セキュリティ負債を生む古い運用
Netflixが実践する“止めない”運用術 「全面デプロイ凍結」はむしろ危険?
大規模イベント時にシステムの安全を守るため、変更作業を止める「デプロイ全面凍結」は一般的な手法だ。しかし、Netflixはこの運用を廃止した。安全なはずの凍結が生み出す、深刻な「負債」とは。
大規模なサービスローンチやグローバルなライブイベントを控えた際、サービス事業者はシステムの安定性を確保するために「全面的なデプロイ凍結」を実施する場合がある。システムに変更を加えなければ、新たな障害が発生するリスクを極小化できるからだ。
しかし、動画配信サービスを手掛けるNetflixは、この従来型のアプローチから脱却を図った。デプロイの全面凍結は表面的な安全をもたらす一方で、4つの深刻な弊害を生み出していたという。
1つ目は、イノベーションの減速だ。エンジニアは機能開発やバグ修正を続けるが、本番環境へのリリースができないため変更が滞留してしまう。2つ目は、凍結解除後のリスク増大だ。凍結期間が終わると同時に、たまっていた大量の変更が一斉にデプロイされるため、障害が発生した際の原因特定が困難になる。3つ目は、運用上の負担だ。SRE(サイト信頼性エンジニア)やリリースエンジニアが、開発チームから「どうしてもリリースさせてほしい」と頼まれる「門番」のような役割を強いられ、大きな負担となる。4つ目は、セキュリティパッチの適用も保留されてしまう「セキュリティ負債」の蓄積だ。
Netflixはいかにしてこの問題を乗り越え、重要なイベント期間中であっても安全に変更をリリースできるシステムを構築したのか。同社が実践する「リスクベースのリリース手法」の詳細を解説する。
デプロイ凍結が招く深刻な“弊害”
2026年3月開催のカンファレンス「SREcon26 Americas」において、NetflixのSREであるプラチ・ジェイン氏と、テクニカルプログラムマネジャーのサンディヤ・ナラヤン氏は、「Beyond Blanket Freezes: Enabling Safe Innovation During Critical Events at Netflix」と題するセッションに登壇した。
かつてのNetflixも、注目が集まるグローバルな作品の公開時などのタイミングには、「静穏期間」と称してデプロイを凍結していた。しかしナラヤン氏は、凍結を解除した直後に何百もの変更が一度に適用される状況を「干し草の山から針を探すようなものだ」と表現し、障害発生時に原因を特定する難しさを指摘する。セキュリティパッチの適用が遅れることで、コンプライアンス上の重大な問題を引き起こす懸念もあった。
そこでNetflixが導入したのは、提供する機能やサービスごとにリスクを分類し、それに応じた制約を設けるアプローチだ。同社は自社の全サービスを単一の基準で扱うことをやめ、障害発生時の影響範囲に基づいて「Tier」(階層)を設定した。
具体的には、動画再生ボタンやログイン機能など、停止すればエンドユーザーに直接的な被害が及ぶ基幹機能を「Tier 0」(クリティカル)に分類する。これに付随する影響度が高い機能を「Tier 1」、遅延や一時的な停止であれば即座にエンドユーザーの目に触れないインフラ関連システムを「Tier 2」、社内ツールなどの内部向け機能を「Tier 3」と定義した。これによって、内部ツールなどのリスクが低い機能は、大型イベントの最中でも滞りなくデプロイを継続できるようになった。
各サービスが持つ固有のリスクだけではなく、実行しようとしている個別の変更自体が持つリスクを計測する仕組みも取り入れている。パイプラインの信頼性、テストの網羅性、過去のデプロイ失敗頻度とその際の影響範囲、変更プログラムの規模といった4つの指標を「リスクシグナル」として定量化し、客観的なデータに基づいた判断を下す仕組みを構築した。ジェイン氏は「これから取り組みを始める企業は、まず『デプロイの失敗頻度』と『失敗時の影響範囲』という2つのシグナルを計測することから始めてほしい」と推奨する。
安全性を裏付ける3つのレジリエンス戦術
システムの変更を安全に適用するため、Netflixは3つの戦術を組み合わせてデプロイの信頼性を高めている。
- カナリアリリース
- システムの変更内容を全エンドユーザーに対して一斉に適用するのではなく、ごく一部のトラフィックのみを新しいバージョンに振り分け、エラー率やパフォーマンスの推移を監視する。問題がなければ段階的に適用範囲を拡大する。
- リージョンごとの段階的デプロイ
- ある特定のリージョンに変更を適用して評価期間を設け、正常稼働が確認されてから別のリージョンに展開する。仮に未知の不具合が潜んでいても、その影響が全世界に波及するのを防ぐことができる。
- シンセティックテスト
- 動画の再生やログインといった一連の重要な操作について、疑似的なトラフィックを用いて自動的に検証し、実際の稼働システムでの動作を保証する。
SREをボトルネックにしない自動判定
これらのリスク分類とレジリエンス戦術を組み合わせ、Netflixはデプロイ可否の判断を自動化している。同社は独自のスコアカードを用意し、イベントの重要度、サービスのTier、リスクシグナル、デプロイ戦術の4要素から総合的に判定を下す。
一定の基準を満たした変更は、人間が手動で承認することなく、システムのパイプライン上で自動的にデプロイが許可される。SREや運用担当者が承認のボトルネックになるのを防ぎ、開発者は自律的に作業を進めることが可能になる。一方、リスクが高いと判断された場合は自動でブロックされ、開発チームに対してカナリアリリースの追加など、より強固な安全策を講じるようシステムが促す仕組みになっている。
ナラヤン氏は、大規模イベントが終了した後に実施するフィードバックの重要性を強調する。同氏は「イベント後にデプロイの成否を分析し、Tier分類が実態と合致していたかどうか、リスクシグナルの閾値が適切だったかどうかを評価し、必要であればパイプラインの設定を見直している」と説明する。イベントを経験するたびにシステム自身が賢くなり、より安全かつ迅速なデプロイシステムへと進化し続けているのだ。
ビジネスの要求スピードが高まる中、リスクを恐れて変化を止めるアプローチはもはや通用しない。「数年がかりのシステムの刷新を待つ必要はない。小さく始めて拡張することが重要だ」とジェイン氏が語る通り、独自の基準でリスクを可視化し、システムによる自動制御を取り入れたNetflixの取り組みは、安全なシステム運用と迅速な開発を両立させたいIT部門にとって、重要な道しるべになるだろう。
本稿は、USENIXが2026年4月24日に公開した動画「SREcon26 Americas - Beyond Blanket Freezes: Enabling Safe Innovation During Critical Events at...」を基に作成しました。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
本記事は制作段階でChatGPT等の生成系AIサービスを利用していますが、文責は編集部に帰属します。
関連記事
新着ホワイトペーパー PR
-
製品資料
[株式会社MatrixFlow] 「物流リソース最適化」ガイド:人員・配車・傭車を出庫依頼の確定前に決めきる -
製品資料
[株式会社キーエンス] なぜRPA導入は頓挫する? シナリオ作成の壁を乗り越える解決策とは -
製品資料
[株式会社セールスフォース・ジャパン] 「CRMは設計と無関係」は本当か? PLMとの融合で実現する高速開発 -
事例
[日本ヒューレット・パッカード合同会社] AIエージェントの時代にどう備える? 「新たな働き手」を支える3要素とは -
製品資料
[日本ヒューレット・パッカード合同会社] “横並びの自動化”から脱却、AI活用で生産性と競争力を高める秘訣
こんなメディアも見られています
TechTargetジャパンに関連する情報をお探しであれば、こちらのメディアもお役に立てるかもしれません。
ベンダーコンテンツ PR
From Informa TechTarget
SpecialPR
アクセスランキング
-
1
ChatGPTは“検索しまくり”でGeminiは“淡泊”? データが明かすAIの裏側
-
2
なぜ「全社配布Copilot」は使われないのか? 失敗に学ぶAI定着
-
3
法務と開発者で「言葉が通じない」問題 トヨタやソニーが語るOSS管理の真実
-
4
「IBM iはDXのボトルネック」は誤解 意外と知らない今風モダナイズの効果
-
5
「朝8時にバッチが終わらない」データ爆発の危機をJPX総研はどう乗り越えたか
-
6
損保ジャパンはなぜ「COBOL」を捨てなかったのか? 脱メインフレームの真相
-
7
AI導入後に発覚する「社内文書を読めない」問題 情シスは何を直せばいい?
-
8
情シスの約8割が転職や退職を意識 調査で分かった“辞めたくなる最大の理由”
-
9
「中堅・中小企業のネットワーク・セキュリティ運用実態」に関するアンケート
-
10
IT製品の導入に関するアンケート「PC&デバイス」編
ホワイトペーパーランキング PR
-
1
不審メールの経路や見せ方に変化? 2026年夏の3事例から見えた動向と対処方法
-
2
家庭用Wi-Fiルーターの業務利用は危険? 避けるべき理由と具体的な対策
-
3
Microsoft 365を安全に運用 うっかりミスやサイバー攻撃に備えるデータ保護術
-
4
プログラミング不要で誰でも実現できる、ネットワーク運用管理の自動化とは
-
5
財務部門がAIを最大限に活用する方法 無駄のない戦略的リーダーシップへの道
-
6
LLMが兵器化? 元FBI高官が鳴らす警鐘とセキュリティツール統合のポイント
-
7
なぜRPA導入は頓挫する? シナリオ作成の壁を乗り越える解決策とは
-
8
HDDを使わない「SSDオンリー」が無謀なのはなぜ?
-
9
「オンプレミス回帰」せざるを得ない“合理的な理由”
-
10
“あのファイル転送”で暗躍するノーウェアランサム
TechTargetジャパン SNS
インフォメーション
注目情報をチェック
TechTargetジャパンをフォロー