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Google+のサークルは現実社会の人間関係をオンライン化できるかGoogleと「Google+」で変わる思考と社交【後編】

Googleは「Google+」と「サークル」で何をしようとしているのか。識者の声を交えて解説する。

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 前編「Googleは本当に記憶力を低下させているのか?」では、テクノロジーによって私たちの生物学的な社交パターンや行動が根本的に変わることはなく、それは検索エンジンにも当てはまることを論じた。

 しかし、Webを整理し、そして異論はあるが変革させたGoogleが、私たちの複雑な現実社会の人間関係を「Google+」でデジタル的に整理し、オフラインの関係の微妙なニュアンスを「サークル」でオンライン化するという大胆な挑戦に出た。サークルはGoogle+の1機能で、自分や他者がGoogleプロフィールに投稿したコンテンツを見せる相手を、われわれの本質的な社会的動機と、実社会で他者とコミュニケーションを取るさまざまな方法に基づいて管理できるようにしようとするものだ。その計画の野心の大きさは、それが満たそうとするニーズの規模と多様性に匹敵する。

サークルのソーシャル機能

 サークルをめぐっては当初の絶賛の嵐に代わって不満が噴出し始めている。ポール・アダムズ氏の「The Real Life Social Network」は現実的かつ手っ取り早く、私たちの「友達」および友達と共有する情報をデジタル的に整理することがいかに難しいか、Googleの偉大な輩(アダムズ氏を含む)がサークルの枠組みをいかにして地図に描いたか、そしてサークル(つまり連絡先のグループ分け)が全ユーザーにとってなぜ大切かについて解説した。

 米Practical Creative & Codeのデービッド・ダマリー氏は、ユーザーの使い勝手と認識処理上の負荷について、興味深い点を指摘した。認識処理上の負荷とは、自分が見ているものを理解したり文脈に当てはめたりするために必要な論理関係の数、あるいは脳が経なければならない論理段階の数のことだと同氏は言い、次のように説明する。

 サークルが解決しようとする問題は、プライバシーと同じ文脈で論じられているが、実際にはオーディエンスのターゲット化の要素が強い。例えば個人的なことや自分の体面に関わることをGoogle+のプロフィールに掲載したいと思ったとする。その情報は友達とは共有したいが、仕事の関係者に見られることも、公になることも望まない。この問題に対するGoogle+のソリューションは、それぞれの投稿についてターゲットとするサークルを割り当てるというものだが、そうすると、投稿や写真をアップロードするたびに、ユーザーが投稿の内容を考え、さまざまなサークルのコンテキストのうちのどれがその内容にふさわしいかを考えなければならない。Googleではこれは簡単な解決策であり、ソフトウェアでこの問題を解決するためには最善の方法と考えたようだ。

 ダマリー氏は言う。「ソーシャルネットワークに何かを投稿するということは、それを公にするということだ。この文脈でいう『公』とは、単に『区分けされていない』という意味にすぎない。Facebookに掲載する投稿のほとんどは、自分のネットワークに自分で入れた友人にのみ公開されるが、これと同サービスが定義する『全員』とはわずかな違いしかない。突き詰めて言えば、毎回にしても1回きりにしても、自分の交友関係を分類の観点から考えるよりは、何も投稿しない方がはるかにたやすい」

 さらに簡潔かつ包括的にサークルのメリットとデメリットを論じるなら、ケビン・チェン氏の「Can we ever digitally organize our friends(友達をデジタルで整理できるか)」がお勧めだ。Twitterのプロダクトマネジャーであり、Off Panel Productions(オンラインコミック出版ネットワーク)を創設した同氏はマルチタスクの名人だが、そのチェン氏でさえもネットの連絡先管理には苦慮しているという。

 チェン氏の記事によると、同氏は投稿が誰に見られるかを記憶しておくよりは、友人を論理的に分類する方が苦にならないという。「Facebookとアドレス帳を整理している経験から言うと、自分で考えてやった複雑な分類のことは覚えていないものだ。実際、私がFlickrで『家族』に分類したのは20人に満たないにもかかわらず、全員の名を挙げられるかどうかは分からない」(同氏)。幸いなことに、チェン氏にとって必要な情報はインターネットで手に入る。

 一般的な、当たり障りのないコメントを投稿したり、あるいは何も投稿しないことは、私たちが日常で処理しなければならない物事の多さを考えるともっともに思える。結局のところ、現代のソーシャルネットワーキングへの参加はまだ任意であって、義務ではない。だがこの状況は、特にビジネスプロファイルについては変わりつつある。

 「FacebookかLinkedInを使ってサインインしてください」。そんな画面を目にしたことはないだろうか。個人としての私たちは、SNS機能を組み込んだ多くのサイトに対し、自分が選んだSNSのプロファイルを使ってログインするかしないかを選択できる。アダムズ氏によれば、検索サイトには今やソーシャルな相関関係が組み込まれている。ビジネスサイトについては、統合がWebブラウザで行われている場合、自分でコントロールすることはできない。

 社交の大部分がオンラインで行われている現実を考えると、自分の投稿を検閲したり、あるいは何も投稿しなければ、意識の低い存在になり果ててしまう可能性もある。結局のところ、私たちは社交の配線でしっかりつながっているものであり、社交は革新の大きな原動力でもある。

 「大学教授や医師、ビジネスリーダーなどさまざまな文脈で(恐らく)教える側に立つ者は、概念のより深い理解と思考の方法を教えることに力を入れるようになり、暗記にはあまり力を入れなくなるだろう。そして学ぶ側は、事実にわずらわされることは少なくなり、理解にまつわるもっと大きな疑問に取り組むようになるだろう」。スパロウ氏はこう予想する。

 「(われわれの)インターネットのソーシャルネットワークは単純に、オフラインのソーシャルネットワークをそのまま表現したものにすぎない。現実の生活の複雑さにはまだほど遠い。現時点でその全てを理解する必要はない。ただ、しっかりした基盤から構築を始める必要がある」とアダムズ氏は記している。

 GoogleがGoogle+とサークルでやっているのはまさにそういうことなのだ。

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