災害時の広域患者搬送を支えた情報管理体制震災で医療ITは何ができたか?【後編】

東日本大震災発生後、被災地ではさまざまな災害医療活動が行われた。その中から、慢性疾患患者を広域搬送した気仙沼市立病院、迅速に医療情報システムを改修して診療業務を継続した石巻赤十字病院の活動内容を紹介する。

2011年09月12日 09時00分 公開
[翁長 潤,TechTargetジャパン]

 「災害時でも機能した医療システムの特徴」に続き、地域医療福祉連携協議会が2011年7月に開催したシンポジウム「震災復興に、地域医療ITは何ができるか?」から、宮城県気仙沼市と石巻市などの被災地で震災直後から医療活動を行った医療従事者の講演を紹介する(関連記事:被災した医療従事者が果たすべき役割とは)。

広域患者搬送における情報管理の重要性

photo 気仙沼市立病院の成田氏

 気仙沼市立病院 脳神経外科科長 成田徳雄氏は、宮城県災害医療コーディネーターとして災害医療に従事し、今回の活動を通して「あらためて情報管理の重要性を実感した」と振り返る。

 災害時の情報提供対策として、宮城県では総務省の移動無線センターが管轄しているMCA(Multi Channel Access System)無線システムを2005年に導入。MCA無線システムとは、一定の周波数を多数のユーザーが共同利用可能な陸上移動無線システムだ。宮城県庁が各地域との通信で情報収集を行いながら「災害医療情報システム(EMIS)」に代行入力する体制を取っていた。しかし、その基地局は石巻市や仙台市、一関市などに設置されており、気仙沼は対象圏外だったため、気仙沼では県から配布された衛星電話を利用して情報の送受信を行っていた(関連記事:物言えぬ患者の代理人となる医療情報カード「MEDICA」)。

 トリアージ訓練のリーダーを務めていた成田氏は、被災後すぐに簡易用テントにトリアージポストを設置して医療活動を開始した。しかし、衛星携帯電話はメンテナンス不良が影響し、被災後は初期化されて利用できなかった。

 気仙沼では3月11日夕方ごろ、港付近の船から重油が流れて大規模な火災が発生した。翌日の朝に自衛隊が、夕方に東京DMAT(災害派遣医療チーム)が現地入り。成田氏は自衛隊やDMATとともに医療支援を開始する。東京DMATの衛星電話を利用して、ようやく外部との通信が可能になり、宮城県庁と1日3回の定時連絡を実施した。テントの前に白板を設置して必要な情報を手書きで記入し、持参した地図に経路を書き込みながら利用可能な道路を確認した。その後、3月15日早朝に仮設電源の不具合が発生したことを受け、院内の重症患者24人を後方病院である東北大学病院へ緊急搬送することになる。

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