今、理解しておきたい「学校のIT化の現実」【後編】
学校IT化を本気で成功させる「グランドデザイン」の作り方
教育機関のIT製品活用を進める上で重要なのが「グランドデザイン」の策定だ。その理由は何か。具体的にどう作成すべきか。世界と日本の学校IT化の現状を整理しつつ、こうした疑問に答える。
前編『教室のIT化で見落としがちな「5つの落とし穴」とは?』では、授業などの教務のIT化に関して、特に重要だと考えられる5つの分野で問題提起をした。認識してほしかったのは、小中高校が初めて本格的なITシステムを導入することで想定される、さまざまなリスクや問題点だ。
学校IT化を成功させる上でまず取り組むべきなのが、目的や全体像を示した「グランドデザイン」の策定だ。後編では、システム導入になぜグランドデザインが必要なのか、グランドデザインとは具体的に何かを説明する。
学校IT化にグランドデザインが必要な理由
学校や教育の分野は、安易な行動による失敗が許されない最重要分野であることは言うまでもない。
私たちが住んでいる日本は、広大な国土もこれといった資源もない国である。それにしては十分過ぎるほど豊かなこの国を支えているのは、高度な技術やそれによって産み出される製品やサービスだ。それはつまり、それらを考えたり製造したりする日本人の知識や教養そのものである。
子どもに知識や教養を身に付けてもらうには、文化や歴史なども重要だが、最も大きな要素は教育だ。小中高校だけでも実に12年にわたって教育を受けた子どもは、その後社会人として過ごす30~40年の間、国を支える主役となる。教育に関する施策が失敗してしまった場合の有形無形の影響は計り知れない。
こうした背景を踏まえると、学校IT化に当たっては、無責任に仕様を作成したり、十分な要件定義なしでシステムを導入したりすることなどは決して許されない。未来の日本を担う子どもにそのリスクを負わせないためにも、学校IT化には明確なグランドデザインが必要になるのである。
教育IT化の目的が異なる世界と日本
グランドデザイン策定に当たっては、まず学校IT化の目的を明確にする必要がある。学校IT化の現状を見ると、海外と国内ではIT化の目的が違うことに気付く。
IT市場は海外、特に米国が主導していることに異論の余地はないだろう。現に、米Microsoftや米Google、米Cisco Systems、米Salesforce.comなど、主要ベンダーの多くは米国にある。こうしたことから、学校IT化でも「海外がより先進的で、国内は海外より遅れている」と考える人もいるかもしれない。電子黒板の普及率やタブレットの利用方法など、特定の一面を見ればその指摘は当たっているが、全てがそうともいえない部分もある。
私の勤務する日立ソリューションズは、1998年から電子黒板を販売しており、これまでの販売実績のほとんどは海外(2014年3月末現在、世界80カ国で27万台を販売)だった。そのため、世界の学校IT化の一端は多少見聞きしている。その見聞きした情報を基にすると、海外の学校IT化が先進的だというのは、少なくとも電子黒板の普及という意味では当たっている。
注目すべきは、上述の通り国内と海外とで学校IT化の目的が異なることだ。国内の学校IT化は、IT活用による学力向上を目指しているケースが多い。一方の海外では、学力向上のような高尚な目的ではなく、やむを得ない事情で導入しているケースが意外と多いのだ。
効率化のニーズが海外の学校IT化を後押し
海外では、物流などの社会インフラが日本ほどきめ細かく整備されておらず、国中に紙の教科書を国民に安定的に配布できない国も多い。こうした国は、物流システムが抱える課題の解決策として、デジタル教科書やタブレットといったIT製品を導入している。
物流インフラが整っている米国も例外ではない。日本列島の約25倍もある広大な国土を持つために、紙の教科書をあまねく流通させるのは簡単なことではないからだ。紙の教科書よりも効率的な流通が可能であるという判断が、デジタル教科書を中心としたIT活用の積極化に結び付いていると考えられる。
さらに、単純に紙の教科書の印刷代よりも電子化して配布した方が安く済むというコストメリットも後押しして、学校IT化が進んでいるのだ。
これらが海外各国が学校IT化を進める主要な目的であり、日本のように学力向上を目的に据える例は、少なくとも私が見聞きしている範囲では存在しない。総務省のガイドラインなどの海外動向を見ても、シンガポールや韓国のような例外もあるにはあるが、大多数の国はそもそもIT導入の目的に学力向上といった目的は設けていない(図1)。
国内の学校IT化の成功要件
ITの活用で学力を向上できれば大変素晴らしい。だが同時に、実現は非常に難しいのも事実だ。「ITを使った学力向上はどうすれば実現できるのか」という問いへの明確な解答は、少なくとも私にはない。
救いとなりそうなのは、日本の企業や社会にはIT導入の経験が豊富にあるという事実だ。高度経済成長時代の黎明期には、ホストコンピュータを主体とするオフィスや工場のオートメーション化が進んだ。クライアントPCが普及した80~90年代半ばにはオープン化によるダウンサイジングの波が到来して活用の裾野が拡大。「IT」という言葉が広く使われるようになった90年代後半のIT革命期には、ITが“魔法のつえ”のように扱われた。その後の2000年代初頭には、IT企業を巡って世界レベルの巨額な投機マネーが動き「ドットコムバブル」とも呼ばれた。その後のクラウドブームなどを経て現在に至るまで、実に数十年もの十分な経験を持っているのである。
企業や社会が持つこうした経験を学校IT化に生かし、システム運用ノウハウが乏しい学校現場にできるだけ負担を掛けず、かつ実現が適度に難しい目的を設定することが求められる。万が一にも、日本の未来を担う大事な子どもに悪影響が出ないように、大きなリスクを冒さずに学校IT化を進めることが大切だ。そのためには、現状に合った無理のないシステム要件の整理や運用設計が重要になる。
学校IT化を成功に導く4つのポイント
システムやその運用の全体像に影響を与えるのが、学校を取り巻く現状のIT環境だ。本格的なシステム導入の経験がほとんどない日本の小中高校だが、IT環境について悲観する必要は全くない。日本は、世界でも群を抜いて高品質だといわれる広帯域ネットワーク基盤が全国のほぼ全ての地域に普及している。通信インフラが整っているというこの一点だけでも、他国では得難い理想的な環境にあるといえる。
一方でIT機器に目を移すと、農村部などのかなり郊外であっても、学校の近くにある公共施設にはクライアントPCやプリンタ、ネットワーク機器などが必ずある。つまり、それらの機器に関する保守サービス事業者によるフィールドサービスの提供体制も整備されているということだ。数百の拠点を持ち全国を網羅している大規模ベンダーも複数あり、地域に根付いたIT機器の販売事業者も地域ごとに存在する。
このように、日本にはシステムを運用するためのインフラがかなりの割合で整っているのだ。こうしたインフラを上手に利用することを前提としたグランドデザインが描ければ、現状に合った無理のない学校IT化が実現できる可能性は十分にある。
グランドデザインを描くに当たり、注目すべき4つのポイントを紹介する(図2)。
ポイント1:リスクを抑える導入計画
IT導入の経験が乏しい教育現場でも運用できるように、可能な限りシンプルなシステムを構築することが重要だ。大事なことは、スモールスタートでよいので大きなリスクを取らないことである。最初から全ての教務・校務範囲をIT化することを前提とせず、何か問題が起こった場合に従来の教科書やノートでの授業形式にすぐ戻れるような想定をしておくなど、運用面での配慮が必要だ。目標の範囲を限定し、一定レベルの効果を少しずつ積み上げてゆっくり進めることで、リスクを抑えた無理のない運用が実現できる。
ポイント2:トラブルシューティング
何らかのシステムトラブルが発生した場合にも教育現場が混乱しないように、想定されるトラブルとその対策を事前にきちんと整理しておくことも重要だ。どれほど周到にシステム導入を進めても、トラブルが発生する可能性をゼロにはできない。特に経験が浅い時期は、ほんの小さなトラブルが発生しただけでも現場がパニックに陥りやすい。さらに、トラブルが別のトラブルを招く“負の連鎖”も発生する。それらを抑えるためには、発生の初期段階でトラブルの拡大を防止することが重要であり、そのためのツールや環境を事前に準備しておくことが必要だ。
ポイント3:導入コストの抑制
学校IT化の成功を左右する最大の要素ともいえるのがコストだ。全国の小中高校は約3万6000校もあり、教職員と学習者を合わせると、あっという間に全国で1000万人超の規模になる。この規模で、企業と同じ考えでIT導入を進めれば膨大なコストが掛かる。それを簡単に容認できる自治体はほとんどない。助成金などの支援制度を設けるとしても、高価なシステムが全国の隅々まで行き渡るほど潤沢な資金は確保できないはずだ。結果として、学校や自治体の資金力の有無によって、IT化の度合いには大きな差が生まれるだろう。それを避けるためには、コストを抑えるための日本ならではの適切な方策が必要不可欠だ。
ポイント4:情報セキュリティ
学校IT化に限らず、セキュリティ対策は当然それなりのコストが掛かる。前編でも述べたように、小中高校の教室内で扱う情報は基本的に機密情報ではないので、厳重な管理は不要だというのが私の持論だ。ただし、学校には学習者の成績など守るべき情報はある。こうした情報をできるだけ1カ所にまとめて、効率的に管理できるようにすることが大切だ。守る範囲を狭くすることで、管理しやすく、守りやすくなり、セキュリティ対策に掛かるコストも抑えやすくなる。
その他の有効なポイント
以上、学校IT化のグランドデザインを描く上で重要だと考えられるポイントを記してきた。もちろん、これ以外にも考慮すべきポイントは無数にある。これまで実施されてきた実証実験の成果物など、学校IT活用の要点を非常によく整理している資料があるので、以下に紹介する。
- 先生と教育行政のためのICT教育環境整備ハンドブック(日本教育工学振興会<JAPET>)
- 教育分野におけるICT利活用推進のための情報通信技術面に関するガイドライン(手引書)2013(総務省)
特に後者のガイドラインには、幾つかの実例とともに詳細な記述がある。例えば、安価な無線LANアクセスポイント(AP)は電波強度を調整できないため、それを抑えるための工夫として金属カバーで電波を遮断する対策や電子黒板への映り込みの配慮など、現場で実際に導入してみないとなかなか経験できない詳細な記載もある。学校IT活用のさまざまな考慮事項が詰まっているので、一読をお勧めする。
必要な各分野の知識をあらかじめ集めておくことで、学校に必要なシステム導入の基本やセオリーを理解できる。この理解の基礎の上にグランドデザインを構築できれば、少なくともIT導入に伴うリスクを抑えることはできるだろう。
学校IT化の理想像
以上、前編と後編を通じて、教育IT化を進める上での懸念事項と、成功に必要なグランドデザインの考え方について述べた。ただし、今回議論の中心としたのは教務のIT化である。教務関連のシステムで学習効果を高めるのと同時に、校務関連のシステムと連係させ、さらに学校や自治体間のシステム同士を連係させれば、小中高校の12年にわたる学習成果を体系的にまとめて管理できる。これにより学習者の理解度や習熟度合いといった、これまで進学や転校などの都度リセットされてきた情報も、数値化して管理できるようになる(図3)。さらには、大学や大学院といった高等教育も含む学習ライフサイクル全体を長期に支援できるシステムの実現も不可能ではない。
大阪市教育委員会が2014年8月11日に発表したデータによると、校務システムを導入したことで、テスト結果などの誤記や転記ミスが減少したことから、教頭で136.3時間、学級担任で168.1時間の作業時間短縮につながったという(参考:「校務IT化」で先生の“激務”は解消されるのか? 大阪市が検証)。こうして確保した時間を授業準備などに振り向け、かつ教務IT化による授業の改善、校務IT化による学習成果の管理という“両輪”で相乗効果を生むことが、国内の学校IT化における理想像となるのだ。
今回、「今、理解しておきたい『学校のIT化の現実』」と題して、今後数年間で急速に普及すると考えられる学校のIT化についてかなり多くの字数を費やした。ただし、それでも山積している問題の一端とその対策しか述べていない。今回の全体像やグランドデザインの話を踏まえた上で、各テーマについて、稿をあらためて深く掘り下げていく。
執筆者紹介
武田一城(たけだ かずしろ) 株式会社日立ソリューションズ
情報セキュリティ、システムプラットフォーム、オープンソースなどさまざまな分野のマーケティング業務に従事。現在は特に学校IT分野における市場調査や企画に重点的に携わる。2011年より日本PostgreSQLユーザ会の理事を兼務し、代表的なオープンソースデータベース「PostgreSQL」の普及啓発活動も行っている。
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今、理解しておきたい「学校のIT化の現実」
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