「Watson」の衝撃【前編】
「人工知能」が医師や看護師代わりに? 意外な分野で進む実用化
米IBMの人工知能スーパーコンピュータ「Watson」が新たに開いた認識コンピューティングの可能性。人間を超える知性の医療業界での活用を考える。
医療業界は“情報爆発”という問題を抱えている。医師や保険会社は患者1人1人に必要な処置を素早く決定するのが困難になっている。「病歴」「数年分のカルテ」「臨床的証拠」を考慮する必要があるが、このように膨大な量の情報を処理するのは人間にとって容易なことではない。しかし、米IBMが開発した人工知能コンピュータシステム「Watson」にとっては赤子の手をひねるように簡単だ。Watsonは、膨大な量のデータに対して自然言語で投げ掛けられた質問を処理して、ほんの数分で根拠に基づいた回答を計算する。
Watsonでは、100万冊の本に相当するデータを取捨選択し、情報を分析して、複雑な質問に対して正確な答えを出す。この一連の処理をたった数秒という時間でやってのける。保険会社の米WellPointは、それが医療業界にとって意味することをすぐに理解した。米インディアナポリスを拠点とする同社は、2年前からIBMとパートナーシップを結んでいる。そのパートナーシップを通じて、同社の3千を超える診療所のネットワークと連携し、患者への対応と治療選択肢の提示をほぼ瞬時に行っている。
看護師や医師と同じように考える
同社で医療IT戦略部長を務めるエリザベス・ビッガム氏は次のように話す。「当社では、看護師や医師と同じように考えられるようWatsonをトレーニングした。Watsonは、ユーザーから要求を受け取ると、医療政策を見つけ、要求内容と比較する。それから、“患者の身元”、“何をしたいのか”、“その理由”を判断して、スタッフに提案を表示する」
Watsonは医療業界に革命をもたらすと同氏は話す。医療サービスを提供する企業や消費者向けにWatsonを使用するアプリケーションを開発している企業は他にもある。例えば、新興企業の米Welltokは「CafeWell Concierge」というソフトウェアを開発している。このソフトウェアでは、「食生活」「運動」「予防サービス」に関する情報を、ユーザーと居住地域に基づいてカスタマイズして提供する。
Watsonの活躍は医療業界だけにとどまらない。IBMは2014年1月に「金融サービス」「旅行」「通信会社」「小売」など、幅広い業界で新たなビジネスを始めるためにWatson Group事業を立ち上げた。この事業活動を促進するため、1億ドルの活動資金が用意された。この予算はサードパーティーのソフトウェア開発者への投資を目的としており、最初の投資は2014年2月にWelltokに対して行われた。IBMは、クラウドでもWatsonのサービスを利用できるようにしている。また、新しい認識アプリケーションを開発できるようソフトウェア開発者にWatsonのAPI(アプリケーションプログラミングインタフェース)へのアクセスを提供している。Welltokのプロジェクトも、この新事業の一環として行われたものだ。
他にも「賢いアドバイザー」の役割を果たすセルフサービスアプリケーションが開発されている。このアプリケーションは、自然言語を理解する。テキストを読み取って解釈して、仮想パーソナルアシスタントなどの他のスマートテクノロジーから学習することが可能だ。さらに、オンラインショッピングエクスペリエンスを向上する製品を提供している米Fluidでは、自然言語を使用した対話情報に基づいて商品を提案するアプリケーションを開発している。「iPad」などのスマートデバイスに話し掛ける設計にすることで、実際の店舗で買い物をするときと同じエクスペリエンスが実現されている。
豊富な知性
IBMによると、「人間の脳をまねる」「学習する」「状況を理解する」「ツールよりも役に立つ」という認識能力が、コンピューティングに革命を起こすという。
これはもちろんIBMの見解にすぎない。だが、米Opus Researchの創設者で上級アナリストを務めるダン・ミラー氏は、このテクノロジーを「変革的だ」と評しており、IBMの意見に異論は唱えていない。
同氏は次のように続けている。「IBMは、話題を素早く理解して皮肉や風刺を識別するディープコンピューティングの能力を実証しようとした。この取り組みでは、強引なアプローチに関する制約もいくらか明らかになった。科学者は、システムを特定の話題や分野に特化すると、システムがより適切かつ迅速に回答できることを以前から把握している。IBMのWatsonはまさにその方向に進んでいる」
例えば医療の分野では、データ量が5年ごとに2倍に増えている。看護師が治療の評価に必要なデータを収集するのに20分かかることもある。だが、認識テクノロジーでビッグデータを処理すれば、根拠に基づいたデータが数秒で手に入る。
「Watsonは、作業効率を高め、要求に素早く対応できるようにしてくれる。また、医療政策やガイドラインの適用と一貫性を保つこともできる」とビッガム氏は話す。
IBMは、製薬会社の協力を得て、薬の相互作用を理解するための取り組みも行っている。IBMの新しいサービス「Watson Discovery Advisor」は、何百万もの論文、ジャーナル、調査報告書の間につながりを作る。このサービスを使用すると、現在、薬物の研究者が数カ月かけて行っている結果説明を数時間で行えるようになる。
言うまでもなく、認識テクノロジーは新しい概念ではない。人工知能(AI)が注目され始めたのは1960年代のことだ。1960年代はコンピュータ科学者が人間と同じレベルの情報処理能力を持ったシステムを構築するようになった時代である。1980年代には、英Symbolicsや米Lisp Machinesなどの企業が開発した“エキスパートシステム”が花開いた。また、米Thinking Machinesが、AIアプリケーションを目指して大規模並列処理スーパーコンピュータを開発したことは世間から大きな注目を集めた。
しかし、こうした取り組みは急速に勢いを失っていった。IBMを含む、それ以外のスーパーコンピュータメーカーも、政府機関や研究所でインテリジェントマシンを導入するアイデアをアピールした。しかし、企業の思惑とは異なり、政府機関や研究所の関心は、地球環境のモデリングやヒトゲノムのマッピングといった大規模な科学的な問題を解決することに向けられていた。このような問題解決に必要なのは認識機能ではなく、単なる巨大な演算能力だった。
以前、処理能力とストレージは大きな問題となっていた。だが、現在は問題ではない。IBMでWatsonシステムのマーケティング/販売事業部長を務めているスティーブ・ゴールド氏によると、2011年発表当時Watsonは90台のサーバと20Tバイトのディスクを使用して運用していた。だが現在のシステムは、それよりも90%小さく20倍も速い。
後編では米Appleの「Siri」など別の認識コンピューティングや他の業種への適用を考える。
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「Watson」の衝撃
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