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「100万時間の余力を創出」 米会計大手が明かす実践的なAI導入の勘所迅速に導入せよ、ただしAIの価値を過大評価するな

米大手会計事務所BDOが、独自の生成AIプラットフォーム「Chat BDO」を本番稼働させるまでの軌跡を詳解。100万時間の削減という成果の裏には、データのサイロ化解消やROI過大評価の克服など、多くの情シスが直面する課題への処方せんがあった。

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 生成AIがビジネスの在り方を再定義する中、経営陣は難しいバランス感覚を求められている。イノベーションを活用し、AI導入を収益化する一方で、企業リスクを管理しなければならない。AIを業務プロセスに統合しようとする組織は、コンプライアンスを損なわず、リスクを招かずにビジネス価値を引き出す必要がある。金融サービスのように規制の厳しい業界では、その重要性は特に高い。

 BDO USAは、独立した税務・監査・アドバイザリー企業のグローバルネットワークを持つ英国企業、BDO Internationalのメンバー企業だ。全米70カ所に拠点を持ち、さまざまな業界向けにアシュアランス、税務、アドバイザリーサービスを提供している。同社は、税務や監査の専門家がルーティンワークを自動化し、より価値の高いアドバイザリーサービスに集中できるよう、セキュアな生成AIプラットフォームを構築した。

 BDOのような大手会計事務所は、AIに数十億ドルを投資している。アドバイザリーサービス向けにクライアントの状況をシミュレーションできる特定の「ペルソナ」を備えた仮想アシスタントを開発するためだ。ワークフローにAIを組み込むことで、従業員は実際のクライアントデータを使わずに、税務戦略や財務報告ツール、コンプライアンス手順、アドバイザリーの推奨事項をテストできる。実際のデータにツールを適用することも可能だが、AIモデルはそのデータで学習されないため、情報の機密性は保持される。

 以下では、同社の事例から、セキュリティと生産性を両立させる実践的なAI導入の勘所を明かす。

「BDOを知り尽くした」独自のチャットbot

 BDOでは、Microsoftと共同開発した「Chat BDO」という独自の仮想アシスタントに生成AIを活用している。これは特定のタスク向けに設計された「AIペルソナ」の作成にも使われ、従業員は各分野の専門家としてAIと対話できる。BDOは、セキュアなAzure環境で動作するOpenAIのGPTモデルを使用して同ツールを構築した。現在は、特定のビジネス課題をサポートするプラットフォームへと進化している。

 企業がGPTモデルを導入する手段は、Azure OpenAI、AWS、Google Cloud、直接APIを使用、オープンソース、あるいはオンプレミスのGPUなど多岐にわたる。Microsoftは2025年末までにOpenAIに130億ドルを投資し、一方でOpenAIはAzureのインフラと推論に124.3億ドルを費やした。2025年第3四半期時点で、Coca-ColaやWalmartといったフォーチュン500企業を含む世界で約23万の組織がAzure OpenAI Serviceを利用している。

 機械学習を会計ツールに活用しようとする動きは10年以上前から行われてきたが、生成AIの大規模言語モデル(LLM)は、タスクの自動化や知識検索の可能性を急速に拡大した。会計事務所は規制が厳しく、財務諸表の作成時には一般に認められた会計原則(GAAP)や国際財務報告基準(IFRS)などの枠組みに従う必要がある。そのため、AIシステムは監査人が適用するパターンや規則を学習しやすい性質がある。

 また、会計事務所は請求書や契約書、領収書、納税申告書など膨大な文書を扱う。生成AIと文書処理モデルを組み合わせれば、構造化データの抽出や要約、契約書の比較、異常値の特定が可能になる。規制の調査が必要な際も、AIアシスタントが税法や監査基準、会計ガイドラインを即座に要約してくれる。

 BDOは他社と同様に、複数のAI機能を統合したシステムを構築中だ。これにはインテリジェントな文書処理や、税法などの内部知識ベースに基づく検索拡張生成(RAG)、異常検知モデル、そして技術的な質問に答えたり報告書を起案したりする内部向けAIアシスタントが含まれる。

 BDO USAで最高データ・AI責任者として研究とAI開発を統括するマイク・ゲルハルト氏は、ガバナンスやプラットフォームの整備、社内への定着化プログラムを含むAI戦略に責任を持つ。「私たちの目標は、全社でAIを利用可能にすることだ。それによって意思決定を改善し、業務を高速化し、成果を向上させたい」とゲルハルト氏は語る。

迅速に導入せよ、ただしAIの価値を過大評価するな

 BDOが独自の生成AIツールの構築を開始したのは、OpenAIがChatGPTを公開した数カ月後の2023年初頭だった。2025年5月には、向こう5年間で世界的に10億ドル以上をAIに投資する計画を発表した。その時点で既に、複数のパイロット運用に加え、責任あるAIのガバナンスフレームワークや、従業員向けのAIリテラシー教育を実施していた。

 プロトタイプ作成の下地は整っていた。ゲルハルト氏のチームは、以前取り組んだロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)やインテリジェントオートメーションの開発過程で、手痛い教訓を得ていたからだ。インテリジェントオートメーションは、大手会計事務所が反復的なデジタル業務を自動化するために活用されており、ソフトウェアbotがルーティン業務をこなし、AIツールがパターンを検知して意思決定を支援する。

 「大きな教訓は2つあった。投資対効果(ROI)の測定と、事前に必要な要素を把握しておくことだ」とゲルハルト氏は振り返る。初期のプロジェクトではAIの取り組みを過大評価する傾向があり、計画倒れになる大きなプロジェクトを作りがちだったという。そこで彼らが優先したのは、AIツールの迅速な構築と導入だ。「完成度が80%程度でも、まずは本番環境に投入して様子を見る。成功すれば、イノベーションチームを通じて機能を追加していくアプローチをとった。これらの手法は、現在のAIチームにも応用されている」と同氏は説明する。

 2023年初頭には、ガバナンスが不十分な外部の「野良AI」を従業員が利用するのを防ぐため、対話型AIを戦略に組み込んだ。経営陣やステークホルダーの合意を得た後、同社はセキュアな環境でOpenAIのLLMを活用した「Chat BDO」の構築を決定した。

開発の初期からユーザーと密に連携する

 BDOは、Chat BDOのデータやセキュリティ、内部文書、APIとの連携を完全に制御している。このプラットフォームは機密性の高い会話を社内にとどめ、プライバシーやセキュリティのコンプライアンス要件を満たす。モデルにクエリを投げられるのは、許可された従業員やシステムのみだ。

 Chat BDOのパイロット運用では、過去の自動化の取り組みが功を奏した。「IT部門だけで作るのではなく、初期段階からユーザーを巻き込むことで、実際に使える正しいツールを構築できた」とゲルハルト氏は言う。パイロットには400〜500人が参加し、βテストグループは限定的な機能にアクセスしてフィードバックを提供した。

 Chat BDOは、報告書やクライアントへの連絡文の起案、文書や規制の要約、業界調査、内部知識システムからのインサイト生成を支援する。コンプライアンスの関係上、これらのツールは主に職員の生産性向上や調査に使われており、クライアントへの直接的な納品物には使用されない。

断片化したデータソースを統合する

 同社はデータ戦略の近代化にも取り組んだ。データガバナンスに注力し、データ所有の考え方を全社的な共同モデルへと転換した。個別のシステムごとにデータを構築するのではなく、「エンティティ(実体)モデル」に基づいてデータセットを構成する方法を採用したのだ。このアプローチにより、複数のデータソースを統合し、中央ダッシュボードを備えたモニタリングシステムなどを構築できるようになった。

 「生成AIを使って、そのデータで質問ができるようにしている。1、2年前には、システムごとにデータが断片化していたため、このようなことは不可能だった」とゲルハルト氏は指摘する。

 GPTモデルはOpenAIの巨大なデータセットで事前学習されているが、BDOはプロンプトエンジニアリングやRAG、ファインチューニングを通じてモデルの挙動をカスタマイズしている。BDOのデータはAzureのテナント内で論理的に隔離されており、プロンプトや回答が他の顧客と共有されることはない。また、データが実行時に渡されることはあっても、GPTやMicrosoftの基盤モデルの再学習に使われることはない。

クラウドでのセキュリティとコンプライアンスの確保

 BDOは自身のAzureサブスクリプション内でGPTモデルを運用している。全てのデータ処理は、企業が制御するセキュアな環境で行われる。データは隔離され、保存時および転送時に暗号化される。

 このマネージドサービスは、Microsoft Entra ID(旧Azure AD)を使用してChat BDOへのアクセスを制御し、ロールベースのアクセス制御(RBAC)で詳細な権限を設定している。また、APIの利用状況を追跡する監査ログも提供される。BDOは、ユースケースごとにポリシーを設定し、不適切な出力を防ぐためのフィルタリングも適用している。APIはプライベートな仮想ネットワーク経由で公開できるため、パブリックインターネットからはアクセスできない。

 多くの企業で、技術的な課題はモデルそのものよりも、セキュリティやデータパイプライン、権限管理、内部システムとの統合といった周辺領域で発生する。本番稼働までに6〜12カ月かかることも珍しくない。

チェンジマネジメントの組織化

 Chat BDOの場合、2023年3月に計画とプロトタイプ作成を開始し、5カ月後には第1版を従業員に公開した。「現在ではChat BDOだけでなく、複数のモジュールを備えたAIプラットフォームへと発展している」とゲルハルト氏は言う。当初はGPT-3.5を使用していたが、現在はGPT-5.2(原文ママ)ベースの技術を採用している。

 また、BDOでは「AIアンバサダー」というグループを組織した。各部門のプロフェッショナルで構成されるこのグループは、現場でのチェンジマネジメントを支援し、AIトレーニングを促進する役割を担う。現在、1万4000人以上のBDO職員がこの仮想アシスタントを利用している。

 自動化への移行には、文化やプロセス、そして「人」の再考が必要だ。これらは技術そのものよりも困難な場合が多い。「AIは文化的な変化をもたらした。それは課題であると同時に、強みにもなり得る」と、調査会社Omdiaのアナリスト、マーク・ベキュー氏は指摘する。

AIのROIを特定する

 BDOによると、Chat BDOは導入以来、職員の業務時間を100万時間以上削減した。職員の66%が定期的にツールを利用しているという。テレメトリーデータによれば、Chat BDOの導入後、収益部門のユーザーがクライアントと向き合う時間は20%増加した。Chat BDOは内製されているため、同社独自のガイドラインや文書にアクセスできることが生産性向上の鍵となっている。

 他にも、営業担当者が情報を迅速に分析するための「Consultative Selling Account Insights」や、多国籍企業の納税申告などの文書処理を自動化する「BDO DocPro」などのツールがある。これらのツールによるROIは、1案件あたりのコスト削減や、効率・スループットの変化によって数値化が可能だ。

 多くの企業はまず、リスクの低い内部向けのユースケースから着手する。「最もリスクが高いのは外部向けのユースケースで、それらは厳しい精査の対象となる」とベキュー氏は言う。

 BDOは今後、Microsoftと協力してAIベースの製品をクライアントに提供する戦略を進めている。また、請求やスケジューリングなどの業務プロセスの自動化、マルチモーダルAI、さらには不正検査(フォレンジック)のために視覚データを分析するAIツールの開発にも取り組んでいる。

 AIは、かつてコーディングアシスタントがソフトウェア業界を変えたように、会計業界を変革しようとしている。意思決定や法的な責任、クライアントへの助言には依然として人間のプロフェッショナルが必要だが、AIは会計士の役割とワークフローを大きく変える可能性を秘めている。

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