シスコの遠隔医療技術を活用するプロジェクトも展開中
IoTでも注目の遠隔医療が日本で遅れている理由
全国各地で進む遠隔医療だが、実現への課題も多い。滋賀県長浜市で遠隔医療プロジェクトを進める京都大学医学部附属病院 黒田知宏教授の講演を踏まえ、遠隔医療の現状と未来像を考察する。
通信技術の発達により、1990年代後半からテレビ電話やビデオ会議システムなどを用いた遠隔医療が行われるようになった。当時は対面診療を補助する役割が中心だったが、現在では「医療機関と医療機関をつなぐ遠隔医療」「医療機関と患者、健康管理を行っている個人をつなぐ遠隔医療」など在宅医療や遠隔健康診断、予防医学の分野まで幅広く利用されている。
政府は「どこでもMY病院」「シームレスな地域連携医療」構想などを掲げ、地域医療再生基金などの補助金を活用した遠隔医療プロジェクトを全国各地域で進めている。しかし、「海外と比べると、日本の遠隔医療の取り組みは遅れている」と京都大学医学部附属病院 医療情報企画部長 病院長補佐 黒田知宏教授は指摘する。
これは、シスコシステムズが2014年1月に開催した医療業界向け事業の記者説明会での発言だ。黒田氏は「情報化時代の地域医療」という講演を行い、海外の遠隔医療事例、黒田氏が参画する国内の遠隔医療プロジェクト、遠隔医療関連技術の動向、国内における普及の課題などを紹介した。
距離の問題解決だけではない遠隔医療の導入効果
黒田氏は、遠隔医療の導入効果として「医療の地域格差の是正(医師の偏在の解消)」「医療費の抑制」「早期治療の実現」「予後管理への介入維持」などを挙げる。中でも、患者と医療機関の距離の問題を解決する「アクセシビリティの向上」が一般的に言われることが多いという。「遠隔医療によって距離の問題を解決できると単純に思いがちだが、実際には人種の問題などさまざまな課題を乗り越えていけるツールとして、世界各地で役立てられている」と説明する。
その例として黒田氏は、オーストラリアのクィーンズランドにある組織「Centre for Online Health」(COH)の取り組みを紹介。多角的な側面から遠隔医療で地域を支えているCOHでは、オーストラリア先住民の居住地で遠隔医療を利用している。この地域では幼少時に耳が聞こえにくくなりやすい特殊な遺伝子を持つ民族がいるが、「残念ながら人種格差があるため、症状が重くなっても手術や治療のために別の街に行くことを避けている」(黒田氏)という。そのため、普段は居住地に派遣された保健師が検査や治療を行い、その情報を遠隔医療システムで医療機関と共有。手術が必要な場合、遠隔地の医師が居住地に赴いて手術を実施する仕組みによって、居住地の医療の質の向上に取り組んでいる。
湖北遠隔医療事業では医療機関のコミュニケーションに利用
黒田氏が参画する国内における遠隔医療プロジェクトが、滋賀県長浜市における「湖北遠隔医療事業」だ。町村合併により福井県の県境まで拡大した長浜市では、2011年から「地域医療再生計画」と「超臨場感コミュニケーション産学官フォーラム」医療WGの事業として遠隔医療プロジェクトに取り組んでいる。
長浜市の山間へき地に位置する湖北医療圏は、へき地医療拠点病院「長浜市立湖北病院」と永原、塩津、中之郷にある3つの有人診療所、杉野、金居原、中河内に設置された巡回診療所などが地域の医療を支えてきた。しかし、医師不足により医師の負担が増加していたため、長浜市では医師の負担軽減や総合診療医の育成などの維持強化対策の必要性を感じていた。また、高齢化率が高く認知症の患者が適切な医療を受けることが困難な状況にあり、在宅医療を支える多職種連携、地域包括的な医療への転換が必要だった。
このプロジェクトでは、遠隔医療技術を活用したネットワークシステムを構築し、市立長浜病院を含めた遠隔対面診療や遠隔診断支援などによる効率的な運用体制を目指している。シスコシステムズが提供する遠隔医療支援システム「Cisco HealthPresence」を採用。医療機関のコミュニケーションのツールとして、各拠点にテレビ会議システム「Cisco TelePresence」を設置し、聴診器などの診断機器とCisco HealthPresenceで連係して患者情報を収集、遠隔地の医療機関との情報共有を図っている。2013年10月には、市立長浜病院と中之郷診療所におけるテレカンファレンスを実施した。
実際、医療機関で連携するに当たり「医師が期限付きで短期間派遣される診療所、地域の中核病院として医療提供を目指したい病院、全体最適化を図りたい病院など医療機関ごとに方向性が異なり、コミュニケーションが取りづらい状況にあった」(黒田氏)。
また、「医師間の人的ネットワーク(つながり)がない状態から、医療連携を進めた事例はこれまでになかった取り組み。医療現場に強制的にでもツールを導入することで、意識の違いなどがある医師たちが、患者へのサポートについて議論し始めた段階にある」と現状を説明する。「少なくとも道具を整えることで、医療現場のコミュニケーションが変わる可能性がある」と語る。
遠隔医療を支えるシスコシステムズの取り組み
黒田氏は「Cisco HealthPresenceは、テレビ会議システムをベースに電子聴診器や検査機器などを連係して使用している。既にある技術を組み合わせており、パッケージとして利用できる点が特徴。米国やインドで運用実績があり、今回のプロジェクトでも研究的な意義ではなく、現場で使ってもらうことで医療を変えたいという意図がある」と導入経緯を説明する。
湖北遠隔医療事業で採用されたCisco HealthPresenceは、2013年12月に最新版「Cisco HealthPresence 2.5」(以下、CHP 2.5)が提供開始された。CHP 2.5は、地域医療連携の基盤となるEHR(生涯健康医療電子記録)システム、電子カルテやPACS(医用画像管理システム)などのバックエンドシステムと連係し、同社のビデオ会議システムやユニファイドコミュニケーション製品などを経由して、医師や患者、専門医の間など遠隔拠点間の対面式コラボレーションを実現する。旧バージョンまではハードウェアとソフトウェアを同梱していたが、CHP 2.5はソフトウェアのみで提供される。導入施設は自院で選定したハードウェアを使用して遠隔医療ネットワークを構築できる。
CHP 2.5では、医療機器との連携機能を強化された。米3Mの聴診器「3M Littmann Stethoscope」など遠隔で測定した医療機器の測定結果、医療用カメラ画像、聴診器の音などの情報を単一画面でリアルタイムに表示する。また、HL7やDICOMなどの標準規格に準拠した電子カルテ、PACSなどの専用ビュワーを搭載することでへき地や遠隔地にいても専門医による高度な診断や健康相談などを可能にする。
シスコシステムズの公共・医療担当ソリューションアーキテクト 岩丸宏明氏は、「医療分野は、当社が掲げる『IoE(Internet of Everything)』(詳細は後述)による革新が期待される分野。医療機器や生体センサー機器のベンダーと協業することで、急性期や回復期、在宅ケアを包括し、リスクを低減した安全な医療・健康環境を提供していきたい」と語る。
医療分野のIoTは今後どうなる?
シスコシステムズが掲げるIoEとは、モノや人、プロセスなど全てをネットワークでつなぎ価値を生み出していくという概念。M2M(Machine to Machine:機械間通信)に代表される各種計測機器やセンサーをインターネットに接続する「モノのインターネット(IoT:Internet of Things)」に近い。医療分野におけるIoTは今後、どう進展するのだろうか。
黒田氏が所属する京都大学医学部附属病院では、電子カルテシステムと病院内の各種計測装置とのデータ連係の取り組みが進められている。例えば、看護師が入院患者に薬を投与する場合、患者の腕にあるバーコードと薬のバーコードを読み込み、電子カルテにあるオーダーと合致することを確認することで医療提供の安全性を高める取り組みが一般的だろう。同病院では、無線LAN接続を持つデジタルカメラや体温計などのバイタル計装置の計測データを電子カルテシステムに自動転送することにも取り込んでいる。
また、遠隔医療への応用に関しては、海外では2001年に大西洋を横断するネットワーク経由での遠隔操作による「68歳の女性の胆のう摘出手術」の成功例(Operation Lindbergh)がある。日本でも遠隔地からの内視鏡手術やロボット外科手術の試みが行われているが、「国内では薬事法の規制が課題の1つにある。技術的には実現可能で研究成果も出ているが、実用段階までには至っていない」という。
医療・健康情報は「より家庭へ、体内へシフト」
医療情報の収集技術について、黒田氏は「より家庭へ、体内へシフトしている」と解説する。例えば、米Intelや米IBM、米Googleなどが参画する「Continua Health Alliance」(以下、Continua)では、家庭にある計測機器やフィットネス機器などをデータを健康管理クラウドサービスと連係することで人々の健康管理を支援する事業を展開している。また、体内埋め込み型センサーの導入も進められている。黒田氏によると、これらによって個人(医療機関以外)から発生する健康情報のリポジトリ「PHR(Personal Health Record)」と、どこでもMYカルテなどに代表される診療情報を個人で管理する「PCEHR(Personally Controlled Electronic Health Record)」を活用でき、在宅健康管理や在宅予後管理などにつなげられるという。
既に北欧のEU諸国を中心に進められているプロジェクト「ITTS(Implementing Transactional Telemedicine Solutions)」では、複数国家間でITをベースとする在宅医療を展開している。オーストラリアでは2012年7月から国家レベルのPCEHR基盤を運用。また、フィンランドでは認知症の高齢者のライフログを収集した日常生活の見守りや遠隔地の病院が後方支援のサポートなどを実施している。
遠隔医療の普及への課題と理想像
遠隔医療の普及に関する課題として、黒田氏は、医療機関に診察してもらうかどうかを患者側で適切に判断できないという「医療現場と患者間のコミュニケーションのギャップ」を挙げる。そのため、杉野診療所では聴診器の正しい使い方を、映像を通して理解してもらうことで、遠隔聴診に取り組んでいるという。
また、遠隔医療の理想像については「さまざまな情報基盤が医学の知識と結び付き、さらに医学の知識を膨らませる。地域にいる多くのステークホルダーをネットワークでつなぎ、インターネットに病院が出来上がる仕組みをつくりたい。地域社会と医師、患者、医療機関など全員が当事者となることで、その全員で支えていくことを目指している」と語る。
黒田氏は「情報技術の進化によって全員参加型の医療・介護体制は技術的には難しくないレベルまで来ている。まだ技術的な課題もあるが、責任の一元化やタスクの分散が一番難しい。誰がどこで責任を負い、誰にタスクを振るのが社会全体として効率がいいのか、患者情報を一元化して誰でもアクセスできる仕組みによってコミュニケーションを円滑にしていくことが重要。日本社会は遅れていると言い続けてきたが、そろそろ真剣に考える必要があるのでは」と講演を締めくくった。
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