プライバシー守りたし、命は惜しし
テロが絶えない時代だからこそ、これからの「暗号化」の話をしよう
暗号化技術の普及に伴い、米連邦捜査局(FBI)が必要な情報にアクセスできないという問題が浮上している。IT企業はデータ保護には暗号化が必須だと主張しているが、人々の安全を危険にさらすという問題もある。
米中央情報局(CIA)のジョン・ブレナン長官はパリやベイルートなどで大規模テロが起きた数日後の2015年11月16日、世界中でテロが絶えない今の時代における米政府の監視活動についての見解を険しい表情で語った。
長官は記者会見で、「潜在的テロリストの監視に際し、政府は新たな難題に直面している」と指摘。このような複雑な状況の背景には、エドワード・スノーデン氏が米国家安全保障局(NSA)による極秘情報収集活動を暴露したこと、政府による監視の強化に対して議員や一般市民が抱いている不安感、対テロ戦争においてエンドツーエンド暗号化(E2EE:End to End Encryption)技術が果たす役割などの影響がある。最近では、パリ同時多発テロの捜査が進む中で通信の暗号化が再び注目を集めている。
E2EEとは、テキストメッセージ、メール、動画チャットなどのデータに第三者がアクセスできないよう、保存データと転送中データを暗号化する方法のことだ。データは目的地に到達してからでなければ解読できない。こうした技術が広がりを見せる背景には、ハードウェアなどの有形物ではなく製品デザインやコンセプトといった知的財産を生み出す米国企業が増加していることがある。また、さまざまなサイバーセキュリティ脅威や政府による過度の監視から身を守るための最新機能を搭載した製品に対する需要が高まるにつれ、E2EEは米Appleなどのテクノロジー企業が自社製品の差別化を図る上でも重要な役割を担うようになっている。
ただしE2EE技術が普及するということは、犯罪者もこの技術を活用できるということだ。
最近の一連のテロ事件でE2EEがどのような役割を果たしたかについては、フランス当局も米当局も決定的な証拠をつかんでいない。それにもかかわらず、政府情報機関とシリコンバレーのIT企業の間では、政府監視の度合いや、政府の対テロ作戦にとって暗号化がいかにマイナスかをめぐる議論が再燃している。
こうした議論のただ中で、多くの企業は板ばさみの状態にある。自社の知的財産を守り、顧客データのプライバシーを保護することと、捜査当局がサイバー犯罪やテロの脅威から国民を守れるよう監視や捜査に協力することを、どうにかして両立させなければならないからだ。
この問題に明確な答えはない。サイバーセキュリティ団体の米Advanced Cyber Security Center(ACSC)がボストンでカンファレンスを開催したのは、パリでのテロ事件を受けて暗号化をめぐる議論が再燃する前のまだ11月上旬のことだったが、このときのパネルディスカッションでも専門家らがビジネスの観点から暗号化の功罪を議論した。
パネリストの1人で、サイバーセキュリティポリシーを専門とする米ウースター工科大学(WPI)のスーザン・ランドー教授は次のように語る。「知的財産を生み出している企業は情報を保護する必要がある。あらゆるところでだ。私物の携帯電話だけでなく、社員が仕事に使っている携帯電話も保護しなければならない」
同じくパネリストを務めた米Cisco Systemsの幹部によれば、同社のようなグローバルIT企業にとっては、顧客からの信頼が重要かつ不可欠だという。
「信頼性で差別化を図れることは、当社にとって本当に重要なことだ。当社の技術と能力に対する信頼だ。コストだけで競争すれば、そうは勝てない。太刀打ちできないような方法でコストを抑えられる競合企業が他に存在しているからだ」とCiscoのサイバーセキュリティ/プライバシー/グローバル政府業務担当ディレクター、エリック・ウェンガー氏は語る。
暗号化と“ゴーイングダーク”問題
さらにウェンガー氏によれば、暗号化などのセキュリティ技術の普及はCiscoや競合各社に多大な経済的恩恵をもたらすという。
ただし、E2EEは代償を伴う。暗号化の普及がもたらした問題の1つに、米連邦捜査局(FBI)が“ゴーイングダーク”(訳注:英語は“Going Dark”で、「姿が見えなくなる」の意)と呼ぶものがある。正当な法的権限を有している場合ですら、捜査当局が企業のネットワーク上にあるデータや情報にアクセスすることが徐々に難しくなっているという問題だ。
パネリストの1人、FBI法務顧問のジェームズ・ベイカー氏は「こうした状況は公共の安全をリスクにさらすことにつながる」と指摘する。
「FBIのテロ対策に失敗は許されない。米国でテロ事件を起こすわけにはいかない。だからこそ、悪い輩が身を潜めているであろう暗闇を監視できないというのは極めて恐ろしいことだ」と同氏は語る。
FBIが特に懸念しているのは、過激派組織ISIL(Islamic State of Iraq and the Levant)がE2EEプラットフォームを使用していることだ。ISILは新兵の募集にはソーシャルメディアプラットフォームなど公開されている透明な手段を用い、いったん強力な新兵候補を見つけた後は暗号化されたネットワークで連絡を取り合っている。
「彼らは意図的にE2EEプラットフォームに切り替えている。政府機関がE2EEプラットフォームを監視できないことを知っているからだ。作戦に関わる会話はそうしたE2EEプラットフォームで行っている」とベイカー氏は語る。
分割鍵と暗号鍵供託
ベイカー氏をはじめFBI高官は、こうした問題があるにもかかわらず暗号化は必要であることを理解している。彼らにしても、サイバーセキュリティのリスクは高めたくないからだ。
このジレンマを解消すべく、NSAは2種類の技術的解決策を提案している。分割鍵を使った暗号化と、暗号鍵供託(キーエスクロー)を使った暗号化だ。分割鍵を使った暗号化は「秘密分散法」としても知られ、FBIを含む複数の鍵所有者に暗号鍵を分割して配布した上で複数の鍵を結合させなければデータを解読できないようにするという方法だ(ユーザーは単独でデータにアクセスできる)。暗号鍵供託を使った方法では、復号鍵の1つがユーザーとは別の第三者(恐らく政府機関)に預けられ、データは複数の鍵を使うことで解読可能となる。
ただし、多くの専門家やIT企業はこうした提案に戸惑いを見せている。分割鍵にしろ暗号鍵供託にしろ、そのためのシステムを構築し、なおかつそのセキュリティを維持するのは技術的に極めて複雑なことだからだ。
「国際連合(UN)の加盟各国が分割鍵を保有するなど想像もできないことだ。200近くの加盟国がそれぞれ鍵へのアクセスを持つ複雑さは想像を絶する」とランドー教授は語り、AES(Advanced Encryption Standard)など、暗号鍵を作成するための既存のプロトコルにすらいまだにエラーや欠陥は見つかると指摘する。
Ciscoのウェンガー氏も暗号鍵供託を使ったシステムを構築する複雑さに言及し、「特にこの方法には変動要因が多いため、システムはなおさら複雑だ」と語っている。
「鍵を分割したり鍵を第三者に供託したりできるメカニズムを構築し、米政府が必要に応じて暗号解除を要求できるようになれば、次は中国やロシア、インド、ブラジルなど、他国の政府も同じことを要求してくることになるだろう」と同氏。
さらに分割鍵と暗号鍵供託による暗号化は、その複雑さ故にシステムのセキュリティ対策をより難しくするだけでなく、こうした技術を実装する米企業を他国の競合企業に対して競争上不利な立場に置くことになりかねない。
「暗号鍵供託と分割鍵のいずれかの方法で自分のデータがアクセスされ得ると分かれば、恐らく顧客はすぐにでも、同じ機能を持つ他社製品やオープンソースに移行しかねない」とウェンガー氏は語る。
米国などの政府の要求に応じることと引き換えに、知的財産や顧客データのプライバシーを保護する能力を損なわれ、さらには、鍵を悪用されたりシステムの弱点を突かれたりするリスクも負わなければならない。それを考えると、ウェンガー氏はまだ譲歩する気にはなれないという。
「プライバシーを保護するためにはセキュリティが重要だ。データのセキュリティを守る能力がなければ、データのプライバシーを守ることなどできない」と同氏は語る。
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