“脱Excel”か“活Excel”か
Excelツールの引き継ぎ資料を誰も作らない理由を「ゲーム理論」で考える
「Microsoft Excel」の自作ツールに不具合が生じてから「引き継ぎ資料がない」「製作者もいない」と気付くケースは珍しくありません。ほとんどの人が引き継ぎ資料を作りたがらないからです。なぜなのでしょうか。
「Microsoft Excel」を使って企業内の一個人が自作したツール(以下、Excelツール)は、業務の効率化や自動化に貢献するものならば特に問題視されることなく組織に受け入れられることがほとんどです。この時点ではExcelツールの作成者と組織はウィンウィンの関係を構築していると言えるでしょう。
作成者が異動や退職などの理由で組織を離れると、途端に問題が発生します。より正確に言うと、Excelツールに対して何らかの修正や改良が必要になったときに問題が発生します。これらの自作ツールはほとんどの場合、ツール内容を理解するための操作手順書や設計書などのドキュメント(資料)が存在しないからです。
VBA(Visual Basic for Applications)で作成したツールの場合、VBA内に多少のコメントが残っている場合があります。ただし分かりやすく必要な情報が網羅されたコメントであることはあまり期待できません。引き継ぎを受けた従業員がExcelに詳しければ、問題はそれほど大きくならない可能性もありますが、常に引き継ぎ相手がExcelに詳しいとは限りません。
Excelツールの作成者は、なぜ自作ツールの資料を作成しないのでしょうか。それはゲーム理論の「囚人のジレンマ」「社会的ジレンマ」の例にあるように、人は必ずしも全体最適な選択をするとは限らないためです。
人は全体最適な選択をするとは限らない、囚人のジレンマ
囚人のジレンマは、ゲーム理論という経済学の分野における、有名なゲーム(モデル)の一つです(参考:ITmedia エンタープライズ「囚人のジレンマ」)。このゲームでは、2人の囚人A、Bが互いに相談できない状況で、以下のような条件を提示されます。
- 2人とも黙秘した場合
- 証拠不十分と判断し、2人とも懲役2年
- 1人が黙秘、1人が自白した場合
- 黙秘した1人は懲役10年、自白した1人は釈放
- 2人とも自白した場合
- 2人とも懲役5年
2人とも黙秘すると、囚人AとBの懲役は合計4年となり、囚人A、Bの刑期の合計は最小になります。2人の利益という観点で考えた場合は、黙秘が最良の選択となるはずです。ところがお互いに相談という情報の伝達ができない状況であるため、囚人A、Bともに「お互いが黙秘を選択する」という確証が得られません。従って相手が黙秘を選択しなかった場合を考えて、それぞれが自分にとって最良となる選択肢を考えることになります。
囚人Aの立場に立って考えてみましょう。囚人Bが何を選択し、自分がどう行動すると、どのような結果になるかまとめると、以下のようになります。
- 囚人Bが黙秘を選択した場合
- 囚人Aが黙秘
- 囚人Aの懲役は2年
- 囚人Aが自白
- 囚人Aは釈放
- 囚人Aが黙秘
- 囚人Bが自白を選択した場合
- 囚人Aが黙秘
- 囚人Aの懲役は10年
- 囚人Aが自白
- 囚人Aの懲役は5年
- 囚人Aが黙秘
囚人Aは、囚人Bが黙秘と自白のどちらを選択しようとも、自分は自白した方が刑期は少なくなります。従って囚人Aは自白を選択することになります。恐らく囚人Bも、自分にとって最良となる選択として自白することにするでしょう。
結果として囚人AとBの懲役はそれぞれ5年となり、A、Bともに黙秘を選択するよりも刑期は長くなってしまいます。このようにお互いが最良の選択をしたはずなのに、結果が最良とならないのが、囚人のジレンマと呼ばれるゆえんです。
ゲーム理論で説明する、Excelツールの引き継ぎが困難になる理由
囚人のジレンマは、「協力するか、しないか」という判断が絡む人間関係が存在する分野であれば当てはまる場面は数多くあります。こうしたジレンマは、当然ながら企業活動でも生じます。個人の合理的な選択が集団(社会)にとっての最適な選択に一致しない状況を「社会的ジレンマ」と呼びます。
企業に所属する従業員は、企業の利益を最大化することが使命です。ただし残念ながら、企業の中では「自部門の利益を最大化するために他部門の利益を阻害する」「個人の都合を優先するために他のメンバーの都合を損ねる」といった事例は決して珍しくありません。
自作Excelツールの引き継ぎが困難なことも、この社会的ジレンマで説明できます。Excelツールを自作した従業員は、「引き継ぎの際に資料を作成するか、しないか」を選択できます。考えられるパターンは以下の通りです。
- Excelツールを自作した従業員が資料を作成する
- Excelツールを自作した従業員は資料作成時間が必要となる
- 必要なときに迅速にExcelツールの修正や改良ができる可能性が高まり、部門や会社全体の業務効率の向上につながる
- Excelツールを自作した従業員が資料を作成しない
- Excelツールを自作した従業員の資料作成時間は必要なくなる
- 必要なときに迅速にExcelツールの修正や改良ができなくなる可能性が高まり、部門や会社全体の業務効率の低下につながる
企業全体の利益を考えた場合、Excelツールを自作した従業員が資料を作成した上で、部門の管理者が任命した人に引き継ぐ選択が最も望ましいでしょう。しかしExcelツールを自作した従業員にとっては、個人の利益を最優先する限り、資料を自発的に作成する理由はありません。
Excelの引き継ぎ問題を引き起こさないためには
Excelツール管理の効率性が低下してしまう問題や、Excelツールの維持が難しくなってしまう問題を引き起こさないようにするには、どうしたらよいでしょうか。まず考えられるのは、Excelツールを作成した従業員が異動する前に、それ以外の人物にExcelツールの担当を変更してしまうことです。異動前であれば、少なくともExcelツールに関して不明点があってもすぐに確認できます。Excelツールの作成者が資料を作成していなくてもある程度、内容を理解することは可能です。
資料を全く作成しないのも、それはそれで問題です。組織内でOJT(実地訓練)をしてノウハウを継承したとしても、資料がないと全ては暗黙知となってしまい、組織のナレッジとして蓄積されないからです。とはいえ情報システム部門でもない組織では、そもそもExcelツールに関する資料をどのように書くべきなのか誰も知らない場合がほとんどです。資料を作成したとしても、その資料が妥当な形式かどうか判断することも困難でしょう。それならば形式の整った資料を作成することにこだわらず、組織内にナレッジを蓄積しておくことを優先することも選択肢として検討すべきでしょう。
そう考えると「Slack」や「Microsoft Teams」といったコミュニケーションツールの利用は非常に有効です。例えばOJTでコミュニケーションツールを利用して、画面の操作や音声を録画したり、質問をチャットで受け付けたりすることで、暗黙知のノウハウを記録に落とし込むことができます。このように記録したノウハウを整理しておけば、完全とは言えないまでも、それなりの資料として保存することが可能です。このように社会的ジレンマが起きる状況を可能な限り排除することが、Excelツールの引き継ぎ問題を発生させない秘策だと言えます。
このコラムについて
ほとんどの企業が使っている表計算ソフト「Microsoft Excel」。便利なツールですが、本来の目的を超えて“使いこなし過ぎる”ことが、かえって業務効率を低下させてしまったり、業務の属人化につながってしまったりする場面があるのではないでしょうか。
このコラムでは、日常業務でよく見掛けるExcelの活用例を紹介しながら「こんな場面は脱Excelを考えた方がよい」「こういうExcelの活用法はお薦め」といった知見を紹介します。
村山 聡(むらやま・さとし)
1971年愛知県生まれ、名古屋大学経済学部卒、中小企業診断士。IT企業在職中に、単一業種においてキャリアを積んでいくことに疑問を感じ、どんな業界、職種でも通用する知識を得るべく中小企業診断士を取得。複数社を経て、現在の勤め先にて、コンサルタントとして、データを活用した業務効率改善に取り組む。
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“脱Excel”か“活Excel”か
ほとんどの企業が使っている表計算ソフト「Microsoft Excel」(以下、Excel)。便利なツールですが、本来の目的を超えて“使いこなし過ぎる”ことが、かえって業務効率を低下させてしまったり、業務の属人化につながってしまったりする場面があるのではないでしょうか。 このコラムでは、日常業務でよく見掛けるExcelの活用例を紹介しながら「こんな場面は脱Excelを考えた方がよい」「こういうExcelの活用法はお薦め」といった知見を紹介していきます。
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