「e-Learning Awards 2014フォーラム」リポート
Z会が「iPad×紙添削」にこだわった理由
通信教育大手のZ会は、米Appleのタブレット「iPad」をはじめとするITの活用で、通信教育の可能性を広げようとしている。同社担当者の話を基に、iPad選定の理由や具体的な導入効果を示す。
東京大学や京都大学といった難関大学の合格者を多数輩出する、通信教育大手のZ会(静岡県駿東郡)。同社は紙の良さを生かしつつ、タブレットを活用した新たな通信教育の本格展開に向けて動き始めている。なぜZ会は、タブレットの活用に乗り出したのか。同社が描く新たな通信教育の具体像とは。eラーニングに関する年次イベント「e-Learning Awards 2014フォーラム」で講演した同社会員支援部 ICT推進課の草郷(そうごう)雅幸氏の話から明らかにする。
タブレット導入の現状:通信教育にiPadを活用、ただし添削は紙ベース
Z会は2014年3月から、一部会員を対象に、米Appleのタブレット「iPad」または「iPad mini」を活用した通信教育「iPad mini学習」を提供している。高校1年生を対象とした「高1生向けコース」と2年生対象の「高2生向けコース」の国語、英語、数学いずれかを受講する会員から希望者を募り、先着順で受け付けている。iPad/iPad mini(以下、iPad)は会員の私物端末を活用。Appleの公式アプリケーションストア「App Store」で無償配布する専用アプリ「Z会デジタル学習サービス」をiPadにインストールして受講する(画面1)。
iPad mini学習を受講する会員には、Z会が従来の通信教育で提供する紙ベースの教材は原則として送付しない。代わりに、Z会デジタル学習サービスを使って、同内容のデジタル教材を閲覧できるようにしている。ただし、添削指導用の答案だけは紙ベースを維持し、郵送で届ける。「難関大学の入学試験では記述力が重要。ペーパーテストでの記述が求められる現状を踏まえ、紙の答案への手書きにこだわった」と草郷氏は語る。
ユニークなのが、答案の提出方法だ。受講生は答案を郵送するのではなく、Z会デジタル学習サービスのカメラ機能を使って解答済みの答案を撮影。答案の写真データを送信して提出する(画面2)。添削済み答案も郵送ではなくデータとして受け取る。郵送による添削依頼も受け付けているが、iPad mini学習を受講する会員の場合、約75%の答案がタブレットで提出されているという。
質問や情報発信機能で継続学習を支える
継続的な学習を促す工夫がスケジュール機能だ(画面3)。「学習スケジュールを自発的に登録する会員ばかりとは限らない」(草郷氏)という判断から、お勧めの学習スケジュールをあらかじめ登録しておくことにしたという。会員が自ら学習スケジュールを作成したり、学習スケジュールを変更したりすることも可能だ。その日にやるべき教材をプッシュ通知する機能を備え、学習スケジュールに沿った学習をしやすくしている。
学習支援機能も充実させた。タブレットから簡単に質問ができるようにした質問相談機能はその1つ(画面4)。質問内容をテキストで打ち込むだけでなく、写真をアップロードしたり、問題文で分からない部分を指でなぞって色付けして指示するなど、さまざまな方法で質問できるようにした。また進路情報をはじめ、その時期に知っておくべき受験関連情報や勉強方法を知らせる情報提供機能を用意し、学習のモチベーションが維持できるよう配慮した。
その他、草郷氏が「タブレットを使った通信教育ならではの機能」と語るのは、学習ログ機能で学習状況の振り返りを可能にしたことだ。学習ログ機能は、会員がどの教科のどの教材をいつ、何時間勉強したかという学習履歴を蓄積する。会員は、自分がどれぐらい勉強しているかを容易に把握できる。
タブレット導入の経緯:“白い悪魔”による意欲低下を避ける手段に
Z会がタブレット導入に至った背景には、会員のモチベーションをいかに維持するかという、通信教育が抱える課題の存在があったという。学校や塾とは異なり、通信教育では学習を促す先導役となる人は基本的にいない。学習を継続するかどうかは、会員自らの意思に寄るところが大きい。とはいえ営利企業である同社としては、会員の退会は阻止したい。そのため、会員のモチベーション維持は会員にとっても同社にとっても大きな意味を持っているのだ。
モチベーション維持を妨げる要因として草郷氏が挙げるのは、Z会用語で“白い悪魔”と呼ぶ、未解答の答案である。手が付いていない答案が増えれば増えるほど、会員はその量に圧倒されて取り組み辛くなり、継続して学習する意欲までもが失われてしまうことが多いという。「会員の意欲を高め、継続した学習を促し、成績向上といった効果を挙げてもらい、さらに意欲を高める。こうした流れを作りたい」(同氏)という考えを基に、その実現の手段としてITに目を付けた同社。学習者にスマートデバイスが浸透している現状を踏まえ、タブレット導入に踏み切ったという。
「Z会タブレット」の“失敗”が教訓
Z会はiPad mini学習の提供以前にも、タブレット導入の試行を続けてきた。2012年4月には、幼児や小学校低学年向けのタブレットを使った通信教育「デジタルZ」を開講。翌年の2013年7月には、高校1年生向けコースである「高1生向けコース」の受講生の一部を対象に、学習専用の7インチのAndroidタブレット「Z会タブレット」を活用した学習サービスを提供した(現時点では、いずれも新規申し込みは終了)。
特にZ会タブレットでは「さまざまな教訓を得た」と草郷氏は語る。答案提出や教材利用、質問回答に特化した学習用端末として開発したZ会タブレットは、安全性の観点からさまざまな制限を加えていた。ホワイトリストによるWebフィルタリングで、決められたWebサイト以外の閲覧を禁止。また無線LAN環境での利用が前提であるのに加え、教材のダウンロード機能を用意しておらず、オフライン時には教材が利用できない仕組みにしていた。
こうした制限は結果として「失敗だった」と草郷氏は語る。Webフィルタリングによる閲覧制限については、「Webサイトを見る手段はスマートフォンなどZ会タブレット以外にもあり、Z会タブレットにだけ閲覧制限しても意味がない」など、その有効性や必然性を疑う声が保護者から挙がった。教材のオフライン利用制限についても、「通学中などオフライン時でも教材を使いたい」という受講生のニーズに応えられていなかった。また、カメラやアプリの性能/機能にも問題があり、撮影した答案が手振れや暗さでうまく見えないことも多かったという。
こうした失敗から得た教訓を踏まえてZ会が生み出したのが、iPad mini学習だ。Z会タブレットよりも高性能なカメラを搭載するiPadの採用やアプリの工夫で、答案の撮影/提出をしやすくした。併せて、WebフィルタリングによるWebサイトの閲覧制限も撤廃。教材もダウンロードして端末に保存し、オフライン時でも利用できるようにした。
iPad選定理由:「勉強しているように見えない」かっこよさが後押し
AndroidタブレットからiPadへ切り替えたZ会。実はZ会は、デジタルZの推奨端末としてパナソニックが販売するAndroidベースの電子書籍リーダー「UT-PB1」のカスタム版を採用するなど、Androidタブレットには以前から注目していた。もしカメラの性能のみを重視するのであれば、優れたカメラモジュールを持つAndroidタブレットを選択するという選択肢もあったはずだ。さらには、米Microsoftの「Windows 8.1」タブレットを選ぶ手もある。
Z会は、Z会タブレットの教訓を踏まえつつ、以下の5点を重視してタブレットを比較検討。最終的にiPadを選択したという。
- カメラの性能
- 直感的な操作性
- 教育関連アプリの充実
- 「iPhone」との親和性
- 会員からの人気
カメラの性能を最優先しつつ、「説明書を読まなくてもすぐに使える」(草郷氏)という直感的な操作性も評価した。教育関連のアプリが充実しており、「無料で使えるものがたくさんある」(同)こと、比較的高いシェアを持つスマートフォンの「iPhone」と同じiOS端末であることから、抵抗なく使えると判断したことも、iPad採用の理由の1つだ。
会員からの人気の高さも、iPad採用を後押しした。「他のタブレットよりも、iPadは『持っていてかっこいい』『使っていても、勉強しているように見えないところがいい』など、会員の評判が一番良かった」と草郷氏は明かす。
タブレット活用の効果:“たまった教材”の悪影響を払拭、学習スタイルも多様化
提供から半年が過ぎたiPad mini学習では、タブレット活用による効果が既に現れている。紙ベースの教材を送付しないことで教材がたまらなくなり、「教材がたまり、教材を開くのがいやになることが無くなった」「教材の量に影響されず、自分のペースで勉強しやすくなった」という声が会員から挙がっているという。「『この教材のここが見たい』と思ったときに、すぐにアクセスできる」など、教材の閲覧性の高さを評価する声も多い。
オフライン時に教材を利用できるようにしたことは、学習スタイルの多様化につながったと草郷氏は語る。特に「通学中にタブレットで学習するようになった」という会員が多いという。「すき間時間をうまく使って学習を進めることができている」(同氏)。学校の図書室や教室で教材を使った勉強をしたり、生徒同士で教材を見せ合って学習するといった例もあるという。
Z会の添削問題には、公式を適用すればすぐ解答できるような単純な問題はない。どのようなアプローチで解けるのかと、解法の検討に熱中する会員も少なからずいる。「添削問題を持ち歩き、時間が空けば問題を見て解法を考え、思い付かなかったら他の空き時間にまた考え、解法が思い付いたら答案を書く。オフライン時の教材利用は、こうした会員にも支持されている」と草郷氏は語る。
学習ログ機能で会員の長期的な学習履歴を把握できるようになったことは、「適切な時期に適切なアドバイスをする上で大いに役立つ」と草郷氏は説明する(図1)。例えば、部活動や塾などで忙しい会員は、答案を集中的に提出する時期があれば、全く提出しない時期があったりと、答案提出のタイミングが不規則になりがちだ。「答案提出が突然滞った会員がいたら、『答案を出すよう、勉強するよう促さないといけない』と考えてしまうかもしれない。だが会員の長期的な学習行動を把握していれば、打ち手は変わる」と同氏は語る。
草郷氏が「目からウロコだった」と語るのは、「撮影データによる答案提出では手元に答案が残るので、復習がしやすくなった」という声があったことだ。郵送で答案を送ってしまうと、その間は復習ができなくなってしまう。こうした見落としがちだった課題を解消した形だ。その他、質問機能の充実で質問をしやすくした結果、質問数は紙ベースの通信教育と比べて4倍になるといった効果があるという。
「昔の人は紙でしか勉強できなかったから、かわいそう」。著名人による講演会「TED」の動画でリスニングをしたり、電子書籍アプリ「iBooks」で英語の原書を読んだりしているという高校生の会員の言葉だ。iPad mini学習だけでなく、さまざまなアプリや動画を使った学習にタブレットを生かしている会員も多いという。「今までに無かった学習の機会が得られている現在の高校生は、実にうらやましい」と草郷氏は語る。
タブレット活用の課題:答案提出の改善は道半ば、「紙がいい」との声も
タブレット活用の効果は幅広いものの、課題も少なからずある。その1つは、タブレット活用を答案の提出状況の向上に生かすことだ。答案の提出状況は、iPad mini学習を受講する会員と一般会員との差はほとんどないのが現状だと草郷氏は明かす。「会員の学習ペースや学習スケジュールはそれほど変わっておらず、今のところ提出状況の改善につながっているとは言えない」(同氏)
ただし、期待が持てるデータもある。会員向けに年2回実施する全国模擬試験の「実力テスト」では、2014年4月の提出率は、紙ベースの会員と比べて約20ポイント高かったのだ。これは単にタブレット活用の効果だけではなく、「積極的に情報発信して取り組みを促すなど、提出してもらうための施策を重ねたことが影響しているのも事実だ」と草郷氏は説明する。それでも、「会員に働きかけることで、学習行動に跳ね返ることが分かったことは大きい」と同氏は考えている。
「学習者の学習方法はさまざまだということを前提に、学習方法を組み立てることも必要だ」と草郷氏は語る。教材のデジタル化によるメリットを実感した会員からは、「答案も紙ではなく、タブレットに直接書きみたい」と、一層のデジタル化を求める声もあるという。一方で、「やっぱり紙の方がいい」という会員も相当数いると草郷氏は説明する。
オフライン時の教材利用を可能にしたことで学習スタイルを広げる会員がいる一方で、「学校がタブレットの持ち込みを禁止にしているケースはまだ多く、自宅でしか利用していない会員も多いのが現状だ」(草郷氏)という。今後タブレット活用校がさらに広がれば、こうした状況が徐々に変化する可能性はある。ただし、利用が認められる端末にiPadが必ず含まれる保証はない。iPad以外にも対応端末を広げてほしいという会員の声が、今後高まることが考えられる。
今後の展開:タブレット通信教育の本格提供へ
現状は受講対象の会員を高校1年生、2年生に絞り、かつ先着順の受け付けで会員数を制限しているiPad mini学習。Z会が2015年春に、タブレット活用の次の一手として提供するのが「iPadスタイル」だ。アプリを使った答案提出方法といったiPad mini学習の基本的な仕組みを踏襲しつつ、対象を高校1、2年生に加えて高校3年生や中学1年生に拡大し、会員数の制限を撤廃。紙ベースの通信教育と同料金で同社の映像講義サービス向けの講義映像も提供するなど、サービスを充実させる。
「通信教育に求められる要素は変わりつつある」と草郷氏は語る。今までの通信教育は、「学力向上や志望大学合格、学習の習慣化といった学習者の目的のために、各種指導や成績管理、動機付けなどのサービスを提供するだけでよかった」と同氏は指摘。一方で現在では、グローバル社会を生き抜くための能力である「21世紀型スキル」が重視されるようになり、スマートデバイスが学校に広く普及するなど、教育を取り巻く状況が急速に変化している。
こうした中、新たなニーズを満たし、新たな環境を生かすには、「紙だけを使った学習はだんだんと困難になる」というのが、草郷氏の見方だ。ITを生かせば、1人ひとりに適した学習を実現する「アダプティブラーニング」が実現しやすくなるなど、教育の可能性は広がる。「ITを生かし、学習の仕方をさまざまに変化させて提案していきたい」(同氏)というZ会。通信教育をどう変えていくのか、今後も注目だ。
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