旭硝子の“AWSファースト”事例【前編】
「クラウドには向かない」レガシーシステムをAWSへ――旭硝子の決断
ガラスメーカー大手の旭硝子が「Amazon Web Services」へ基幹システムの移行を決定した。当初は「クラウドには向かない」「古いタイプの情シス」と自らを評価していた同社がAWS移行を決断したワケとは?
国内の企業ITがクラウドコンピューティングに移行しにくい大きな理由の1つに、長い年月にわたって培ってきた膨大なレガシー、特に社内業務を支える基幹システムの存在がある。最低5年から10年は運用しなければならないハードウェアや、サブスクリション契約から逃れられないミドルウェア、そしてその上で構築してしまった汎用性の乏しいアプリケーション、そうしたものがお互いに密接に絡み合い、どこにも動くことのできない巨大な足かせとなって、時代の変化を受け入れ難くしてしまう。最初からクラウド上に基幹システムを構築できるスタートアップと比べ、抱えているものが重く、大きすぎるのだ。
だが、そうした企業にもパラダイムシフトは確実に訪れつつある。レガシーの塊だった基幹システムをクラウドに移行するケースが、国内大企業で少しずつ増えてきているのだ。本稿ではその代表的な事例として、世界トップクラスのガラスメーカーである旭硝子が「Amazon Web Services」(AWS)に基幹システムの一部である「SAP ERP」の移行を決定した話を紹介したい。なぜ国内大企業は今、クラウド移行を選ぶ時期に来ているのか、そしてこの移行は彼らのビジネスをどう変えようとしているのか。クラウドが企業ITにもたらすポテンシャルについて考えてみたい。前編では、旭硝子がクラウド移行を決断した経緯、懸念点をどのように払拭したのか、AWSを選んだ理由について紹介する。
クラウドは企業ITに向かないのではという不安
「旭硝子は2015年度以降、全ての基幹システムの構築先はAWSを第一候補とすることを決定した」――旭硝子 情報システムセンター グローバルIT企画グループ 主席 浅沼 勉氏は、報道関係者向け説明会の冒頭でこう切り出した。クラウドへの移行を決めた最大の理由は「最後に残ったメインフレームのターミネートが目的」だったと浅沼氏。10年ほど前からメインフレームでホストしていた基幹システムを徐々にオープン系にシフトしてきたが、最後に残ったシステム、販売系で利用していたメインフレーム上のSAP ERPが保守切れを迎えるに当たり、これをどうするかが課題として上がってきたのだ。
次もオンプレミスで構築するか、それともクラウドへ移行するのか。浅沼氏によれば2014年3月時点では「クラウドはほとんど選択肢とならず、オンプレミスで行くという空気が支配的だった」という。だが、オンプレミスで構築してしまうと5年後にはハードウェアの更新を行わなければならず、10年、20年のスパンで利用する基幹システムに使うにはコストが掛かることも事実だった。既にクラウドの企業導入事例が国内でも多く発表されていたこともあり、浅沼氏らもクラウドを移行の候補に考え始める。しかし、基幹システムの要求スペックをクラウドが満たすことができるのか、法律やセキュリティ的にはどうなのか、そして安定稼働できるのか、加えて「出入りのSIerからは「『クラウドにすると返ってコストが高くつく』とも言われていた」(浅沼氏)こともあり、幾つもの懸念が浮かび上がってきた。「要するにクラウドについての知識がなさすぎたことが迷いの要因。知らないことだらけだったので、それらが不安となってクラウドをシステム移行先の選択肢から遠ざけていた」(浅沼氏)
不安と懸念の極め付きは「われわれのような古い体質の大企業にはクラウドは向かないのでは」(浅沼氏)というものだった。世に溢れるクラウドの成功事例を見ると、クラウドを導入することで差別化やイノベーションを生み出し、頻繁にコードを書き換え、修正点や変更点は自分たちで直す内製指向で、ビジネスを速いサイクルで回していくタイプの企業にこそクラウドは適しているように思われたからだ。「自分たちで何でもできる内製指向の企業と異なり、われわれは外注中心で、しかも構築するのは基幹システムという記録システム。速いサイクルでの機能追加もリサイジングの頻度も少ない。そんな古いタイプの情シスにクラウドは必要あるのか、そうした意見も少なくなかった」(浅沼氏)
だが、クラウドの導入事例を調べるにつれ、どの企業もクラウドによる大幅なコスト削減を挙げていることに、旭硝子もまた引かれないわけにはいかなかった。たとえ古いタイプの情シスであってもクラウドに行くべき理由はあるはず――浅沼氏らはコスト削減を大前提に、クラウドへ移行すべきメリットを洗い出すことにした。その結果、「事業継続計画(BCP)」「システムのライフサイクル」「ガバナンス」の3つの側面でクラウドの方が有利であるという結果に至っている。
まずBCPについて。東日本大震災以降、旭硝子でもBCPの重要性は常に指摘されており、その対策が急がれていた。しかし事業会社が自前で災害対策(DR)専用のデータセンターを維持、運営することは非常にハードルが高いと言わざるを得ない。データセンターの維持コストもさることながら、人材の確保も簡単ではない。もし非常事態が起こった際には、テープで取ったバックアップから1カ月以上かけてデータをリストアすることになるだろう。だが「1カ月も前のデータで事業の継続というのはそもそも成立しないのでは」と浅沼氏は指摘する。これがクラウドであれば、データのバックアップやリストアが、ほぼリアルタイムで行うことができる。専門のスキルを持った人材の手によって行われることになる。
次に、システムのライフサイクルは、旭硝子にとって長いこと大きな課題だった。前述したようにオンプレミスを選んでしまった場合、5年ごとに訪れるハードウェアの更改に悩まされることになる。「情シスはいつもバージョンアップに追われている。だがわれわれは本来、バージョンアップ部隊ではなく業務改革の担い手のはず。そもそも本当にバージョンアップが必要かどうかもユーザーには理解されていない。われわれが従うべきは事業のライフサイクルであって、ハードウェアのライフサイクルではない。クラウドであればハードウェアの更改作業からは解放され、本来の情シスの業務にフォーカスできる」(浅沼氏)
最後のガバナンスは、多くのグループ会社を持つ企業ならではのチェックポイントだろう。通常、旭硝子のような大企業では本社のITポリシーがグループ会社にも適用される。だがその際、ポリシーだけを押し付けてもうまく運用することは難しい。「ポリシーを実現する基盤も一緒にグループ会社に提供しなければ意味がない」と浅沼氏。そのためには無駄にハードルを上げないためにも、自前で構築するシステムではなくクラウド、それもプライベートクラウドではなくパブリッククラウドの方が適していると考えた。
何より重要だったのは、タイミングではなかっただろうか。浅沼氏は「今、クラウドへ行かなければきっと2020年までオンプレミスのままだ。この更改のチャンスを逃してはいけない」と、クラウドへの移行を最終的に決めたときの心境をこう振り返っている。企業の情シスにとって保守切れというのは数年に一度のチャンスでもある。この時期にどういう選択をするかで、事業に大きく影響が出る可能性すらあるのだ。この波に乗り遅れてはいけないという情シスとしての危機意識が、クラウドへと大きく舵を切ったのは間違いない。
全ての懸念を払拭したAWSクラウド
クラウドへ移行すべき理由が見えてきたところで、ではなぜAWSを選んだのか。旭硝子 情報システムセンター グローバルIT企画グループ プロフェッショナル(IT基盤、IT運用技術) 三堀眞美氏は「AWSにするということに関してはほとんど迷いはなかった」と言い切る。
コストの面では、競合他社を押さえて低価格だったという。もちろんオンプレミスに移行するよりも低価格だったことは言うまでもない。加えてユーザー企業によるコミュニティー「Enterprise JAWS-UG」(E-JAWS)や国内データセンターの存在、豊富なSAP本番環境導入事例数など、「ヒト、モノ、カネ、そして環境と実績、そのいずれの側面でもわれわれの理想に一番近かったクラウドがAWSだった」と浅沼氏は評価する。「少なくとも2014年3月時点で、われわれの要求をここまで満たすクラウドはAWSだけだった。特に絶対条件だった国内データセンターを運営していることは大きかった」と三堀氏も振り返っている。
最大のポイントだったコストについてもう少し見ていこう。ここで浅沼氏は「実を言うとオンプレミスと比較してものすごく安いといえるほどの体感は現時点ではない」としている。もちろんハードウェアに関しては「5年で20%の削減になるので大きい」(浅沼氏)としながらも、肝心の運用面に関してはシステム稼働前の現時点(本番稼働は2016年3月予定)では数字として出せないため、感覚でしか言いようがないからだ。しかし、将来の副次的な効果、例えば無駄な開発検証機の停止の徹底、DR対応、現在運用中のデータセンターの縮退などを視野に入れれば「5年サイクルで見た場合、半分近くまでコストが圧縮できる」(浅沼氏)ことが分かっているという。運用を進めていけばさらに削減できる部分は多そうだ。コスト試算は場当たり的に考えるのではなく、数年単位でのスパンにおけるポテンシャルを見定めることも重要なポイントである。
もっとも「コスト削減」という要素はクラウドにおけるポジティブな要素であり、経営層や業務部門にも訴求しやすい。それ以外のネガティブな要素、例えばセキュリティなどに関する懸念点はどう評価したのだろうか。
浅沼氏らはこのクラウドに対するネガティブな側面を
- 法律的な問題
- セキュリティリスク
- 旭硝子の内部統制との整合性
- その他、社内規定との整合性
の4つのフレームに分け、それぞれに関して精緻に検討した。特に日本国内に本社を置く企業としては、法令順守は絶対に守らなければならないラインである。クラウドにデータを置くことで法律に抵触する可能性があればその時点でアウトだ。そこで浅沼氏らは旭硝子が持つデータを、人事データ、会計データ、製造データな幾つかのカテゴリに分け、それぞれに関連のありそうな法律をリストアップし、チェックしていった。その結果、「データを適切に保護できるかどうかが重要であり、データがオンプレミスにあるかクラウドにあるかは問題ではない。ただし、国内のデータセンターであることは譲れない」という結論に到達したという。内部統制に関しては、AWSにデータを置いた場合、社内にデータがある状態と同じようにコントロールできるかどうかをチェックし、最終的にはAWSからも資料を提出してもらい旭硝子の監査法人に確認を取り、万全を期した。セキュリティについても同様に責任範囲の切り分けなどAWSから詳細な説明を受けている。「4つのネガティブな面全てをクリアできることが分かり、AWSに移行しない理由がなくなった」(浅沼氏)として2014年8月18日、最終的に全基幹システムを移行していくことを決定した。
後編「“更改はチャンス”、AWS導入を決断した旭硝子の覚悟とは」では、実際にAWSを使ってみてどうだったか、クラウドという全く新しい技術を使う上で実感した難しさなどをお伝えする。
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