人はミスをする前提」での対策にはどのようなものがあるのか。
従業員発の情報漏えいはどうか避けたい――、このような思いで戦々恐々としている企業も少なくないはずです。一定規模以上の企業であれば、標的型メール訓練やeラーニング、情報セキュリティ研修など、さまざまな教育活動を継続的に実施することで、そのような事態を防ごうと努めています。
一方で、メール誤送信や情報漏えい、不審メールの開封といったインシデントは今も発生し続けています。この状況は、「教育を実施すること」が必ずしも「事故を防ぐこと」に直結していないという、運用構造の限界を示しているのではないでしょうか。
本稿では、セキュリティ教育の役割を再確認しながら、「なぜ教育だけでは事故を防ぎ切れないのか」、そして「今後実施すべき対策」を整理します。
セキュリティ教育を続けても事故はなくならない理由
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職場のセキュリティインシデントを防ぐには
情報セキュリティ教育を取り入れる企業は増加傾向にありますが、それに比例してインシデントが減少しているわけではありません。
これは教育が無意味だからではなく、事故の発生要因には「知識不足」だけでなく、「人間の認知的な限界」や「業務環境の問題」が深く関係しているためです。
現在、一般的な企業(特に中堅・大企業)では、以下のような教育施策がすでに一定の水準で定着しています。
- 標的型メール訓練
- eラーニングによる受講管理と理解度テスト
- 新入社員向け情報セキュリティ研修
- 全社向け注意喚起メール
- 情報セキュリティポリシーの周知
このように「教育の機会そのもの」は充実している一方、日々の業務の中では、メールの宛先間違い、添付ファイルの誤送信、不審なURLのクリックといった人為的ミスによるインシデントが後を絶ちません。
データにもその傾向が表れています。2025年9月にデジタルアーツが公表した調査結果によると、2025年上半期の国内セキュリティインシデント総数は集計開始以来過去最多の1027件を記録し、前年同期比で約1.8倍に急増しました。2025年1月に東京商工リサーチが公開した調査結果によると、2024年の上場企業における個人情報漏えい事故は過去最多の189件に上り、そのうちメール誤送信や設定ミスなどの「人為的ミス」に起因する事故は41件(全体の21.6%)発生していました。
重要なのは、こうした事故を起こした従業員が、必ずしも教育を受けていなかった訳ではないという点です。知識として「誤送信に注意すべきだ」と理解していても、繁忙期に多数の業務を同時に処理する環境下では、うっかりとした確認漏れは容易に発生します。これは従業員の意識の低さではなく、人間が誰しも持っている認知的限界(注意力の揺らぎ)が原因なのです。
「従業員の意識不足」だけでは説明できない
インシデントが発生すると、組織内では「もっと教育が必要だ」「意識を徹底させるべきだ」という議論が自然と起こりがちです。しかし、本当に「教育の強化」だけで事故は防げるのでしょうか。
「教育強化」というサイクルの落とし穴
事故発生後の再発防止策としては、eラーニングの追加実施、理解度テストの強化、注意喚起メールの配信、研修頻度の増加といった施策に注目が集まります。これらが選ばれる理由は明確です。比較的短期間で実施できる上、「受講率100%」「研修実施回数○回」といった形で成果を数値化(KPI化)しやすく、経営層や監査へ説明がしやすいためです。
しかしここには、「全員が受講した」という事実が達成目標になってしまい、「事故を減らせたか」という本来の目的が見えにくくなるという落とし穴があります。
2026年1月、イー・コミュニケーションズが公開した大企業のコンプライアンス教育に関する調査では、担当者の31.4%が「毎年同じ内容の繰り返し」「教育内容が従業員に定着しない」「教育効果の測定・評価が難しい」といった課題を挙げています。教育は必要ですが、「事故が起きたら一律に教育を増やす」という対応だけを繰り返していても、根本的な解決にはつながりません。
生成AIによって“見抜くこと”自体が難しくなっている
さらに、生成AIの普及によって状況は変わりました。現在では自然な日本語で書かれたBEC(ビジネスメール詐欺)が容易に作成できるようになっています。偽のWebサイトのデザインや企業ロゴの再現精度も高まっており、見た目だけで真偽を判断することは難しくなっています。つまり、教育を通じて従業員が悪意のある情報を見抜くこと自体の難易度は上がっているのです。
「人はミスをする前提」のシステム設計へ
現在の脅威環境を踏まえれば、今企業が取り組むべきは、教育だけに依存するのではなく「人はミスをする」という前提でシステムや運用を設計することです。
近年のゼロトラストや最小権限設計、多層防御といったセキュリティの潮流を支えているのは、「人を含む、あらゆる要素を完全には信用しない(=ミスは起きる)」という思想です。これは従業員を信頼しないという意味ではなく、人間の限界を正直に受け入れた上で、「仮に誤操作や判断ミスが起きたとしても、それが重大な被害に直結しない構造を作る」という考え方です。
この前提に立ち、うっかりミスが発生しても被害を最小化する「安全装置」として、実務上は以下のような技術的対策の導入が進められています。
- 誤送信・情報持ち出しへの対策
- 添付ファイルの自動暗号化(誤送信時の情報漏えい実害を抑制)
- データ損失防止(DLP)ルールによる機密情報の送信検知・ブロック
- 最小権限の原則に基づくアクセス制御、外部送信制御、エンドポイントセキュリティ
- パスワードを奪われたなど、判断を誤った後の対策
- MFA(多要素認証)の利用
- 異常ログイン検知や振る舞い分析
- 管理端末以外からのアクセス制限
教育で防げる領域と構造で防ぐ領域を分ける
これからの時代、セキュリティ教育の目的は、従来の「事故を完全に防ぐこと」から「異常に気付き、報告し、適切に行動できる状態を維持すること」へと変化しつつあります。
「機密情報の取り扱いルールの理解」「報告文化の定着」「内部不正防止の倫理教育」など、人間の判断やカルチャーに依存する部分は、今後も教育が担うべき重要な領域です。一方で、「誤送信の防止・検知」「権限管理」「認証情報の保護」などは、一貫して動作するシステムや構造の設計で担保すべき領域です。
情報システム部門の担当者や経営層は、今こそこの「役割分担」を見直す段階に来ています。自社の業務フローの中で、「人間の注意力や確認だけが最後の砦(防衛線)になっていないか」を洗い出し、優先順位を付けて技術的な統制を導入していく地道な棚卸しこそが、次の一手の出発点になります。
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