バブル世代と氷河期世代の退職
「5年で担当者が定年」 CIOが震えたリスク、属人化した暗黙知をどう継承するか
システムの独自設定やトラブル対処法など、経験豊富なITエンジニアの頭の中にしかない暗黙知が失われることは事業継続に影響し得るリスクだ。「暗黙知の喪失」という脅威に対し、企業はどのように備えるべきか。
熟練したITエンジニアが退職すると、重要なIT関連の知識も同時に失われる傾向にある。バブル世代や就職氷河期世代に当たる、システムの初期構築に関わったベテランエンジニアが次々に定年を迎える中、重要システムを動かし続けてきた人材を失う危険性が高まっている。これらの従業員が持つ、文書化されていない専門知識や判断力、過去の経緯といった情報は、退職と共に企業から消え去ってしまう。知識喪失のリスクは水面下で静かに進行し、やがてシステムの停止や移行の失敗を引き起こす。
システム保守サービスベンダーRimini StreetのCIO(最高情報責任者)であるジョー・ロカンドロ氏に、属人的なナレッジの喪失を企業全体のリスクとして捉えるべき理由と、その解決策について話を聞いた。
システムの属人化はサイバー攻撃と同等の経営リスク
―― ベテランエンジニアが定年を迎える際、CIOはどのような危険に直面しますか。
ロカンドロ氏 経験豊富なITエンジニアが企業を去るとき、単にその個人の労働力が失われるだけではない。システムの背後にある膨大な暗黙知や背景、細かなニュアンスも失うことになる。私は知識の喪失を、技術的負債やサイバーセキュリティ、事業継続計画(BCP)と同等に重大な経営課題として位置付けている。厄介なのは、企業が人員削減や人事異動を実施したり、人が退職したりしても、その影響がすぐには表面化しないことだ。問題が起きるまで、水面下で少しずつ蓄積していく。
マニュアルを残さず、担当者の頭の中にしか知識がない「属人化の極みにある専門家」は、公式メーカーの保守が切れたアプリケーションと同じくらい、事業にとって大きな脅威だ。ドキュメントではシステムが安定しているように見えても、実際の運用に関する知識は限られた人だけが握っている。独自のカスタマイズや一元化、トラブル対処策、他システムへの波及効果などを熟知しているのは、ごく一部の担当者に限られる。だからこそ、担当者の退職を事業上の脅威として明確に定義する必要がある。
―― ベテランエンジニアが退職する際、システムの中で最も影響を受けやすいのはどの部分ですか。
ロカンドロ氏 ミッションクリティカルなシステムであり、企業はそれらを特定しなければならない。前の職場で技術的負債を調査した際には、ダウンした場合に顧客や製造現場への影響が大きいシステムを全て洗い出した。洗い出したシステムの一部は1990年代から2000年代初頭に開発されたものだった。仕組みを知っている人がごくわずかであり、特定の担当者が不在になるとシステムが止まる単一障害点が幾つも見つかった。
そこで私たちは、企業が抱える潜在的なリスクを一覧化したリスクレジスターに「これらのシステムは刷新するか、維持体制を整える必要がある」と記載した。具体的な対策はそこから始まったのだ。
マニュアルには残らない「暗黙知」を対話で引き出す
―― CIOは、どこで重要な知識を失う危険性が最も高いかをどのように見極めればよいですか。
ロカンドロ氏 運用手順書などの公式ドキュメントにはさまざまな記録が残っているものの、暗黙知が欠けている。ベテランエンジニアは、なぜその設定にしたのか、なぜそのトラブル対処策を取ったのかという理由を理解している。日々の運用で問題が起きた際も、何を避けるべきかを心得ている。
単に手順を記録するだけでは解決しない。経験に基づく判断基準を文章化することは極めて困難だ。「どのような妥協案を選択したか」などの暗黙知をいかに把握して管理可能にするかが、CIOにとっての真の課題となる。
ベテランエンジニアはよく「この10年で同じ現象を3回見た。対処法は分かっている」と口にする。ドキュメントに書かれた最新かどうかも分からない情報と、暗黙の経験の差は大きい。
―― 暗黙知を記録するとは、具体的にどのような作業ですか。
ロカンドロ氏 暗黙知は語り継がれることで伝承されてきた。私の経験上、物語として語り継ぐことこそが、次世代へノウハウを伝える最良の手法だと考えている。いきなり文書作成に取り掛かるのではなく、ワークショップを開くことを推奨する。
技術的なリスクの分布図を作るのと同様に、ナレッジの分布状況も図式化すべきだ。どの業務プロセスが最も重要かを見極め、誰が責任者で、誰がそれを運用しているかを検討する。人が退職したり、人員削減を実施したり、M&A(企業合併・買収)を実施したりするずっと前から準備を始め、彼らに体験談を語ってもらう。資料を見直してもらったり、失敗したときの経験やトラブル対処策、そうした判断に至った論理的な理由を話してもらうのだ。
私は前職で、こうした対話の場を録音し始めた。昨今はAIモデルの文章処理能力が飛躍的に向上しており、会話を文字に起こして記録し、ドキュメントの不足分を補えるようになっている。これによって、運用手順書などの公式ドキュメントと、ワークショップの記録という、2種類の記録物が完成することになる。後者には、システムがどう動くか、下流のシステムとどう連携するか、何をすべきで何をすべきでないかが記されている。
計画的な情報抽出
―― CIOは退職が近い人の話を記録するだけでよいのでしょうか。それとも、日常的にエンジニアの話を記録すべきでしょうか。
ロカンドロ氏 単一障害点を特定したら、定期的に情報抽出を実施すべきだ。しかし、大半の企業ではCIOやエンジニアがハードウェアやソフトウェア、日々の保守業務に追われているため、情報の記録を習慣化できず、必要に迫られたときしかしない傾向にある。この現状は変えなければならない。
労働力の高齢化が進行している。ミッションクリティカルなシステムの大部分は、1990年代のシステム黎明(れいめい)期から携わる、50~60代のベテランエンジニアによって運用されているからだ。
IT分野にはデジタライゼーションやシステム変革、新たな構成への移行が必要不可欠であることも明白だ。つまり、今すぐ計画を立て始める必要がある。
私が自社の重要な基幹システムを特定し、それを運用する人々の年齢構成と照らし合わせたところ、5年以内に数多くの担当者が定年を迎えることが判明した。そこで当社の経営陣に対し、社内の属人的なナレッジが失われる危険性があると警告した。仮に新しいシステムに移行しようとしても3~5年はかかり、その間に現行システムを運用している大半の人が定年を迎えてしまう計算だったためだ。だからこそ、その危険性を減らすための計画が必要だった。5、6年先を見据えた計画を立ててみると、どれほど多くの人が業務の極端な属人化を引き起こしているかを知り、身震いする思いだった。
セカンドライフの支援とAI活用
―― IT業界では知識の抱え込みがたびたび起きています。CIOはどうすれば従業員にノウハウの共有を促せますか。
ロカンドロ氏 この問題に対し、対象となる従業員と話し合いの場を設けた。定年後にセカンドライフを満喫したいという希望を理解していると伝えた上で、退職の2、3年前から対話を重ねた。「あなたが安心して退職後の生活へとスムーズに移行できるよう、今のうちにノウハウを文書化する作業を一緒に進めたい」と持ちかけたのだ。
われわれが抱えていたのは非常に特殊なシステムであり、仕組みを知っているのは本人を含めてごくわずかしかいなかった。再雇用で無理に引き留めたり、退職後にトラブルで何度も呼び出したりして煩わせる事態は避けたかった。次の人生に向けた準備を企業が後押ししていると伝え、安心してもらうことが大切だ。
とはいえ、中には退職を望まず、そのまま働き続け、退職に向けた引き継ぎに乗り気ではない人もいる。そうした人に対しては、暗黙知を引き出すために別の方法を取る。過去の会議の議事録や保守履歴、プロジェクトの記録を全て洗い出すのだ。
ここでAIツールが「優秀な司書」になり得る。具体的には、AIツールに対して、過去10年分のサービスチケットなどのドキュメントを読み込み、不具合と修正内容を要約するよう指示を出す。改修や機能追加の全プロジェクトを確認し、何が起き、なぜその作業を実施したのかという論理的な理由をまとめて文書化するよう命じることも可能だ。これによって、一昔前には不可能だった大規模な情報収集が実現する。社内に散らばった断片的な情報から、ナレッジリポジトリ(保管庫)の構築を始められる。
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