帯域幅は魂のようなもの:ロキ・ジョーゲンソンのネットワーク論
帯域幅の理解は、ネットワークの健康を維持し、ネットワークユーザーを満足させる上で不可欠である。正しい技術的アプローチの出発点もそこにあるのだ。
帯域幅は魂のようなものだ――あなたがそれについて話すと、誰もがあなたが言おうとしていることを理解しているつもりになるのだが、たぶん実際には全く違うことを考えているのだ。なぜなら帯域幅は、魂と同様、われわれが考えているほど単純明快な形で存在しないからだ。
いきなり安っぽい抽象論から入ってしまったが、これにはわけがある。
まず、「帯域幅」という用語は、意味論的に言えば適切ではない。広範な意味に対して不適切に付けられたあいまいなラベルなのである(これについては、「“帯域幅”という用語は正しくない」で詳しく論じている)。この用語は暗黙のうちに、1つのインタフェースを通じて、もしくはエンド・ツー・エンドの経路上で、データを転送することが可能な最大速度を指している。だが、この「最大データ転送速度」という単純明快な定義でさえも、数限りない条件が存在する。パケットサイズやクロストラフィック、データの損傷など、あらゆる要因が実効転送速度に制限を与えるのだ。
しかしどういうわけか、帯域幅は依然としてほとんどのネットワークにおいて最も重要な特性だとされている。まるでサイズが重要であるかのように……。いや、実際、重要なのだ――ある意味では。
あらゆるネットワークの存在理由は、単にビットを転送することではなく、アプリケーションやエンドユーザーが何かを実行するのを可能にすることであるという事実に目を向けていただきたい。たくさんの「帯域幅」を持っているが、それを利用するアプリケーションをサポートできないネットワークを想像するのは容易だ。わずかな帯域幅しか必要としないアプリケーションであるVoIPを考えれば明らかだ。
つまり、データを転送するための機能的能力は、ネットワークのパフォーマンスを示す唯一の指標ではないのである。要求された転送能力が存在しなければならないのは確かだが、損失、遅延、ジッターといったパフォーマンス要因の方がはるかに重要なのである。だからこそ、ネットワークの挙動とアプリケーションのパフォーマンスとの間の関係が複雑化するという状況が生まれつつあるのだ。
しかしそれでもデータ転送速度は、たいていのネットワークにとって極めて重要なのである。
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