設計段階から組み込む品質管理
後付けガバナンスの崩壊 PayPalが設計段階からデータを縛る理由
AI導入後にデータ不備で手戻りが発生する企業は多い。PayPalは設計段階からガバナンスを組み込む「シフトレフト」でこの課題を打破した。AI時代に成果を出すための実践的なデータガバナンス手法を明かす。
PayPalでエンタープライズデータガバナンス担当シニアマネジャーを務めるブランディ・オシールズ氏にとって、システム導入後にデータの問題を特定して解決する従来のガバナンスモデルはもはや通用しない。同氏によると、企業は最初からデータアーキテクチャやアプリケーション設計にガバナンスを組み込む「シフトレフト」のアプローチを採る必要がある。
Dataversity主催のカンファレンス「Data Architecture Online 2026」に登壇したオシールズ氏らによると、AI時代において、データライフサイクルの上流へガバナンスを移行することは大きな意味を持つ。設計や開発の段階でデータガバナンスのプロセスを組み込むことで、セキュリティやプライバシーの保護に向けて適切に分類され、信頼できる「AI対応データセット」の作成に役立つと同氏は講演で述べた。
同氏によると、シフトレフト型のデータガバナンスにはビジネス上の幅広いメリットもある。アプリケーション導入前にデータ品質の問題を検知でき、完全な見落としを防ぐことができる。データの所有権(データオーナーシップ)や系統(データリネージ)を事前に文書化しておけば、問題の迅速な解決が可能だ。早い段階でデータを分類することでアクセス制御を強化でき、法規制や社内ポリシーへの準拠に伴う手戻りも減る。
「シフトレフトは、データ管理プロセスへガバナンスを組み込む、より効率的な手法を見直す機会になる」とオシールズ氏は語る。シフトレフトの手法を採用すれば、組織のデータパイプラインを通じてエンドユーザーとAIシステムの両方に高品質で信頼できるデータを流すことが容易になるという。
シフトレフト型ガバナンスの構成要素
シフトレフトは、データアーキテクチャにガバナンスプロセスを組み込む包括的戦略「ガバナンス・バイ・デザイン」を運用面で支える要素だ。オシールズ氏によると、シフトレフト型ガバナンスの一環として、データの分類、リネージ、保持期間、保管場所の要件を、初日からプラットフォームやアプリケーションの設計仕様に組み込む。同氏はさらに、システムやアプリケーションの本番稼働前に満たすべき必須関門(ハードゲート)の要件として、スキーマ定義、データの説明、検証済みのデータ所有権についての文書を含めるべきだと付け加えた。
これを円滑に進めるため、データガバナンスチームは設計レビューに参加し、ソフトウェアエンジニアリング部門と協力してデータコントラクト(データ契約)を定義すべきだとオシールズ氏は言う。具体的には、データ生成時にシステム内で取得すべきメタデータ属性の指定だ。同氏は、データ契約の一部として、各属性の検証ルールとともに以下のカテゴリで必須属性を盛り込むことを推奨している。
- ビジネス、技術、運用の各メタデータ
- データの出どころ(プロバナンス)
- データの分類
- 規制コンプライアンス
- データライフサイクル管理
- セキュリティ保護
ただしオシールズ氏は、契約内容を厳格にしすぎるとガバナンス推進の活力を奪いかねないと注意を促す。ソフトウェア開発者の作業を簡素化するため、ガバナンスチームはデータパイプラインでのメタデータ属性の自動入力を極力進めるべきだという。
同様に、自動適用に向けてCI/CD(継続的インテグレーション・継続的デリバリー)パイプラインやスキーマレジストリにメタデータの検証ルールを組み込むよう助言している。「データフローから見れば、プロセス全体のあらゆる段階にガバナンスを組み込む機会がある」(オシールズ氏)
シフトレフト型データガバナンスのAIの役割
AIツールやAIエージェントを活用すれば、シフトレフト環境で分類、メタデータ生成、データ品質監視といったガバナンス作業を自動化できるとオシールズ氏は述べる。これによりガバナンスチームの手作業が減り、より高度な業務に集中できる。
AIは「Policy as Code」の実装にも役立つ。これはガバナンスポリシーを機械可読コードに変換し、監査可能な一貫した方法でデータパイプラインへの適用を自動化する手法だ。例えば、大規模言語モデル(LLM)を使ってガバナンスポリシーの文書からYAMLスクリプトを生成できるという。
しかし、データガバナンスのAIの利用には人間の監視が求められる。オシールズ氏はこれを「ヒューマン・アバブ・ザ・ループ」(人間の高次関与)と表現する。必要な監視は、ガバナンスの専門家とデータオーナーの双方が担える。自身のデータセットについてのAIの出力精度を検証する上でデータオーナーは適任であることが多いためだ。
PayPalのシフトレフトの取り組みから得た別の教訓は、ガバナンス、データアーキテクチャ、ソフトウェアエンジニアリングの各チームが緊密な関係を築き、相互の信頼関係を構築することだ。オシールズ氏は、各チーム共通の目標と主要な成果(OKR)を設定すべきだと指摘する。ガバナンスの問題を早期に発見して手間のかかる手戻り作業を回避すれば、データ品質の向上やアプリケーション配信の迅速化につながる。共通のOKRがあれば、同じROI(投資対効果)の成果指標に基づいて各チームの実績を評価できる。
さらにオシールズ氏によると、ガバナンスのリーダーは、クラウド移行プロジェクトのような計画中のITインフラ刷新計画とシフトレフトの原則を当初から連動させることで、導入を円滑に進められる。経営幹部やデータアーキテクチャチームが新しいシステムやプロセスの導入を検討している段階であれば、シフトレフト型ガバナンス計画を始動するための足掛かりとなる。
シフトレフト型アプローチでAI対応力を強化
AI対応データアーキテクチャの構築についての別のパネルディスカッションで、SalesforceのInformatica部門で製品管理担当バイスプレジデントを務めるアーシュー・サクセナ氏は、システム導入後にデータガバナンスを後付けで考える手法では効果的な構築はできないと述べた。AIで最大の成果を得るには、ゼロベースでガバナンスを検討する必要があるという。
特に自律型AI(エージェンティックAI)の登場により、ガバナンスの前提は大きく変わったとサクセナ氏は付け加える。自律型AIエージェントが使用するデータの信頼性と解釈可能性を確保するには、データ品質、リネージ、追跡可能性、コンプライアンスの仕組みをデータパイプラインに統合することが前提条件となる。それができなければ企業はAIの出力を信頼できない。
IBMで情報アーキテクチャデータ統合担当セールスリーダーを務めるケビン・フェア氏は、AIプロジェクトが期待したROIを達成できないのは、強固なデータガバナンスを整備しないまま導入を急ぐためだと指摘する。「データを放り込み、後から何があるかを把握しようとするだけでは、プロジェクトのコストが膨らみ、行き詰まる原因になる」(フェア氏)
データの取り込みやパイプライン処理の段階でガバナンスと品質ルールを適用するシフトレフトのアプローチを採用することで、AIアプリケーションの成功率を高めることができると同氏は付け加えた。クリーンで一貫性があり、適切に文書化されたデータでAIモデルをトレーニングすれば、「適切に学習させたと確信できる」とフェア氏は述べた。
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