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「脱Excel」はなぜ現場に潰されるのか 反発を封じる“3つの論理”「現場の魔法」を「会社の武器」に変える

「Excel」は現場にとって魔法のつえだが、情シスにとっては管理不能な「時限爆弾」だ。現場の猛反発を抑え、安全に「脱Excel」を進めるためのロードマップを提示する。

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Excel | Microsoft(マイクロソフト) | SaaS


 日本のビジネス現場において、「Microsoft Excel」(以下、Excel)は単なる表計算ソフトの域を超え、一種の“信仰”対象ですらある。1990年代以降、その柔軟性とVBA(Visual Basic for Applications)による自動化機能は、現場担当者に「自力で業務システムを作る」という万能感を与えてきた。

 だが、その代償はあまりに大きい。情シスの目の届かない場所で増殖した複雑怪奇なマクロ、秘伝のタレのように継ぎ足された計算式、そして作成者本人にしか解読不能なロジック――。これらは現代の企業経営において、DX(デジタルトランスフォーメーション)を阻む巨大な「技術的負債」と化している。

 情シス部長にとって、Excelは最大の「シャドーIT」だ。現場が良かれと思って作ったツールが、データのサイロ化を招き、セキュリティホールとなり、最終的には「数字が合わない」という経営リスクに直結する。しかし、いざ「脱Excel」を掲げても、現場からは「今のやり方で回っている」「新しいツールは使いにくい」と猛反発を受けるのが常だ。

 本稿では、情シスがこの構造的な病理にメスを入れ、組織のガバナンスを取り戻すための戦略を解説する。

Excel依存が招く「死角」と、情シスが打つべき一手

 企業がExcelへの過度な依存を脱却すべき最大の動機は、それがもたらす多層的なリスクの回避にある。情シス部長クラスが敏感に反応するのは、経営リスクに直結するインシデント事例やコンプライアンス(法令順守)違反の可能性だ。Excelはデータ入力の自由度が高い半面、構造的な制約が極めて弱い。これが大規模な事故の引き金となる。

セキュリティ侵害の温床としての「シャドーExcel」

 Excelファイルは、そのポータビリティ(移動しやすさ)の高さゆえに、情報漏えいの有力な経路となり得る。重要な顧客情報や営業秘密が含まれたファイルがパスワード保護なしにメール添付で送信されたり、個人用のクラウドストレージに保存されたりする状況は、情シスの管理が及ばない領域で常態化している。特に、マクロを含むファイルは、不正コードを埋め込むための攻撃経路として攻撃者に悪用されるリスクがある。

 過去のインシデント、例えばアサヒグループホールディングスを襲ったランサムウェア(身代金要求型マルウェア)攻撃のような大規模な事例を分析すると、攻撃の初期段階で標的となるのは、防御が堅牢(けんろう)な基幹システムではなく、現場のPCに散在する管理の甘い「野良ファイル」であることがほとんどだ。これらのファイルに格納された認証情報や業務プロセスの一部が盗み取られることで、攻撃者は組織の深部へと侵入する足掛かりを得る。侵入を「なぜ防げなかったのか」という問いに対し、情シスが提示すべき答えの一つは、管理外のExcelファイルという防御の抜け穴を放置していたという事実だ。

データ整合性の喪失と意思決定の質の低下

 Excelベースの業務プロセスにおいては、「唯一の真実」(Single Source of Truth)が担保されない。同一のデータが複数のファイルにコピーされ、それぞれの担当者が独自に加工を加えることで、数値の不一致が至る所で発生する。このような状況下で行われる経営判断は、砂上の楼閣に等しい。

 特に金融業界や製造業の品質管理部門で、Excelの計算式ミスが数億円規模の損失やリコールにつながった事例は少なくない。Excelにはセル間の依存関係を視覚化する機能はあるものの、数千行に及ぶ計算式の検証は人的リソースに頼らざるを得ず、エラーの発生を完全に防ぐことは不可能だろう。これは、システムガバナンスの観点からは致命的な脆弱(ぜいじゃく)性と見なされる。

経済的合理性とコスト管理の再定義

 脱Excelを推進する際、情シスが直面する障壁は「Excelは既にライセンスがあるため実質無料」という経営層や現場の誤認だ。しかし、中長期的な視点から企業の総所有コスト(TCO)を精査すれば、Excelを使い続けることの不経済性が浮き彫りになる。

SaaSflationとベンダー価格戦略の影響

 昨今、大半の企業が経験しているのが、クラウドサービスの値上げ、いわゆる「SaaSflation」(SaaSインフレ)だ。BroadcomによるVMware製品のライセンス体系変更とそれに伴う大幅なコスト増は、情シスにとって「慢性的だが深刻な経営課題」を可視化させる契機となった。同様に、オフィススイートのサブスクリプションサービス「Microsoft 365」のライセンス費用も上昇傾向にあり、Excelの維持コストは決して無視できない。

 ここで重要なのは、Excelの代替案を検討する際、単なる安価なツールへの乗り換えではなく、コストに見合った価値を最大化する視点を持つことだ。脱VMwareを検討する企業が「Nutanix AHV」や「Hyper-V」などの代替策をコスト試算するのと同様に、Excelを使った業務を専用システムやノーコードツールへ移行する際のTCOを算出する必要がある。

見えないコストの可視化とゾンビIDの削減

 Excel運用における大きなコストは、人的リソースの浪費だ。データの転記、集計、エラーチェック、壊れたマクロの修復に費やされる時間は、企業の生産性を低下させる恐れがある。

 一方で、情シスはExcelそのものをコスト削減の武器として活用することも可能だ。例えば、Excelの「VLOOKUP」関数や「Power Query」といった機能を用い、人事データとSaaSのログインログを突合し、利用されていない「ゾンビID」を特定する手法がある。これによって、不要なライセンス費を削るという「金銭的なメリット」を経営層に示すことができる。これは、Excelを業務基盤としてではなく、一時的なデータ分析ツールとして正しく利用する一例と言える。

投資判断の分岐点

 Excelからの移行に際しては、5年間のTCOを基準とした意思決定が推奨される。初期のシステム構築費用やSaaSの導入費は高額に見えるが、人的コストの削減分とエラーによる損失リスクの低減分を加味すれば、3年前後で投資回収が可能となる場合がある。

組織心理と文化の壁 なぜ脱Excelは失敗するのか

 技術的な正当性があるにもかかわらず、大半の脱Excelプロジェクトがうまくいかないのは、技術の問題ではなく、組織の「政治」と「心理」の問題だからだ。情シス部長は、現場のユーザーが抱く、道具を奪われることへの恐怖と向き合わなければならない。

現場の抵抗:利便性と万能感

 現場の担当者にとって、Excelは自分の思い通りに操れる魔法の杖だ。IT部門の承認を得ることなく、その場で列を追加し、計算式を書き換え、見栄えを整えることができる自由度は、専用システムにはない魅力になる。この万能感こそが、Excelへの強固な愛着を生んでいる。

 脱Microsoftに取り組み、「Google Workspace」への移行を試みた企業において、Excelとの互換性問題や、慣れ親しんだショートカットキーが使えないことへの不満から、現場のクレームが噴出し、プロジェクトが頓挫した事例がある。こうした失敗を避けるためには、単に機能を比較するだけではなく、現場からどのような不満が出るかを事前に予測し、それに対するケア(代替手段の提示や丁寧な説明)を用意する必要がある。

「ノー」を言うための論理

 情シスは、現場からは「融通の利かない管理者」と見なされ、経営層からは「コストばかりかかる部門」と見なされる孤独な存在だ。特に、経営層から「AIで業務を効率化しろ」といった抽象的な指示が飛んできた際、現場のExcel業務が整理されていない状態では、AIを導入しても「ゴミを入れたらゴミが出てくる」状態になりかねない。

 このようなとき、情シス部長には、経営層を論破するのではなく、「いさめる」ための戦略が必要だ。例えば、「AI導入を成功させるためには、まず現場に散在するExcelデータを構造化しなければならない。これを放置してAIを導入すれば、情報漏えいのリスクが○○ポイント上昇する」といった、リスクとセットになった提案が有効だと考えられる。

組織内の信頼回復

 IT部門に対する不信感が強い組織では、脱Excelは現場への締め付けだと受け取られやすい。これを打破するためには、情シスが現場の味方であることを証明しなければならない。例えば、ID棚卸し作業を自動化するマクロを現場に提供したり、経営層への予算獲得プレゼンテーションのための「殺し文句」を現場のマネジャーに授けたりするといった、草の根の支援を通じて信頼を勝ち取ることが、大きな変革を断行するための前提条件となる。

モダンアーキテクチャへの道

 Excelからの脱却を実現するための技術的アプローチは、「疎結合」と「自動化」がキーワードになる。

ノーコード/ローコードツールの活用

 AI搭載のローコード開発ツール「Microsoft Power Platform」や、サイボウズの業務アプリケーション構築ツール「kintone」などは、Excelの自由度とデータベースの統制を両立させる現実的な解として普及している。現場のユーザーが自らアプリケーションを構築できる環境を残しつつ、裏側のデータはIT部門が管理するクラウドデータベースに格納することで、ガバナンスを担保する。

 ただし、これらのツールを無計画に導入すれば、今度は「野良アプリケーション」が乱立するリスクが生じる。移行に際しては、ツールの提供だけではなく、開発ガイドラインの策定と、IT部門による定期的な監査がセットでなければならない。

BIツールによる可視化の分離

 Excelの大きな用途の一つである「レポート作成」は、BI(ビジネスインテリジェンス)ツールに切り替えられる領域だ。Excelでの集計は、能動的にデータを更新(再取得)しない限り最新の数値が反映されない静的なものだが、BIツールは基幹システムやSaaSとAPI(アプリケーションプログラミングインタフェース)連携することで、常に最新の数値を表示する動的なダッシュボードを提供する。

ゼロトラストへの移行

 脱Excelは、企業のセキュリティモデルを「境界型」から「ゼロトラスト」へ移行させる絶好の機会でもある。Excelファイルにパスワードをかけるという古い手法ではなく、データそのものにアイデンティティ(ID)をひも付け、適切な権限を持つユーザーのみが、適切なデバイスから、必要な時にだけデータにアクセスできる環境を構築する。

AI時代の到来とExcel管理の再定義

 2024年から2025年にかけての生成AIの爆発的な普及は、脱Excelの議論を加速させると同時に、新たなリスクをもたらしている。「シャドーAI」の問題は、従来のシャドーExcelと根底にある構造が同じだ。

シャドーAIのリスクとガバナンス

 現場の従業員が許可なく、OpenAIの「ChatGPT」といった生成AIツールに、個人用アカウントで社内のExcelデータを流し込み、業務の自動化や分析を実施するケースが広がっている。これは、企業にとって重大な機密情報の流出リスクを意味する。しかし生成AIツールの利用禁止ではなく、安全な利用環境(エンタープライズ版の導入やプライベート環境の構築)を整えることが、結果としてExcel依存とセキュリティリスクの両方を低減させる。

 「禁止すると地下に潜るだけ」という教訓は、Excelの管理においてもAIの管理においても共通の真理だ。現場がなぜ生成AIツールを使いたいのかというと、それは現状のExcel業務が苦痛であり、かつ標準的なシステムでは解決できない「隙間」があるからだ。この隙間を、統制された生成AIツールで埋めることが、2026年以降の情シスに求められる役割となる。

AIを活用したレガシー刷新

 一方で、AIは脱Excelを支援する強力な味方にもなる。例えば、数千行に及ぶ複雑なVBAコードや、階層の深いExcel数式をAIに解析させ、それを「Python」プログラムやモダンなWebアプリケーションの仕様書へと変換する作業は、既に実用段階にある。これまで、担当者以外メンテナンスできないため放置されてきた、ブラックボックス化したExcel資産を、AIの力で解読し、モダンな環境へ再配置するレガシー刷新プロジェクトは、情シスにとって大きな成果を上げやすい領域だ。

2026年を見据えたIT戦略の再構築

 Excelからの脱却は単なる不便なツールの廃止ではなく、企業のデジタル基盤を根本から作り直すための、極めて戦略的な取り組みだ。Excelがもたらした個人の生産性を組織の機動力へと昇華させるためには、以下の3つの柱を中心としたロードマップが必要となる。

 第一に、リスクの可視化と経済的合理性の追求だ。セキュリティインシデントの恐怖と、SaaSflationへの対抗という実利を両輪として、経営層からの強い支持を取り付ける必要がある。

 第二に、モダンな代替手段の段階的導入だ。ノーコード/ローコードツールやBI、AIを適切に組み合わせ、現場の利便性を損なうことなく、データの統制を確保する。この際、現場との摩擦を最小限にするための政治的交渉と共感の醸成を怠ってはならない。

 第三に、持続可能なガバナンス体制の構築だ。ツールを導入して終わりにするのではなく、教育やガイドラインづくり、監査を通じて、データが組織の資産として正しく扱われる文化を根付かせる。

 2025年10月の「Windows 10」公式サポート終了を機に進んだシステムの刷新や、2026年に向けてのAI活用の本格化という外部要因は、脱Excelという積年の課題に終止符を打つための強力な追い風になる。情シス部長は、この機会を逃すことなく、組織をExcelという名のブラックボックスから解放し、透明性と機動力のある真のデジタル企業へと導くべきだ。ITの力で組織を強くすることは、単にシステムを導入することではなく、社員一人ひとりが正しいデータに基づき、確信を持って意思決定できる環境を整えることに他ならない。

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