スプレッドシートから「唯一の真実」へ
現場の「データ散落」をどう救う? 航空機整備大手が「単なる外注」を拒んだ理由
航空需要の急回復に直面したSAESLは、分散したデータと旧来の管理体制からの脱却を決断。Kyndrylをパートナーに迎え、ITとOTの融合や24件ものAI活用を推進している。契約交渉時間を50%削減し、15年落ちの設備さえも可視化させたDX手法とは?
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック後、空の旅が活気を取り戻した。シンガポールのSingapore Aero Engine Services(SAESL)は、歓迎すべき課題に直面していた。それは、航空機エンジンのメンテナンス、修理、オーバーホール(MRO)サービスへの需要急増に、いかに迅速に対応するかだ。
SAESLは、Rolls-RoyceとSIAエンジニアリングによるシンガポール拠点の合弁会社だ。同社はRolls-Royce製「Trent」エンジンの世界最大のMRO施設である。世界中の「Airbus A350」「Boeing 787」「Airbus A380」などの大型双通路機に搭載されているエンジンの約30%を扱っている。
同社の2025年の売上高は10億ドルを上回った。従業員数は2022年の1500人から現在は約2200人へと増加した。同期間の業務量も20~30%拡大している。
SAESLで戦略、プロジェクト管理、デジタル部門のバイスプレジデントを務めるシャラエル・タハ氏は語る。「当社の課題は、規模を拡大し、最新世代の製品ポートフォリオへ移行することだった。生産性と収益性を維持しつつ、最新技術を活用しなければならなかった」
その実現に向け、SAESLは単なるサプライヤー以上の存在が必要だと判断した。「当初から、単なる取引先ではなく、ともに成長できるパートナーが必要だと考えていた」とタハ氏は言う。こうして2022年、IBMのインフラストラクチャー・サービス事業が分社化して誕生した独立系ITインフラサービスプロバイダーKyndrylとの提携が始まった。
スプレッドシートから「唯一の真実」へ
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SAESLの変革は、オンプレミスのIT資産とスプレッドシートに分散したデータから始まった。「データを結び付けてビジネスの洞察を得ることは非常に困難だった」とタハ氏は振り返る。同社には、統合すべきデータを持つ業務プログラムが77以上存在していた。
急増するデータとストレージの要件に対応するため、SAESLはKyndrylとともにオンプレミスとクラウドのインフラを再編した。さらに、現場から経営陣までの意思決定を支える「信頼できる唯一の情報源(SSOT)」としてデータレイクを構築した。
同時に、25年の歴史で新旧の機器が混在するITと運用技術(Operational Technology:OT)の統合も行う必要があった。「10年から15年前の機械で稼働している重要なプロセスもある。技術フェーズが異なる機械が混在する中で、いかにビジネスの洞察を引き出すかが課題だった」とタハ氏は説明する。
SAESLはまず、デジタルツインを通じて使用状況を監視するために、縦型旋盤やプラズマスプレーシステム、5軸CNC工作機械、溶接機などのOT設備を接続した。このデータは、パンデミック後の状況下で、新しい機械への投資を正当化する根拠となった。
このOT基盤は、拡張を続けるSAESLの拠点の生命線となっている。今後は、自動倉庫や自律走行搬送ロボット(AMR)による部品運搬が導入される。さらに、積層造形技術を用いてチタンなどの材料をエンジン部品に成形する高度な修理セルも稼働する予定だ。
インフラ整備に加え、SAESLは新ERPシステムへの移行前に18カ月かけて業務プロセスを再設計した。製造実行システム(MES)や倉庫管理システム(WMS)の導入も進めている。将来の業務プロセスを定義することで、各技術プラットフォームの役割とシステム間の連携箇所を明確にした。
「技術ではなく、プロセスが先だ」とタハ氏は強調する。「ソフトウェアベンダーはどこも『エンドツーエンドで何でもできる』と言うだろう。パートナーを選ぶ組織にとって、自分たちが何をしたいのかを定義することが重要だ」
現場とバックオフィスでのAI活用
SAESLのAI活用もKyndrylを通じて始まった。Googleの「AI Cloud Takeoff」プログラムを活用し、初期のユースケースに向けた実用最小限の製品(MVP)を開発した。
最初の成果の1つが、サービス取引基本契約(MSA)の確認作業の自動化だ。Kyndrylのクライアントマネジメント責任者であるニーラジ・マルホトラ氏は言う。「法務や調達チームは契約の確認作業に膨大な時間を費やしていた。AIが標準条項とベンダー提示条項を比較し、修正案を提示するようにしたところ、契約交渉の時間を50%短縮できた」
タハ氏は、この影響を過小評価すべきではないと語る。「契約を迅速に進めることは重要な目標の1つだ。リードタイムを50%削減できたことで、市場でより素早く動けるようになった」
現在、SAESLは24のAIユースケースに取り組んでいる。これにはAIによるエンジン部品の画像検査も含まれる。2025年9月にはシンガポール科学技術研究庁(A*Star)と提携し、製造業向けのAIセンター・オブ・エクセレンス(CoE)となる契約を締結した。
また、同社はAIガバナンス戦略の策定でもキンドリルを頼りにした。「AIをどこで使用できるかを明確に定義している。機械が検出し観察することはできるが、最終的な決定は人間が行わなければならない」とタハ氏は述べる。
脅威の全体像を監視する
デジタル化の進展により攻撃対象領域が拡大する中、SAESLはKyndrylと協力してセキュリティオペレーションセンター(SOC)を立ち上げ、インフラの堅牢(けんろう)化も進めている。タハ氏は、日々の運用だけでなく、自律型AI(エージェンティックAI)などの新たなリスクを含む、Kyndrylの先見的な知見を評価している。
「製造業にとって、サイバーセキュリティは必ずしも核となる能力ではない。だからこそ、ビジネスリスクをともに管理してくれるパートナーを求めている」とタハ氏は語る。
このパートナーシップは、従来のサービス管理から、AI主導の運用プラットフォーム「Kyndryl Bridge」を用いた予防的なインフラ管理へと進化している。セキュリティからネットワーク、AIまで、多様なスキルを持つキンドリルのスタッフがSAESLに派遣され、組織の能力向上に寄与している。
タハ氏にとって、この交流こそが「調達」と「パートナーシップ」を分ける違いだ。「『これが必要だから見積もりをくれ』という従来の関係ではない。能力をともに開発していくパートナーシップなのだ」
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