「僕はもう諦めていました」 DUNLOPの手順書DXが息を吹き返すまで:頓挫、形骸化…DXプロジェクトの危機にあの会社は何を決断した?
DUNLOP(社名:住友ゴム工業)は、サービスの導入を通じて作業手順書の標準化と作業指導の効率化を進めている。利用者は拡大する一方、社内からは反発を招いた。サービスの導入でぶつかった壁と乗り越え方を担当者に聞いた。
「僕はもう、一旦は諦めていました」――。これは、プロジェクト担当者である研究企画部、脇野宏章氏の言葉だ。
タイヤ事業を主力に、スポーツや産業品など幅広い分野で製品・サービスを展開するDUNLOP(社名:住友ゴム工業)は、作業手順書のデジタル化に向けてスタディストの「Teachme Biz」を導入した。導入を推進した担当者は当初、費用面での追及や現場の反発という「最初の壁」にぶつかった。しかし導入後、サービスのユーザー数を当初の150人から3000人超へと急速に拡大させることができた。
その後、担当者たちは「教育や実作業で作業手順書を使い、属人化を解消するという本来の目的にはまだ届いていない」と、「新たな壁」に直面している。
一度壁にぶつかったプロジェクトを、担当者たちはどう動かしたのか。そして、広がったプロジェクトを組織に定着させるため、今何を変えようとしているのか。
2つの壁を担当者はどのように乗り越えてきた?
DUNLOPでは、2022年ごろから全社的にDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進する機運が高まっていた。ただし、製造現場では、必ずしもその変化を実感できていなかった。
同社製造技術部の塚田泰正氏は当時の状況について「全社的なDX推進の流れはあったが、われわれのところに具体的な施策が降りてくることは少なかった。現場からもアクションを起こしにくかった」と振り返る。
DXという方針はあっても、現場の業務が便利になったり、生産性が高まったりしたという実感にはつながっていなかった。その中で、担当者たちが着目したのが、作業手順書の問題だ。
同社では、作業手順書を主に「Microsoft Excel」や「Microsoft Word」で作成していた。フォーマット自体は存在したものの、古いファイル形式を使う人や、画像を入れる人、入れない人など、作成方法には個人差があった。
同じ作業を指していても、作業手順書や作業実績、従業員の習熟状況をまとめる「スキルマップ」で名称が異なることさえあった。
問題は、資料の見た目が統一されていないことだけではなかった。内容が不十分な作業手順書もあり、読んだだけでは作業を再現できない場合があった。
装置の近くに作業手順書をラミネートして置いておいても、実際には使われず、引き出しにしまわれていたり、更新されていない古いバージョンの作業手順書が残っていたりしたこともある。作業手順書は存在するものの、現場では「見て覚える」属人的なOJTが続いていた。
脇野氏によると、この問題はコロナ禍以前から認識されていた。課題の解決に向けて、最初は作業名やフォーマットをそろえるところから始めた。しかし整理を進めるほど、既存の作業手順書の内容に大きなばらつきがあることが明らかになった。
その結果、フォーマットを統一するだけでは問題は解決しないことが分かった。そもそも現場で作業手順書を参照する習慣がなく、新しい作成ルールを決めても定着しなかったためだ。
無料トライアルさえ通らない 一度は諦めた作業手順書改革
2019年当時、ExcelやWordによる管理に限界を感じた脇野氏は、以前から関心を持っていたTeachme Bizの導入を上長に提案した。しかし返ってきた答えは、費用面での厳しい反応だった。費用対効果を示すことも求められた。
脇野氏は、この時点で「一旦は諦めた」という。個人の問題意識としてツールを提案するだけでは、組織を動かせないことが分かったためだ。
脇野氏が再び動き出すきっかけとなったのは、研究企画部の業務改善活動だった。通常は実作業の見直しや設備の導入などをテーマにする活動で、作業手順書の改善を取り上げることになった。
そこで当時の研究企画部課長は、担当者たちにこう指示したという。
「既存のやり方を一度取っ払って、料理の献立検索アプリを見ながら料理を作るように、誰でも作業できるマニュアルを作ってほしい」
これは、既存の作業手順書を単純にデジタル化するのではなく、「作業手順書を作成すること」から「作業手順書を使って作業を再現できること」へ目的を変える判断だった。
脇野氏と研究企画部の山根宏光氏らは、マニュアル作成ツールを提供するソフトウェアベンダー3〜4社のサービスを比較した。機能だけでなく、クラウドサービスの導入に必要なセキュリティチェックへの対応や、ベンダーの支援姿勢も確認し、Teachme Bizを選んだ。
ただし、製品を選んでも、すぐに利用を始められたわけではない。
無料トライアルの実施時、社内からは「作業手順書をクラウド上で扱い、何か問題が起きた場合はどうするのか」といった懸念が示された。実際の契約に進む際には、費用やセキュリティなど、さらに複数の壁に直面した。
山根氏らは、組織を一度に説得するための決定的な「口説き文句」を探すということはしなかった。指摘された懸念を1つずつ整理し、ベンダーや部課長と相談しながら対策を積み重ねた。
その結果、「ここまで対策したのであれば、無料トライアルぐらいは実施してよい」という合意を得た。
「粘り勝ちだったと思います。私も脇野も、ある意味では諦めが悪いタイプでした。行けるところまでやり切ろうと考えて動きました」(山根氏)
経営層を動かしたのは、DXの将来像を強く訴えることではなかった。「何が心配なのか」を確認し、その反対理由を1つずつなくす地道な対応だった。
あのとき何を決断したか ルールより実績を先につくる
無料トライアルにこぎ着けた担当者たちが選んだのは、全社的なルールの整備や、経営層からの正式な導入指示を待つことではなかった。まずは研究企画部でTeachme Bizを使い、現場の成果をつくることを優先した。
研究企画部には、日常的に繰り返す作業だけでなく、担当者の経験に頼る「職人芸」のような作業もあった。担当者たちは、そうした身近な業務を対象に、半月ほどのトライアルで作業手順書を作成した。
その後、スタディストの担当者も出席し、上長を交えてトライアルの結果を部署内で共有する機会を設けた。費用対効果を説明するだけでなく、Teachme Bizを実際に操作し、どのような作業手順書を作れるのか示すことで、現場の理解を広げる機会を作っていった。
塚田氏は、当時の判断を次のように説明する。
「ツールを見つけたので社内規定に入れてくださいと最初に話せば、『これは何だ』と反発されることが目に見えていました。そこで、実績を先につくってしまおうと考えました」
脇野氏らは、Teachme Bizの導入や運用を正式なプロジェクトとして先に整えるのではなく、利用実績を既成事実として積み上げ、後から組織の理解を得るボトムアップの進め方を選んだ。
「ゼロから1で相当消耗した」
現場発のDXは、担当者の熱意だけでは進みにくい。脇野氏らは手を動かす一方、脇野氏の上長である山根氏は、作業手順書作成の活動に必要な時間の確保や、上長、関係部門との調整に奔走した。
当時、脇野氏らは6〜7人ほどのチームで別の業務を担当しており、Teachme Biz導入の専任担当者ではなかった。ツールの調査やトライアル、説明の準備といった業務は、本来業務とは別に時間を捻出して進めた。
さらに、現場にはデジタル技術に苦手意識を持つ従業員もいた。「今まで通りでよい」「画像や動画を入れる作業手順書は作成が大変だ」といった声も上がった。研究企画部内でも、当初は否定的な意見の方が多かったという。
そこで山根氏は、若手担当者を反対意見の矢面に立たせるのではなく、自ら社内調整や交渉を引き受けた。
「私の仕事は、脇野や塚田の世代が動きやすい環境を整えることです。誰に聞いたらよいのか分からないときに動いたり、彼らが活動する時間を確保したりするのが、私の年代の役割だと思っています」(山根氏)
そんな山根氏は、当時を「ゼロベースから1に行くときに相当消耗した」と振り返る。
一度挫折した担当者が「150のうち120」を求めた
Teachme Bizの研究企画部での利用が始まってから約半年後、取り組みを全社へ広げる転機が訪れた。
製造技術部の塚田氏が、面識のなかった山根氏と脇野氏に突然連絡を取ったのだ。
2022年、DUNLOPのある工場に勤務していた塚田氏は、作業手順書のデジタル化に挑戦したことがあった。しかし、その取り組みは頓挫していた。その後本社に異動した同氏は、工場の担当者から作業手順書を改善したいという声を聞き、再びツールを調べた。その過程で、既に社内でTeachme Bizの契約が進んでいることを知った。
塚田氏は山根氏に、研究企画部が保有する150アカウントのうち、120アカウントを工場部門へ貸してほしいと申し出た。
「なかなか乱暴なお願いでしたが、工場部門にできるだけ配って、Teachme Bizをまずは使ってもらいたいと考えました」(塚田氏)
塚田氏は、自部門で一から仕組みを作り直すのではなく、既に社内で動き始めていた取り組みに合流する道を選んだ。
しかし、アカウントを配るだけでは現場は動かない。そこで塚田氏は、20〜30人程度を集めてオンラインの説明会を開き、その場でTeachme Bizを操作してみせた。出張の際には各地の拠点へ赴き、実際に作業手順書のサンプルを作成したこともある。
塚田氏は自らを「社内営業兼広報担当」と位置付け、社内の知人や、デジタル技術に関心を持ちそうな人物を可能な限り巻き込んだ。
「バラまきというと言い過ぎですが、社内営業のような形で進めました。まずは、Teachme Bizがツールとしてよいものだと認知してもらうことの優先度が高いと考えました」(塚田氏)
こうした活動は、各拠点で作業手順書の問題を持ちながらも解決のきっかけを持てなかった人たちの需要と重なった。研究企画部には問い合わせが相次ぎ、取り組みは部門の枠を越えて広がり始めた。
3000人に広がって判明した、スモールスタートの落とし穴
その後、Teachme Bizのユーザー数は、当初の150人から3000人超へと増えた。動画などを使って作成されたマニュアルも4000件超に達した。しかし、その急速な広がりは、新たな課題も生んだ。
各拠点で説明会を開いても、その後も継続的にマニュアルを編集する人は、30人中1〜2人程度にとどまる場合があった。ツールに関心のある人は使い始めるが、既存の作業手順書を全て移行するような大規模な作業とはならなかった。
その背景には、デジタル化した作業手順書を正式な文書として扱うための社内規定が整っていないという問題があった。現場の担当者の中でも、特に規定やルールに沿って業務を進める従業員ほど、「今の段階で全てを移行するのは早い」と判断したという声があった。
一方、Teachme Bizの運用に関する問い合わせは急増した。研究企画部は各拠点からの問い合わせ対応に追われ、山根氏や脇野氏の負荷は高まった。そこで山根氏は上長に対し、自身と脇野氏をDXやクラウドサービスを担当する専属に近いチームへ移してほしいと求めた。
山根氏は、当時の進め方について次のように振り返る。
「事務局のような基盤を固めないうちに利用は一気に全社へ広がりました。私も脇野も塚田も、問い合わせへの対応に苦慮しました。事務局の基盤や、スモールスタートの規模をもう少し考えていれば、違う進め方があったかもしれません」
スモールスタートは、停滞していたプロジェクトを動かす上では有効だった。一方、成果を広げる段階でも現場主導の進め方を続けたため、運用体制の整備が利用拡大に追い付かなかった。Teachme Biz導入初期に機能した「ルールより実績を先につくる」という判断が、拡大後に限界を迎えた形だ。
「よい見本」が逆効果に 作り込み過ぎて現場が動けない
山根氏、脇野氏、塚田氏は、事務局体制だけでなく、作業手順書の作り方でも“遠回り”を経験した。
脇野氏らは当初、現場が参考にできるように、模範となる作業手順書を作成した。画像や動画を盛り込み、作業場所や棚の名称といった情報を詳しく記載した。しかし、作業手順書の完成度を高めるほど、現場からは「この見本と同じものを作るのは大変だ」という声が上がった。
「最初は、何でも載っていた方がよい、何でも動画にした方がよいと考えていました。ただ、モデルケースを作り込み過ぎたため、その内容を踏襲するのは大変という声が上がりました」(脇野氏)
そこで3人は、作業手順書作成に対する考え方を見直した。最初から動画を多用するのではなく、まず画像を使って作業手順書を作成し、分かりにくい部分だけを動画に置き換える。記載する情報も、実際に必要な範囲へ絞るようにした。
優れた見本を示せば、現場がその通りに動くとは限らない。見本の完成度が高過ぎると、「ここまで作らなければならない」という心理的負担を生む。マニュアルの品質を上げることよりも、現場が作成を始められる水準までハードルを下げることが、普及には必要だった。
AIを全員に使わせない 得意な人とベテランの役割を分ける
作業手順書作成の負担を減らす手段として、DUNLOPは2025年2月、Teachme Bizに続いてスタディストの「Teachme AI」を追加導入した。
※注:Teachme AIは、2026年3月からTeachme Bizの全プランに標準搭載している。
Teachme AIでは、動画をアップロードすると、ツールがAIを使って作業手順の下書きを生成する。従来は、担当者が動画や画像を整理し、構成や説明文を一から考える必要があった。AIの活用によって、作成時間と心理的な負担を減らせるようになった。
ただし、全ユーザーがTeachme AIを使っているわけではない。
編集権限を持つ担当者がTeachme AIを使って作業手順書を作成し、作業に詳しいベテラン従業員がその内容や手順を確認する。デジタルツールが得意な人と、業務知識を持つ人が役割を分担する。
「全員がAIを使わなければならないわけではありません。私や脇野がTeachme AIを使って作業手順書を作り、ベテラン従業員に『ここは違う』『順番はこう』と確認してもらう形にしています」(山根氏)
AIやデジタルツールへの抵抗感がある人に、新しい操作を一律に求めない。各従業員の強みを組み合わせることで、ベテランの知識をデジタル化された作業手順書へ反映している。
利用者3000人でも「本来の目的にはまだ届いていない」
ユーザー数や作業手順書の件数は増えたが、3人はプロジェクトが完遂したとは考えていない。
塚田氏は、「現在は作業手順書を作ることに焦点が当たっている。それを従業員教育に使うという本来の目的には、まだ至っていない」と説明する。
研究企画部では、既存のマニュアル約500件をTeachme Bizに移行する作業を進め、取材時点の2026年6月で、約半数を置き換えた。その結果、簡単な作業であれば、従業員がマニュアルを見ながら一人で実施できるようになった。指導する側と若手の作業者が並んで画面を見ながら、手順を確認する使い方も始まっている。
一方、工場や作業場所によっては、作業する場所にPCを置けない。ユーザー数が増加したことで、どのユーザーアカウントが有効に活用されているかを追跡することも難しくなってきた。
塚田氏は、既存の作業手順書をいつまでにデジタルへ移行するのかを会社として明示すれば、各部署が担当者や作業計画を決めやすくなり、全社的な移行が進むと考えている。「その上で出てくる不安や質問を整理し、ガイドラインとして展開したいと考えています」(塚田氏)
現場での実績を上長に説明した結果、研究企画部が管理する安全作業手順書をTeachme Bizへ切り替える方針が示された。ボトムアップで積み上げた実績が、トップの判断を引き出した。
ボトムアップで動かし、トップダウンで定着させる
DUNLOPの事例では、経営層からの全社指示を待っていた場合、作業手順書のデジタル化は始まらなかった可能性がある。
山根氏、脇野氏、塚田氏は、Teachme Bizの活用をまずは小さな改善活動として始めた。活用に反対する声が挙がれば1つずつ解消し、成果をつくり、社内営業を繰り返し、協力者を増やした。その結果、利用者は3000人超まで広がった。
一方、現場の熱意と人脈を頼りに急速に展開したため、事務局を設置する体制や利用規定、利用状況の把握は後手に回った。模範的な作業手順書を作り込んだ結果、現場の作成負担を高めるという壁にぶつかった。
そこで今、同社が取り組んでいるのが、現場主導の普及から、組織的な定着への切り替えだ。
研究企画部は作業手順書標準化、製造技術部は既存作業手順書の移行を目標に掲げている。社内規定やガイドラインを整備し、国内外の拠点への展開も進める方針だ。
プロジェクトの初期には、正式なルールよりも、小さな実績を先につくる判断が必要だった。しかし、利用が全社へ広がった結果、現場の自発性だけに依存する進め方から、期限、責任者、運用ルールを備えた仕組みへ移行しつつある。
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