ERPに迫るAIエージェントの波(前編)
AIエージェントで「ERPの魔改造」復活の懸念 せっかくのクリーンコアが崩壊
SAPやOracleがERPへのAIエージェント実装を急ぐ裏で、SaaSで封印したはずの「過剰カスタマイズ」が復活しつつある。汎用AI勢との覇権争いから浮き彫りになった、情シスが死守すべきガバナンスの要点とは。
今秋開催された主要なERPの製品発表やカンファレンスは、ERPにおけるAIの急速な進化を如実に物語っている。ベンダー各社は、企業が安心してAIを導入するために必要なインフラや開発ツール、ユーザーエクスペリエンス(UX)を備えていると証明しようとしのぎを削っており、それを導入事例で裏付けている。
ラスベガスで開催された「SAP Connect」とフロリダ州オーランドで開催された「Infor Velocity Week」に先立ち、Oracleは9月下旬にランタイムソフトウェア「Oracle Fusion Claw」を公開した。25のエージェント型AIアプリケーションを提供するもので、企業全体でAIをスケール展開するのに欠かせない「組み込み型のガバナンスとセキュリティ」を備えている。
SAPが財務や人事、支出管理などの業務アプリケーション別のイベントを統合して2025年に新設したSAP Connectでは、目新しい発表は少なかった。同社は決済ソフトウェア「SAP Pay」を発表した他、組織の業務やタスク、スキルを把握するAIモデルを開発するTechWolfの買収を明らかにした。
しかしSAPは、2026年のConnectの主目的は、5月に開催したカンファレンス「SAP Sapphire」で発表したエージェント型AI製品が10月から利用可能になったとアピールすることだと率直に認めた。基調講演のステージには、ネスレやノバルティス、PwC、モルガン・スタンレーといった業界大手の先行導入企業が登壇した。
一方、Inforは「Infor Industry AI」アーキテクチャの発表に続き、Aston MartinおよびTeam Air Distributingの経営幹部にスポットライトを当てた。今回のリリースには、Inforが長年強みとしてきた細分化された特定業種(マイクロバーティカル)の専門知識を持つAIエージェントや、サードパーティー製アプリケーションとの連携を前提としたアーキテクチャが含まれる。個々のユーザーのニーズに適応するUXや、エージェントが必ず通過しなければならないガバナンス・リスク・コンプライアンス(GRC)レイヤーも組み込まれている。
こうしたイベントや、ベンダーおよびアナリストとの議論を通じて、AIでERPを拡張する取り組みの中で定着しつつある4つのトレンドが見えてきた。
ERPベンダーのAI向けUXはほぼ完成域に
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クリーンコアの重要性
2022年11月に「ChatGPT」が突如登場してAIブームに火をつけた直後から、ERPベンダー各社は「長年『複雑で使いにくい』と不評だったシステムに、ついに使いやすいフロントエンドを実装できる」とアピールし始めた。
最近の製品発表を見る限り、その約束はほぼ果たされたようだ。各社ともUXに生成AIを採用するだけでなく、エージェント型AIと密接に統合している。ユーザーが自然言語で指示を出すだけで、AIエージェントが処理を実行する。SAPの場合、UXは2023年に導入された生成AIアシスタントを大幅に拡張した「Joule Work」だ。
「SAP Autonomous Suite」のプレジデント兼最高製品責任者(CPO)であり、基調講演に登壇したマノージ・スワミナサン(Manoj Swaminathan)氏は、カンファレンスに先立つインタビューで「Jouleは小規模な自然言語チャットから、Webやモバイル、デスクトップを網羅するフル機能のUXに進化した」と語った。
「私たちは、ユーザーが特定のリソースにアクセスして作業を完了させることを前提とした、従来の静的な体験から脱却しつつある。今後はイベントや状況、タスクに合わせた、目的志向の体験に変わっていく。Joule Workはユーザーがシステムと対話するための統合エンゲージメントレイヤーになる」(スワミナサン氏)
コンサルティング会社Enterprise Applications Consultingのプリンシパル、ジョシュア・グリーンバウム(Joshua Greenbaum)氏は、SAPをはじめとするERPベンダーが「使いやすいフロントエンド」という市場のニーズに応え、自然言語を実際のアクションに変換するエージェントレイヤーを構築していると評価する。ただし同氏は、AI主導の新しいERP UXにはまだ期待先行の側面があると警戒感を示す。
「デザインや体験の面では形になっているが、近い将来スイッチを切り替えれば誰もがその体験を享受できる、と言える段階には至っていない。そのようなエージェントはこれから開発する必要があり、ベンダーはそれを支えるインフラや、悪用や誤作動を防ぐためのセキュリティインフラを整えなければいけない」(グリーンバウム氏)
SaaS型ERPの「カスタマイズ制限」を揺るがすAI
マルチテナント型SaaSのERPユーザーが自身で、あるいはベンダーやSIerの支援を受けて構築できるエージェント型AIアプリケーションは、その多様性や専門性、パーソナライズ性の高さから、かつてのオンプレミス型ERPのカスタマイズを連想させる。本来、SaaS型ERPはカスタマイズを困難または不可能にすることで、作り込みを抑制するとされていた。
このトレンドの背景には、ERPベンダーが自社AIのパーソナライズ機能やカスタマイズ機能を積極的に売り込んでいるという側面もある。
InforのAIイノベーション担当シニアバイスプレジデントを務めるリック・ライダー(Rick Rider)氏は、インタビューで「設定不要でそのまま使えるAIなど存在しないというのが当社の持論だ」と述べ、同社の調査でもビジネス決裁者の大半が同様の認識を持っていると付け加えた。
ライダー氏によると、Inforの「Velocity」プログラムは、顧客がAI技術群「Velocity Suite」全体に無制限でアクセスでき、業界特化型のAIアプリケーションを迅速に導入・カスタマイズできるという。Inforのコンサルティングサービスは引き続き利用可能だが、顧客はInforに依存し過ぎずに済むようになる。
「システムと対話する、拡張機能を構築する、UXを変更して適応性を高める、より多くのエージェントを作成する、AIアシスタントやサードパーティー製システムとの連携を構築するといった能力を、顧客自身に持ってもらいたい」とライダー氏は話す。
調査会社Diginomicaの共同創業者でITアナリストのジョン・リード(Jon Reed)氏も、AIが新たな形のERPカスタマイズを可能にしているという見方に同意する。
「適切にガバナンスを効かせて実行すれば、標準機能のまま使うSaaSと拡張性の高いSaaSとの間に存在していたトレードオフの一部を緩和できる可能性がある」
ベンダーはこれまで、限定的なカスタマイズを実現する手段としてソフトウェアの拡張機能を推奨してきた。しかし、そのためには複雑な手続きを踏む必要があり、パートナー企業の支援を要することもあったとリード氏は説明する。AIエージェントを使えば、有用な機能をより迅速にERPに追加できる。
「プライバシーやデータアクセス、権限管理などの懸念事項に対策済みのプラットフォームで開発するため、自宅で『バイブコーディング』をするのとは根本的に異なる」とリード氏は語る。
とはいえ、重複開発を避け、作成したアプリケーションを全社で利用できるようにするには、企業は従業員によるAI開発でガバナンスなどの統制を敷く必要がある。
「開発したアプリケーションを社内に展開して他の従業員も使えるようにするなら、IT部門の役割は依然として重要だ」(リード氏)
一方、グリーンバウム氏はこうしたカスタマイズのトレンドを、好機ではなくリスクとして捉えている。過度なカスタマイズによって保守が困難なERPを生み出すかつての悪習が戻り、業界のベストプラクティスを備えるマルチテナント型SaaSのメリットを損なう恐れがあるからだ。
「エンタープライズソフトウェアのパッケージが提供する機能を、いまや顧客がAIを使って自作できてしまう」と同氏は述べ、デンマークのある企業がJouleを使って「SAP Ariba」の標準購買調達機能を再現するアプリケーションを構築した例を挙げる。
「これでは、本来既存のSaaS内にベストプラクティスとして存在している機能に対して、わざわざ独自環境をつくり込んでいるようなものです」
短期的な利益のためにこのような方法でAIを利用すると、長期的にはガバナンスの効いた正確なAI運用を実現するための基盤を損なう恐れがある、とグリーンバウム氏は警告する。
グリーンバウム氏の懸念は、SAP Connectのパネルディスカッションに登壇した全ての顧客が「自社のAI導入計画においてSAPの『クリーンコア』アプローチが不可欠だ」と語ったことで裏付けられた。クリーンコアとは、ERP本体にはほとんど手を加えず、他社との差異化につながる機能はベンダーのPaaS型開発環境「SAP Business Technology Platform」上で拡張機能としてプログラムする方針だ。
「これはSAPから言われたわけではない、顧客自身の発言だ。先進的な技術者たちは『エージェントの安易なカスタマイズではごまかせない』と熟知している。制限のないエージェント型ツールのアプローチは危険な方向へと踏み出しがちだからこそ、不要で過度なカスタマイズを抑制する規律が不可欠だ」(グリーンバウム氏)
企業は今後もカスタマイズを競争優位の源泉と見なすだろうが、その制限を守り、規律を維持できるのであれば問題はないとグリーンバウム氏は述べた。
次回は、ERPベンダーが警戒する「汎用AI勢との主導権争い」と、エージェント型AIを安全に運用するためのガバナンス・セキュリティ戦略について解説する。
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本記事は制作段階でChatGPT等の生成系AIサービスを利用していますが、文責は編集部に帰属します。
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