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ビッグバン導入、コロナ直撃――英国中央銀行は“挑戦的なシステム刷新”をどう進めたかイングランド銀行が進めたRTGSシステム刷新の裏側

英国の金融を支える「RTGS」システムは、パンデミックなどさまざまなハードルを乗り越えて刷新に至った。プロジェクトを進めたイングランド銀行は、難航したRTGSシステム刷新にどのように挑んだのか。

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開発プロセス | システム構築


 英国の中央銀行であるイングランド銀行(Bank of England)は、国内の金融を支える中核システムの刷新を完了。同行が目指す「サイレントオペレーション」の実現に向けた取り組みを前進させた。同行が掲げるサイレントオペレーションとは、関係者に影響を与えることなく、99.95%の稼働率を維持することを目指した取り組みだという。

 中央銀行における、金融機関間の口座振替手法である「即時グロス決済」(RTGS:Real-Time Gross Settlement)。イングランド銀行が着手したのは、このRTGSを支えるシステムだ。RTGSは、「CHAPS」(クリアリングハウス銀行間支払いシステム)や「Bacs」(バンカー自動決済システム)といったシステムで実行された銀行間送金を決済する。イングランド銀行が1996年から運用するRTGSは、英国の経済における資金の流れを確保する上で、不可欠な存在だ。

 イングランド銀行のRTGSシステムは、1日当たり8000億ポンド(約159兆円)の決済を処理する。RTGS刷新プロジェクトは2017年に初期計画が始まり、段階的な取り組みを経て新システムの稼働まで進んだ。

「ビッグバンアプローチ」をあえて採用

 RTGSシステム刷新プロジェクトが本格化した2019年、イングランド銀行は重大な発表をした。段階的な切り替えではなく、システム全体を一斉に切り替える「ビッグバンアプローチ」によって、2025年にRTGSシステムを刷新することを明らかにしたのだ。運用中の新RTGSシステムは、既製の技術と、独自開発したコア決済エンジンを組み合わせたものに置き換えられている。

 イングランド銀行のビクトリア・クレランド氏は、RTGSシステム刷新プロジェクトを主導していた2023年当時、ビッグバンアプローチの採用理由として「一部の金融機関だけが新システムを利用でき、他の金融機関が利用できない状況を避けたいためだ」と説明していた。クレランド氏は、同行の銀行業務、決済、イノベーション担当エグゼクティブディレクターを務める。

 RTGSシステム刷新プロジェクトは「大変な道のりだった」と、イングランド銀行の最高情報責任者(CIO)兼テクノロジーリード、ネイサン・モンク氏は振り返る。同行がRTGSシステム刷新の主な目標を定めた後、モンク氏は技術導入責任者としてプロジェクトに参加。2023年にCIOに就任した。

 モンク氏がRTGSシステム刷新プロジェクトに参加したとき、イングランド銀行は外部の開発パートナーを探すことを決定したばかりだった。2019年、同行はRTGSシステム刷新におけるテクノロジーデリバリーパートナーとして、ITコンサルティング大手のAccentureを指名した。

パンデミックも重なり“課題山積”の刷新プロジェクト

 2025年4月、モンク氏が「心臓部だ」と語るコア決済エンジンが完成し、ついに新RTGSシステムが稼働を開始した。コア決済エンジンには「全ての決済に関するロジックが組み込まれている」と同氏は説明する。新しいRTGSシステムでは、金融機関で主流だった従来のメインフレーム技術から脱却し、「よりモジュール化され、緩やかに連結された技術を採用した」(同氏)という。

 RTGSシステム刷新プロジェクトにおいて課題となったのは、システムの複雑さと規模だ。最も多いときで、約500人のIT担当者がプロジェクトに参加していたという。イングランド銀行は、RTGSシステムの刷新に既製品も活用したものの、コア決済システムについては「われわれの要件やニーズを満たす既製品がなかった」(同氏)ことから内製した。

 RTGSシステム刷新プロジェクトは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック(世界的大流行)期に重なったことから「われわれは大きな衝撃を乗り越えなければならなかった」とモンク氏は振り返る。当初はプロジェクトメンバーが同じ建物に集まることができない状況で、新しいインフラの導入を試みていたという。パンデミックは物流にも影響を及ぼし、機材不足にも対処する必要があった。

 国家の経済にとって重要なプロジェクトの遅延は「極めて複雑な問題を招き、解決には多大な労力が必要になる」とモンク氏は言う。単に新しい日程を発表するだけでは済まず、日程変更の可否や影響などについて「世界中の金融機関など、全ての関係者にあらためて確認しなければならない」(同氏)。

金融の中核システムならではの課題も

 RTGSシステムの刷新は、イングランド銀行だけではなく、関連する金融業界のシステムに広く影響を及ぼす。業界全体をRTGSシステム刷新プロジェクトに巻き込むことは、同行にとって「最も複雑な仕事の一つだった」とモンク氏は振り返る。例えば今回の刷新でRTGSシステムは、金融サービスにおける通信メッセージ規格を国際標準規格「ISO 20022」準拠に移行。それに伴い、各銀行は関連システムを変更する必要があった。

 金融の中核システムならではのこうした複雑さこそ、RTGSシステムの刷新プロジェクトが「イングランド銀行にとって、最大級のプロジェクト」(モンク氏)になった理由だ。プロジェクトでは「全てが円滑に実現し、主要参加者が十分な時間を確保できるよう、世界中の機関と連携しなければならなかった」と同氏は説明する。

 稼働中の新しいRTGSシステムには、1日約100人の技術者が従事しており、作業負荷は相当な規模に上る。システムを正常に稼働させ続けるには、構成要素へのパッチ適用やアップグレードなど、さまざまな作業に「多大な労力が必要になる」とモンク氏は語る。

コスト削減にとどまらないRTGSシステム刷新“真の理由”

 一般的なシステム刷新の目的として、コスト削減がある。例えばシステムに必要なハードウェアリソースを抑制できれば、コスト削減につながる。だがモンク氏は、RTGSシステムの刷新は「必ずしもコスト削減だけが目的ではない」と断言する。イングランド銀行はRTGSシステムの刷新によって、レジリエンスやセキュリティの改善に加えて「将来のイノベーションを推進し、最新の状態を維持することを重視している」と同氏は語る。

 イングランド銀行はRTGSシステムについて「詳細なロードマップを策定しており、今後の開発計画もある」とモンク氏は説明。こうした計画中の将来的な機能の実現こそが、RTGSシステムを刷新した「最大の理由だ」と強調する。こうした機能の開発を担当するチームも、既に存在するという。同行は、新しいRTGSシステムをイノベーションに活用すべく「業界と共に、エキサイティングな機会を模索している」と同氏は明かす。

 RTGSシステムの刷新を機に、イングランド銀行はシステム開発における組織構造も一新した。開発部署がシステム開発プロジェクトの全てを担うのではなく、機能横断的なフュージョンチームを設置し、開発スタッフと現業部門のスタッフが協力しながら開発を進めるようにしたという。「スケールアウトとアジャイルを意識した体制に移行した」(モンク氏)

 イングランド銀行は行内連携だけではなく、金融業界全体との連携も見直し、より緊密な連携が可能になるように変化させていると、モンク氏は説明する。例えば同行は、業界と共同でシステム研究開発のロードマップを策定しているという。

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