160兆円を動かす“国家の基幹系”が「RISE with SAP」に 決断の裏側:「SAP 2027年問題」に対する回答
SAP ECC 6.0の保守終了が迫る中、クラウドへの移行か第三者保守での延命かという選択肢の間で組織は揺れている。年間約160兆円を扱う公共システムを「SAP S/4HANA」に移行する決断を下した省庁の事例を紹介する。
2027年に、SAPのERP(統合基幹業務システム)「SAP ERP Central Component」(SAP ECC)バージョン6.0の標準保守が終了を迎える「SAP 2027年問題」。これに対して、国内外のさまざまな企業がクラウドERP「SAP S/4HANA」への移行か、第三者の保守による延命かといった決断を迫られている。
この悩みは、国家規模の巨大組織であっても変わらない。英国の徴税、通関を一元管理する英国歳入関税庁(HMRC)は、税務、歳入管理の中核を担うシステムの刷新に当たって、従来のオンプレミスERPからSAP S/4HANAに移行することを決定した。
HMRCが管理する税収額は年間8000億ポンド(約160兆円)を超え、システムは45種類以上の税制度を処理する。これだけの規模と機密性を持つ「国家の基幹系」を、クラウドERPであるSAP S/4HANAに移行する判断は、セキュリティやデータ主権の観点から決して容易ではなかったはずだ。
なぜHMRCは、オンプレミスへの回帰ではなくクラウドサービスへの移行を選んだのか。大きな懸念事項である「データ主権」(機密データの保管場所)の問題をどうクリアしたのか。
「機密データ」と「クラウド」を両立させた“切り札”
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SAP S/4HANAに移行すべきか
今回の移行では、同社が提供するクラウド移行プログラム「RISE with SAP」を活用する。この移行によって、HMRCの基幹システム「Enterprise Tax Management Platform」(ETMP)の近代化を図る狙いだ。HMRCによると、新システムの稼働開始は2029年になる見込みだ。
この刷新によって、HMRCの職員はリアルタイムでのデータ分析やレポート作成をより確実に実行できるようになる。納税者に対しても、迅速かつ透明性の高いサービスが提供可能になるという。
今回の契約は、英国政府が掲げるAI(人工知能)戦略の推進にも寄与する。システムの運用インフラには、データの保管場所を英国内に限定し、厳格なセキュリティ基準を満たした「英国ソブリンクラウド」を採用する。これによってデータ主権を確保しつつ、将来的な技術革新に向けた土台を築くことが可能だ。
RISE with SAPは、インメモリデータベース「SAP HANA」をベースとするERP「SAP S/4HANA」へのクラウド移行を促進、支援するプログラムだ。SAPは2026年1月に発表した2025年度第4四半期(2025年10〜12月)および通期の決算報告において、RISE with SAPの顧客として、スポーツ用品メーカーAdidas、アパレルメーカーH&M Group、エンジニアリング企業Weir Groupとともに、HMRCの名前を挙げた。
年間8000億ポンドを扱う巨大システム
SAPはETMPを「HMRCの税務会計および決済機能を支える戦略的な技術インフラ」と位置付ける。ETMPは45種類以上の税制度を処理し、数万人の職員が日々の業務で利用する。管理する税収額は年間8000億ポンドを超える。
HMRCとSAPの関係は長く、SAPは2004年から同社製品をベースにしたETMPの開発、運用を続けてきた。現状のシステムにはSAP ECC 6.0を利用しているが、同製品のメーカー標準保守は2027年に終了する。そのため、対策が急務となっていた。これを受けてHMRCは2023年にETMP再生計画を策定。パイロット検証を経てSAP S/4HANAへの移行方針を固め、2025年1月に当時の長官だったジム・ハラ氏が正式に承認した。
RISE with SAPによるクラウド移行で、HMRCはレガシーシステムを刷新し、複雑化した技術構成を整理できる見込みだ。導入計画にはクラウドERP「SAP S/4HANA Cloud」、英国ソブリンクラウド、アプリケーション開発ツール群「SAP Business Technology Platform」(BTP)、AI機能が含まれる。
SAPで英国およびアイルランド担当マネージングディレクターを務めるレイラ・ロマネ氏は、次のように述べる。「HMRCのような大規模な公共システムには、変化する需要への適応力と、国家規模での安定稼働が不可欠だ。英国の重要インフラを英国内のソブリンクラウドで運用することは、システムの強靱(きょうじん)性やセキュリティ、持続可能性の強化を実現する」
SAPはHMRCと協力し、新たなAI機能の定義に向けて協力する。納税者のユーザー体験向上、データからの迅速なインサイト(洞察)の導出、業務プロセスの自動化を進め、税務行政全体における意思決定の高度化を目指す。
HMRCは基幹システムの刷新とは別に、2025年4月に顧客関係管理(CRM)システムの入札も開始しており、その規模は最大10億ポンド(約2000億円)に達する。コンタクトセンター機能(CCaaS)の提供事業者も募集しており、こちらの推定契約額は5億ポンド(約1000億円)だ。「これらは独立したシステムだが、HMRCが保有するIT資産全体と連携させ、利用者により良いデジタルサービスを提供するため、相互運用性を確保する」とHMRCは説明する。
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