企業を悩ませる“統制と柔軟性”のジレンマ
企業に広がる「サイバーバルカン化」 データ主権が生む新たな分断とは
データ主権のリスクを理由に企業がAI導入を遅らせているという調査結果がある。リスクを軽減するために、オンプレミスに回帰する動きもある。データの統制と柔軟性を保持するにはどうすればいいのか。
データ主権は、AI(人工知能)推進の障壁になるのか。この問いが、企業のIT戦略に現実の課題として浮上している。
Arqit Quantumが2026年2月に公開した調査結果によると、英国企業の約62%は、データ主権やプライバシーのリスクを「パブリッククラウドでのAIプロジェクトを遅らせる最大要因」と回答した。AIを活用したい一方で、データの所在や法的リスクを判断しきれない。この迷いが導入を止めている。
この影響はUC(統合コミュニケーション)ですでに顕在化している。データ主権を重視する企業は、クラウドからオンプレミスやプライベートクラウドへ回帰し始めた。しかしこの選択は、別の問題を生み出している。
AIとサイバーバルカン化の関係は
調査会社Omdiaのプリンシパルアナリスト、プラチ・ネマ氏は、「地政学的な変化やデジタル環境の進化が、データ主権への需要を後押ししている」と指摘する。
その背景にあるのが、地域ごとに異なる法制度だ。欧州では、一般データ保護規則(GDPR)や各種ローカライゼーション法によって、データ主権は「守るべき権利」として制度化されている。一方米国には「HIPAA」(医療保険の相互運用性と責任についての法律)や、カリフォルニア州消費者プライバシー法(CCPA)、カリフォルニア州プライバシー権法(CPRA)などの州レベルの規制は存在するものの、データ主権は企業の選択に委ねられる側面が強い。
UCの観点では、こうした規制の断片化は技術の進歩を阻むものではないが、実務上の課題であることに変わりはない。一部のベンダーはこれに対応し、データの保存場所やアクセス権、ガバナンスをユーザーが完全に制御できる仕組みを導入した。これにより、業界標準や州法、重要な国際規格への準拠を可能にしている。
この違いが、企業の判断を難しくしている。どの国の法律に従うのかによって、データの扱いも、AIの設計も変わるからだ。
ネマ氏は、こうした状況が新たな分断を生んでいると指摘する。「国ごとの法律に対応し、ITインフラを整備することで、別々のシステムが生まれる。結果としてデータやサイバー空間が分断される、UCの『サイバーバルカン化』が起こりつつある」
この分断はUCにとどまらない。同じ構造はAIにも及ぶ。データを国ごとに閉じれば、学習基盤は統合しにくくなり、AIの価値も制約される。つまり、データ主権はAIの安全性を高める一方で、スケーラビリティを損なう可能性がある。
多くの企業は、こうした問題をクラウドの機能で解決しようとする。Microsoftの「Microsoft Teams」やCisco Systemsの「Webex」、Zoom Communications(以下、Zoom社)の「Zoom」は、いずれもデータレジデンシー(データの所在指定)に対応しており、ユーザーがデータの保存場所を選択できる。さらに、政府による不当なデータアクセスを拒む組織には、プライベートクラウドやオンプレミスも根強い人気がある。
しかし、ここにも落とし穴がある。「米国のベンダーは米CLOUD法(海外データ合法使用法)の適用対象だ。米国に拠点を置く企業であれば、米国外に保存されているデータや情報であっても、米国政府が捜査令状などの法的手続きに基づきデータの開示請求ができる」とネマ氏は注意を促す。
ネマ氏は、「保存場所を制御するだけでは、データ主権の問題は解決しない」と強調する。
一方で、この問題の捉え方は一枚岩ではない。Mitelの最高技術責任者(CTO)兼エンタープライズR&D責任者であるルイス・ドミンゴス氏は、オンプレミスやエッジ環境を活用すれば、データ主権と柔軟性は両立できるとする。「ビジネスリーダーが求める統制を実現しつつ、従業員に必要なツールも提供できる。利便性を犠牲にする必要はない」と語る。
これに対し、Dialpadのブライアン・ピーターソン氏は、より現実的な見方を示す。「ChatGPTの登場以降、多くの経営幹部と話してきたが、データ主権が議題になったことはない」という。同氏は、完全な統制がなくても企業はAIを使い続けると指摘する。
「重要なのは、ビジネスの成長に役立ち、適切なセキュリティの下でデータが守られていると信頼できるかどうかだ」
この対立が示すのは、データ主権が“正解のない問題”であるという現実だ。統制を強めればサイバーバルカン化が進み、柔軟性を優先すれば統制の確実性は揺らぐ。
AIを進める企業に求められているのは、このジレンマの中での線引きである。データ主権は、AIの障壁にもなり得るが、適切に扱えば競争力の源泉にもなる。その判断を先送りにすること自体が、最大のリスクになりつつある。
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