「個」と「グループ」それぞれにiPadを生かす
さよなら“静かな講義室”――iPadで実現した「会話が生まれる講義」とは?
学生に1人1台iPadを持たせ、主体的な学習を促す講義を実践するのが、大阪大学の岩居弘樹教授だ。その講義には、授業や講義におけるIT活用のヒントがあふれている。
一方通行の講義ではなく、学生の主体的かつ積極的な参加を取り入れた講義方法である「アクティブラーニング」。長年にわたり、「ビデオ撮影」を用いたアクティブラーニングをドイツ語授業で実践してきたのが、大阪大学 全学教育推進機構 教授の岩居弘樹氏だ。
肩に担ぐほどの大きなビデオを使った授業から始まった岩居教授の授業スタイルは、その後、デバイスの変化とともに進化。2013年秋からは、自身のクラスでiPadを1人1台使用できる環境が整ったという。iPadの活用で、アクティブラーニングはどう進化したのか? その模様をリポートする。
「iPadにくぎ付け」の学生は皆無
「ものすごい時間、ドイツ語を話している」――。恐らく、学生のこの感想ほど、岩居教授の授業を物語っている言葉はないだろう。それほどまでに、岩居教授の講義では、とにかく「声に出して話す」時間が長い。そのせいだろうか、学生はiPadを使って勉強したり、発音練習やムービー制作にiPadを活用しているものの、単にスクリーンに向かって“お勉強”をしているようには見えない。伝わってくるのはあくまでも「全員が話し、参加している姿」だ(写真1)。
工学部の1年生45人が受講するドイツ語講義では、学生1人当たり1台のiPadを配布し、3人ごとに分かれたグループワーク中心で授業を進める。ドイツ語講義では、iPadを使う講義用に構築した“iPad部屋”と呼ばれる講義室を利用する。講義室の壁面は、窓側を除いて映写可能なホワイトボードになっている(写真2)。
講義ではまず、学生は紙のプリントを受け取り、岩居教授からその日の講義で習得する例文の説明を受ける(写真3)。その後、おのおのiPadを手に取り、プリントに書かれた例文を見ながら発音練習をし始める。ここまでに充てる時間は、90分の講義時間のうち、わずか10分。発音練習に割くのは、その後の30分だ。実に講義時間の3分の1を発音練習に割くことになる。
発音練習:2つのアプリを活用
発音練習には、「Word Wizard」と「Dragon Dictation」という2つのアプリを使う。
Word Wizardは、画面上に並べたスペル通りに、ネイティブスピーカーの正しい発音で単語を発音してくれるアプリだ(写真4)。日本人が苦手とする子音の発音に役立つ他、長い単語の音節だけを取り出してチェックするといった使い方もできる。Word Wizardにより、ネイティブスピーカーがいなくても、リアルな発音に触れる環境を実現している。
Word Wizardで正しい発音を聞いた後は、音声認識アプリであるDragon Dictationを使い、自分が発声したドイツ語の発音が合っているかどうかを確認する。
従来の講義や授業での発音練習といえば、教員が発音したドイツ語を皆で復唱するだけで終わっていた。だが岩居教授のクラスでは、発音した例文をDragon Dictationに正しく認識させようと、学生がひたすらiPadに向かって話しかけている姿がごく普通の風景となっている(写真5、6)。
Dragon Dictationの使い方も興味深い。学生は、Dragon Dictationが認識した発音内容のログを削除しないで全部残し、そのログの幾つかを紙のプリントに書き出している(写真7)。こうすることで、どの発音が苦手なのかを学生自身で客観視する。さらに、岩居教授がそのプリントを見ながら、学生に個別でアドバイスをしているという。
Dragon Dictationを発音レベルの基準として位置付け、学生1人ひとりが“言葉の通じるレベル”を体感しながら学んでいける環境は、実用的な外国語を学ぶ上で1つの望ましい形だといえるだろう。Dragon Dictationに発音を正しく認識されたときの学生の喜びを見ていると、iPadとDragon Dictationを活用した講義は、学生にとって満足感や達成感が得られるだけでなく、ドイツ語習得のモチベーションにもつながっていることが分かる。
学生の主体的学習を支援、教員は「ファシリテーター」に
iPadを1人1台使用することで、学生の学習ログが簡単に記録できるだけでなく、教員がプリントに書かれた認識結果を見ながら、リアルタイムで有益なアドバイスしたり、学生への言葉がけを増やせたりするのは注目したいポイントである(写真8)。こうした学びのスタイルこそが、「教員の役割が、『教える』という立場から『ファシリテーター』になる」という岩居教授の思想を体現しているのであろう。
実はDragon Dictationは、「ネイティブの発音でも正しく認識しない場合がある」と岩居教授は明かす。だがそれは、音声認識の精度が低いということではなく、比較的厳密に発音を認識している結果だというのが、岩居教授の見方だ。「Dragon Dictationで認識された発音は、ネイティブにも十分に通じると考えてよい」と岩居教授は語る。
グループワーク:動画のシナリオ作りから撮影まで
Word WizardとDragon Dictationを使った30分の発音練習が終わると、学生は残りの時間、ショートムービーを作るグループワークに取り掛かる。学生はまず、当日習った例文を基にショートムービーのシナリオを作成する。シチュエーションやストーリー展開などのアイデア出しや実際の会話文の作成まで、全て講義室内のホワイトボードを使って進める。
学生は講義室の壁面のホワイトボードや可動式のホワイトボードを使い、ディスカッションをしながらシナリオのせりふやアイデアを練り上げていく。それぞれのグループがどのようなストーリーを練っているのかが、教員や他のグループの学生にもホワイトボードを見ることで一目で分かる(写真9、10)。
「グループ作業で何かを話し合ったりするときは、ホワイトボードの方が便利だ」と岩居教授は指摘する。「あらゆる方向から見える形でアイデアをまとめていく方が、他のグループの表現なども参考にできて、学生がよりアクティブに学ぶことができる。私自身も、各グループがどこでつまずいているのかなど知りやすく、アドバイスをしやすいという利点もある」(写真11)
デジタル一辺倒ではなく、デジタルとアナログのそれぞれの利点を生かして使い分けているところが興味深い。
「翻訳サイトは使わない」のがルール
「シナリオを作る際には、『翻訳サイトを使わないこと』をルールにしている」と岩居教授は説明する。これは、講義で習っていない表現や単語を使おうと、日本語で書いた文章を翻訳サイトでドイツ語に翻訳してしまうと、日本語ベースで訳された奇妙な言い回しになることが多いからだという。
翻訳サイトの代わりとして学生に利用させているのが、外国人が日本語を学ぶための辞書アプリ「imiwa?」をはじめとする語学アプリだ。岩居教授は、こうしたアプリを使って“文例”を探すように学生を指導しているという。中でもimiwa?は重宝しているようで、キーワード検索で見つかる文例が多く、しかも学生たちが使いたくなるような身近な表現が多くデータ化されているという。
ロイロノートでムービー作成、試行錯誤が会話を生む
シナリオが完成したら、「ロイロノート」というプレゼンテーションアプリを使ってショートムービーを作成する(写真12)。ロイロノートを使うと、動画やイラスト、写真を使ったスライドを簡単に作成できる。スライドを線で結びながらストーリーの展開を考えたり、動画撮影後に音声だけを録音し直すアフレコの際に秒数が可視化できたりするなど、操作性に優れている。
学生たちは、グループごとに動画や写真を撮影したり、分担しながらイラストを描いたりして個性的な作品に仕上げる。作業をしているさなかの学生の活気ある雰囲気は、実に頼もしい。動画を撮っているときに演者の表情について指示を出したり、アフレコの途中に発音の間違いを指摘しあうなど、グループ内の会話が活性化している(写真13、14、15、16)。
こうした雰囲気があることで、学生たちのさまざまな“気付き”や“曖昧な点”が言葉として表面化していることに注目すべきだ。加えて、トライ&エラーが何度もできるというデジタル作品特有のメリットが、こうした活発な会話を促していることも見逃せない。
完成したショートムービーは、ロイロノートの「トンネル」というデータ転送機能を利用し、岩居教授が持つiPadのロイロノートに転送する。この時点で講義は終了。その後、ショートムービーを動画共有サイトの「YouTube」で教員や講義受講者内で限定公開し、他のグループの作品も観賞できるように共有する。
iPad活用で「体感」が得られる講義を実現
岩居教授の授業は、発音練習からショートムービーの提出まで、学生たちの声が途切れることなく進む。こうした雰囲気にあっては、学生たちがのびのびしながら主体的にドイツ語学習に取り組めるのは言うまでもない。だがそもそも、ネイティブにも通じるドイツ語の発音レベルに触れたり、ドイツ語会話をショートムービーに撮って共有したりすることで、幾つもの「体感」が得られるような授業デザインになっていること、それ自体に注目すべきだ。
「タブレットを使って何ができるか」という発想ではなく、あくまでも「どのような授業をしたいか」という視点がスタートであること。当たり前のことのように感じるが、その大切さをあらためて感じた講義だといえる。
執筆者紹介
神谷加代(かみや かよ)
フリーランスライター/ブロガー。結婚を機にサンフランシスコに移住し、日本語の絵本を扱ったECサイトを運営。その後、10年の在米生活を経て帰国し、主婦ブロガーとして「家庭×教育IT」に関する話題をメインにした「主婦もゆく iPad一人歩記」を執筆。家庭や教育におけるITの在り方を主婦目線で描き、教育関係者をはじめとする多くの読者から支持を得ている。現在は教育ITの分野を中心にライター業、子ども向けプログラミング教室の講師として活動中。著書に『iPad教育活用 7つの秘訣』。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
新着ホワイトペーパー PR
-
製品資料
[株式会社MatrixFlow] 「物流リソース最適化」ガイド:人員・配車・傭車を出庫依頼の確定前に決めきる -
製品資料
[株式会社キーエンス] なぜRPA導入は頓挫する? シナリオ作成の壁を乗り越える解決策とは -
製品資料
[株式会社セールスフォース・ジャパン] 「CRMは設計と無関係」は本当か? PLMとの融合で実現する高速開発 -
事例
[日本ヒューレット・パッカード合同会社] AIエージェントの時代にどう備える? 「新たな働き手」を支える3要素とは -
製品資料
[日本ヒューレット・パッカード合同会社] “横並びの自動化”から脱却、AI活用で生産性と競争力を高める秘訣
こんなメディアも見られています
TechTargetジャパンに関連する情報をお探しであれば、こちらのメディアもお役に立てるかもしれません。
ベンダーコンテンツ PR
From Informa TechTarget
SpecialPR
アクセスランキング
-
1
なぜ「全社配布Copilot」は使われないのか? 失敗に学ぶAI定着
-
2
法務と開発者で「言葉が通じない」問題 トヨタやソニーが語るOSS管理の真実
-
3
なぜ「Gemini 4 Argon」は出遅れたのか? Googleが狙う“逆転のシナリオ”
-
4
損保ジャパンはなぜ「COBOL」を捨てなかったのか? 脱メインフレームの真相
-
5
情シスの約8割が転職や退職を意識 調査で分かった“辞めたくなる最大の理由”
-
6
ChatGPTは“検索しまくり”でGeminiは“淡泊”? データが明かすAIの裏側
-
7
情報漏えいはなぜ繰り返されるのか 今すぐ見直すべき「境界」
-
8
「Wi-Fi 7」経由でWindowsが乗っ取られる? 最高権限奪取の恐怖
-
9
「結局使わなくなる」Microsoft 365 Copilotを半年で定着 キリンの3施策
-
10
「中堅・中小企業のネットワーク・セキュリティ運用実態」に関するアンケート
ホワイトペーパーランキング PR
-
1
不審メールの経路や見せ方に変化? 2026年夏の3事例から見えた動向と対処方法
-
2
家庭用Wi-Fiルーターの業務利用は危険? 避けるべき理由と具体的な対策
-
3
Microsoft 365を安全に運用 うっかりミスやサイバー攻撃に備えるデータ保護術
-
4
財務部門がAIを最大限に活用する方法 無駄のない戦略的リーダーシップへの道
-
5
LLMが兵器化? 元FBI高官が鳴らす警鐘とセキュリティツール統合のポイント
-
6
「オンプレミス回帰」せざるを得ない“合理的な理由”
-
7
なぜRPA導入は頓挫する? シナリオ作成の壁を乗り越える解決策とは
-
8
生成AIを開発に導入しても効果が見えない? 実証実験で分かった成果と課題
-
9
経産省DX指針から読み解く、受発注業務デジタル化ロードマップ
-
10
HDDを使わない「SSDオンリー」が無謀なのはなぜ?
TechTargetジャパン SNS
インフォメーション
注目情報をチェック
TechTargetジャパンをフォロー