TPP交渉参加で日本の医療は変わるのか?(第3回)
TPPに参加するとジェネリック薬品は使えなくなるの?
TPP交渉において「医薬品の問題」は参加国の中で意見の隔たりが最も大きな分野の1つだ。そこには「新薬メーカー」と「ジェネリック薬メーカー」との間の利害の衝突が絡んでくる。
TPP(環太平洋パートナーシップ)協定の交渉への参加により、影響を受けると指摘されている分野の1つが医療分野。前回の「TPP交渉のよくある誤解、『国民皆保険』はなくなるの?」では「国民皆保険制度」「混合診療」「企業の病院経営参入」などの論点を整理した。今回は、交渉対象となり得る「医薬品特許」や「薬価」について考えてみる。
連載:TPP交渉参加で日本の医療は変わるのか?
知的財産権問題は貿易自由化交渉の主要課題の1つ
貿易自由化と知的財産権の問題とは、どのような関係にあるのだろうか。特許、商標、著作権といった知的財産権制度は各国固有の国内制度ではあるが、20世紀後半以降、世界レベルで最もルールの統一が進んだ分野の1つである。IT製品や医薬品、あるいは映画や音楽のコンテンツは、最先端のものが瞬時に世界に広がり取引される。そのため、各国の知的財産保護制度が異なっていると、技術やコンテンツを保有する企業や個人は、それらを制度の整っていない国に提供することをためらうようになる。あるいは、模倣品や海賊版が横行してしまえば、本来その知的財産から得られる対価が十分に獲得できなくなる。
1995年に発足したWTO(世界貿易機関)は「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS)を定めている。これにより、国際貿易を行うに当たり、WTO加盟国は知的財産権に関して一定の保護措置を講じることが義務付けられた。近年の二国間自由貿易協定(FTA)やTPPにおいては、先進国を中心にTRIPS協定をさらに深化させ、知的財産権の保護ルールを強化しようという動きが見られる。
ジェネリック薬が使えなくなるのか
TPP交渉の中で、特に市民社会からの関心の高い事項が「TPPに参加するとジェネリック薬(特許期間の過ぎた後発医薬品)が使えなくなる」という点である。この問題は、ニュージーランドの市民団体などから指摘されることが多い。彼らの主張によると、米国の特許制度は、ある医薬品が特許期間中(20年)に別の効能があることが分かり、その効能について特許が取得されると、製品全体の特許期間が延長される。そのため、いつまでたってもジェネリック薬を製造・販売できなくなり、TPPに参加するとこうした制度が押し付けられるというものである。
米国の製薬業界といえば、世界で最も進んだ研究開発力と大きな収益性を背景に、貿易自由化交渉に対して最も大きな発言力を有している業界である。そのため、医薬品分野に関する米国の主張は、TPP交渉において極めて大きな影響力を有していると捉えられている。
この問題がニュージーランドから指摘される背景には、ニュージーランドの医薬品業界には主だった新薬メーカーが存在せず、外資系新薬メーカー(輸入販売)と地場のジェネリック薬メーカーによって市場が構成されているという事情が存在している。そもそも、製薬会社が新薬を開発するに当たり、研究開発の途上で特定の医薬品が複数の効能を持つことが分かると、それぞれについて特許を取得することが頻繁にある。その場合、他社に権利を行使されないよう、特許を取得しやすい効能から先に特許出願・登録が行われ、治験に時間がかかる効能については後から特許出願・登録が行われることになる。
こうした流れ自体は新薬開発の世界ではごく一般的なことであり、日米の特許法ではこうした特許取得が可能になっている。一方、新薬メーカーが存在していない国においては、特定の医薬品において、別の効能の発見を理由に特許期間を延長するということを想定していない。そのため米国が、制度を持たない国に対して、TPP交渉の中で特許制度の変更を求めるという構図になるのだ。
しかし、上記の理由から「TPPに参加すると、米国の製薬メーカーが開発した新薬の特許はどんどん排他的使用期間が拡大され、ジェネリック薬を製造・販売できなくなる」というのは、誤解である。あくまで特定の効能の特許期間は「20年」であり、その期間が終了すればジェネリック薬は製造・販売可能となる。後述の「特許期間の回復制度」でも最長25年である。当該医薬品の別の効能について、引き続き特許は継続しているが、特許の切れた効能についても特許が延長されるわけではない。
「日米対その他」の構図になるのか
世界の新薬市場は、米国、欧州、日本の三極が主導権を握っている。三極は、医薬品に関する特許制度も共通化されている部分が多く、TPP交渉においては後から加わった日本が米国の主張を後押しする形になるものと思われる。国内に新薬開発企業が存在しているカナダやシンガポール、豪州は既に米国とFTAを締結していることもあり、米国寄りのスタンスを取るだろう。
日米が他のTPP交渉参加国に対して主張するポイントは、「特許期間の回復制度の導入」「データ保護期間の確保」「パテントリンケージ制度の導入」という3点である。
まず、「特許期間の回復制度」。通常、新薬の場合、特許出願・登録後に新薬としての承認が得られて市場に提供されるまでに10年以上かかるケースが多い。そのため、新薬として実質的に特許権が保護される期間は10年を下回る場合がある。これを受けて、日米欧諸国では、新薬の臨床試験や承認審査のために特許権を行使できなくなった期間を回復する制度を設けている(最長5年)。こうした制度の導入は、ジェネリック薬の製造・販売をできるだけ早く開始したい他のTPP交渉参加国との対立点となっている。
次に「データ保護期間の確保」。上記の特許期間の回復制度とも密接に関係している。欧米主要国においては、新薬の承認データは営業秘密として承認後も一定期間は保護されることになっている。日本の場合、新薬の承認後も有効性・安全性を再確認するための使用成績調査がメーカーに義務付けられており、この再審査期間(通常は8年)でジェネリック薬の承認申請を行うには、新薬と同等の治験データが必要となっている。TPP交渉において、日米両国は、医薬品のデータ保護期間の定めのない国に制度の導入を要求していくことになるであろう。
3つ目の「パテントリンケージ制度」とは、「特許侵害訴訟の発生を避けるため、新薬の特許が存続する期間中はジェネリック薬に対して承認を与えない」ことを審査当局に義務付ける制度である。新薬に関する特許の存在を考慮せずにジェネリック薬の承認が行われる国が途上国を中心にまだ少なからず存在している。日米ともにこの制度が存在していない国に対して導入を求めていくものと考えられる。やはりここでも新薬メーカーとジェネリック薬メーカーとの利害が対立することとなる。
| 医薬品データ保護期間 | 特許期間回復制度 | パテントリンケージ | |
|---|---|---|---|
| 日本の状況 | 新薬の再審査期間 4年(新用量・用法・効能追加) 8年(新有効成分) 10年(希少疾患用) |
医薬、農薬、診断薬 最長5年 |
承認時に厚生労働省が確認、薬価収載時に企業間で調整 |
| 米国の状況 | 3年(新用量・用法・効能追加) 5年(新有効成分) 7年(希少疾患用) 12年(バイオ医薬品) 6カ月(小児適用追加) |
医薬、医療機器 最長5年 |
訴訟で解決 |
| 日米のTPPでの主張 | データ保護期間(例えば8年)の設定 | 特許期間回復制度の導入 | 承認前に特許問題を解決するパテントリンケージ制度の導入 |
| 途上国などの反応 | ジェネリック薬の製造・販売が困難になる(あるいは製造・販売が遅くなる) | ||
現時点において上記に関する日米の制度が必ずしも完全に共通化されている訳ではなく、どの国の制度をモデルとするかという点に対立点が存在し得る。また日米両国ともに国内に新薬メーカーとジェネリック薬メーカーを抱えているため、TPP協定交渉においても両国が一丸となって制度の導入を参加国に求めていけるかどうかは確かではない。こうした問題は存在しているものの、医療に関連したTPP交渉上の論点としては「世界最先端の保護基準の導入」が、最も大きな論争点となるであろう。
薬価は引き上げられるのか
医薬品に関連して、TPPに参加すると「日本の薬価制度が見直され、薬価そのものが高く算定されて国民負担が拡大するのではないか」という懸念がある。確かに、公的医療保険制度が確立されていない米国の製薬メーカーにとっては、日本をはじめとする薬価制度を持つ国の制度は余計なものと映るであろうし、薬価は高いほど利益につながると考えてもおかしくはない。しかし、薬価制度そのものについては大きな論点にはならないと思われる。
日本企業を含め、新薬メーカーは「薬価は高ければ高いほど良い」と考えている訳ではない。高すぎる価格の医薬品は医師も患者も使いたがらない。特に企業が保険会社と契約を結んでいる米国においては、高額な医薬品を使いたがる医師や病院は、民間の医療保険の適用対象から除外されてしまう可能性がある。日本においても、公的な薬価制度の下で医薬品価格が低く抑えられていても、広く病院で用いられることによって国民にその医薬品が認知され、利益を確保できると新薬メーカーは考えている。
ただし、新薬メーカーとしても「薬価の引き下げ」については注文があるようだ。日本の薬価は、国民医療費の拡大に伴い、2年に一度の見直し時期に引き下げられる傾向にある。そのため、特許の保護期間、すなわち排他的に権利を実行できる期間はせめて薬価を引き下げないでほしいという要望を持っている。少子高齢化が進展する日本において、特許期間中の薬価水準の据え置きは悩ましい課題ではあるが、これは日米の新薬メーカーがともに要望していることであり、米国だけが特別に日本市場に対して注文を付けているものではない。
注意が必要なのは、日本は世界の中でも新薬メーカーの開発力が強く、医薬品関連の貿易ルールの導入に関しては米国とほぼ利害が一致しているということだ。逆に、ジェネリック薬メーカーが中心の国においては、外資系新薬メーカーとの間で利害の対立があり、薬価制度についても国内の製薬企業や国民(患者)を優先するあまり、外国企業から「市場が閉鎖的であり、制度変更が必要」と見られがちである。TPP交渉によって日本の医薬品関連制度の大幅な制度変更が求められる可能性は低いと考えられるが、日本の新薬メーカーが米国と一緒にTPP交渉において要求する事項が実現するかどうかは交渉次第である。
次回は、医師や看護師などの人材流入の問題や、企業が国家を訴える「ISD条項」について整理する。
著者紹介
小田 正規(おだ まさき)青山学院大学WTO研究センター客員研究員
東京外国語大学外国語学部英米語学科卒、慶応義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了。1991年に(株)三和総合研究所(現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング(株))に入社、通商政策、アジア経済分野の調査に従事。2009年~2012年には内閣官房国家戦略室において成長戦略、TPP交渉参加問題を含む通商政策の立案において中心的役割を果たす。
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