業務効率化と専門性の維持を両立する勘所
AI丸投げで「現場のスキル」が消える? DHLが実践する空洞化防止策
AI自動化が進む裏で、現場の専門知や判断力が失われる「知の空洞化」が新たなガバナンス課題となっている。業務効率化と社員のスキル保護を両立させ、AI依存のリスクを回避する先行企業の設計思想を明かす。
エンタープライズソフトウェアベンダーは、ERP、人事、CRM、ITサービス管理、コラボレーションなどの企業向けプラットフォームにAIエージェントや高度な自動化機能を急速に組み込んでいる。こうした機能は定型的な作業を自動化し、ワークフローを統合して効率を高める。
一方で、ガバナンスの重要な課題も生み出している。例外処理や誤りの修正、業務継続に必要な人間の専門知識を損なわずに、自動化で効率を高めるワークフローをどう設計すべきかという問題だ。
本記事では、業務効率化と社員のスキル保護を両立させ、AI依存のリスクを回避する先行企業の設計思想を明かす。
人材の維持:ガバナンスの新たな側面
企業統治や法的観点で、ガバナンスとは企業が従業員、顧客、株主、地域社会などの利害関係者に説明責任を果たすことを意味する。ガバナンスの従来の役割は、企業リスクの低減にあった。顧客データのプライバシー保護や、データおよびIT資産の安全確保、従業員が使用できるシステムや資産の制限設定などを通じてリスクは管理されてきた。
しかし、AIやAIエージェントの導入、業務プロセスの自動化が進むにつれて、企業リスク管理の範囲は広がっている。例えば、AIや自動化の導入が進む中で、人間のスキルやノウハウの衰退を防ぎ、事業の耐障害性を維持するにはどうすればよいかという課題が生じる。
「これは能動的に管理すべき重要なテーマだと捉えている」と、DHL Supply ChainでAI、データ&アナリティクスのグローバル責任者を務めるクリストフ・タイス氏は話す。「適切なガバナンスなしにAIを導入すれば、人間が技術へ過度に依存するリスクが生じる」。
AI導入と人材維持を両立する企業の取り組み
AIは企業に効率性をもたらす。従業員の生産性を向上させ、業務運営を改善する。業務プロセスへのAIの組み込みが進む中、AIによる最大の恩恵はまだ先に控えている。
AI活用が進む一方で、AIや自動化の利用拡大による従業員のスキル低下リスクを企業も見過ごしてはいない。以下では、AI活用を推進しながら従業員のスキル維持に取り組む3社の事例を紹介する。
DHL Supply Chain
「当社は幅広い業務や部門のプロセスでAIを活用している」とタイス氏は語る。「倉庫業務、輸配送管理、カスタマーサービス、管理部門、一般的な従業員の生産性向上などが具体例だ。反復作業の自動化、意思決定の支援、サービス品質の向上、効率化を目指し、AIエージェントや組み込みAI機能の導入を進めている。現在では、現場向けデジタルアシスタントやAIによる顧客対応、輸配送や倉庫業務を支援するAIエージェントなど世界中で多数の活用事例がある」
タイス氏によると、従業員が使用するAIやAIエージェントの大半は業務システムに組み込まれているものだという。同社は独自開発のAIも一部で運用している。
「いずれも、目指しているのは『人間とAIが協調する』体制だ。人間が例外処理や顧客対応、問題解決、継続的改善に集中できるようにする」とタイス氏は説明する。「AIがどこで支援できるか、AIツールと連携する方法、人間の判断が依然として必要な領域を従業員が理解できるよう投資を行っている」
DHL Supply Chainではすでに、生産性の向上、対応時間の短縮、品質向上、従業員体験の改善といった成果が表れている。AIエージェントは、スケジュール調整や進捗(しんちょく)更新、一部の例外管理など業務連絡の多くを自動化しつつ、従業員が状況を把握できる状態を保っている。
「当社はAIを人間の専門知識を置き換えるものではなく、拡張するものと捉えている」とタイス氏は続ける。「重要な意思決定、顧客対応、コンプライアンス関連業務、例外処理には、意図的に人間を関与させている。リスキリングや知識の共有にも注力している。多くの場合、AIによって専門知識の記録、文書化、検索、再利用が容易になり、組織的な知識の保持に役立っている。目的は人間の知識を排除することではなく、より利用しやすく、拡張しやすくすることだ」
Kuehne+Nagel
「生産性、意思決定、顧客体験を向上させるため、事業の複数の領域でAIを活用している」と話すのは、物流事業者Kuehne+NagelでチーフAI&イノベーションオフィサーを務めるアリレザ・ネマティ氏だ。
「AIを単独の技術施策として扱うのではなく、日々の業務の進め方にAIを組み込むアプローチをとっている。現在、AIは価格設定、予約、顧客対応、通関処理、人員計画、ワークフロー自動化、生産性向上ツールなどの業務を支援している。同僚が情報へアクセスし、作業を自動化し、より的確な判断を下して高付加価値業務に時間を割けるよう、AIアシスタントやエージェントの活用も増やしている」
Kuehne+Nagelは、従業員が日々使用するシステムやワークフローにAIを統合している。ベンダー製品を活用しつつ、自社独自のAI機能も開発している。
「AIの導入は、単なる技術展開ではなくビジネス変革だと捉えている」とネマティ氏は述べる。「AIから価値を引き出すには、仕事の進め方を再考し、AIを中核に据えたワークフローを再設計し、特にソフトウェア開発の役割を再定義する必要がある。業務処理の高速化、生産性向上、迅速な情報アクセス、顧客サービス強化、意思決定支援など、複数の領域で利点が出ている。AIはワークフローの摩擦を取り除き、従業員が顧客対応や高付加価値な活動に多くの時間を費やせるよう支援している」
ネマティ氏は、同社の目標はAIで人間の専門知識を代替することではなく、拡張することだと説明した。「自動化は反復作業や事務作業を代替できる。だが物流は、経験や判断力、顧客への理解、例外対応能力に依存する複雑な事業だ。そのため、人間の責任が必要だ。当社の手法は『ヒューマン・イン・ザ・ループ』モデルに基づいており、AIが判断を支援しつつ、最終的な結果に対する責任は従業員が負う」
Addison Group
人材紹介会社Addison Groupも、人間の業務を代替するのではなく拡張するためにAIを活用している。
「手作業のプロセスを自動化し、財務や人事などのシェアードサービスを中心に社内チームの能力を拡張するためにAIを導入した」とCEOのトーマス・モラン氏は話す。「当社のチームは、従業員とともに働く補完的な資源としてAIを統合した。作業が完全かつ正確で、業務要件に沿っているか確認するため、AIの利用管理や出力の確認、性能評価を行う適切な監視体制を整えている。AIは業務プロセスを強化するアシスタントとして機能している」
同社では、経験豊富な専門職が最終的な監視を行うことを前提として、AIによるプロセスの合理化や効率向上の成果を得ている。「適切に運用すれば、AIが生産性と効率性を高める手段として機能し、特定職種の成果を2倍から3倍に高められる可能性がある」とモラン氏は語る。
AIが業務工程の自動化を進めることで、長期的に従業員のスキルが衰退するリスクはないのだろうか。
「AIにどの程度の自動化を求めるかによる」とモラン氏は指摘する。「プロンプトを入力して回答を得るだけで、スキルの向上が伴わない運用を続ければ、時間とともにスキルの低下は起こり得る。一方、人間の問題解決や批判的思考の余地を残した拡張手段としてAIを使えば、組織全体の知識水準は理論上むしろ向上する。業務プロセスを強化するアシスタントとしてAIを位置付けるべきだ。再教育にあたっては、プロセスのどこでAIが貢献しているかを理解させつつ、検証のために人間の専門知識や思考力、対人関係が必要な領域を強調している」
AIと自動化の人間の関与を見極める6つの問い
この業務は従業員のどのような専門知識の育成につながっているか
AIと自動化が単調な作業を担う場合、従業員はどのような戦略的役割を担うことになるのか。新たな業務プロセスで、AIや自動化を最大限に活用するための指導や研修体制が整っているかを確認する必要がある。
AIが停止したり誤ったりした場合どう対応するか
企業は適切なスキルを持つ従業員が監視を行えるよう、ヒューマン・イン・ザ・ループ戦略を採用している。AIのモデルは完全ではなく、実世界の状況と乖離(かいり)して精度が低下することがある。精度を維持し、必要なモデル調整を行うには、利用者とIT部門による継続的な監視が必要だ。
どの判断に人間の承認が必要か
契約、請求書、在庫水準、物流、新規採用、金融ポートフォリオ、医療診断などで、自身の知見とAIの示唆を組み合わせて人間が最終判断を下す意義を企業は再認識している。
新入社員はこの業務プロセスをどう学ぶか
新入社員は古い業務手順を学び直す必要がないため、再教育の手間は減る。だが、採用候補者の基礎知識や、応募書類の作成でAIに依存しすぎている可能性を企業は懸念している。この課題に対応するため、自力で解答できるかを確認する能力テストを導入する企業も多い。
AIの監視責任は誰が持つのか
大半の企業でAIの監視責任の所在は未解決のままだが、最終的にはIT部門が担う傾向にある。取締役会やCEOを始めとする組織全体が監視責任を負い、主要な利用部門も説明責任を持つ必要がある。
自動化が停止しても従業員は業務を遂行できるか
災害復旧と事業継続は企業にとって重要だ。システム障害や自然災害に備え、手作業による業務手順を定期的に従業員へ再教育する内容を、ディザスタリカバリー計画に盛り込む必要がある。
重要な教訓
大半の企業は、AIの導入を進めながら運用方法を模索している段階にある。企業は既存の業務ソフトウェアに組み込まれたAIを利用し、一部の企業は自社開発のAIでそれを補完している。いずれの場合も重視されているのはヒューマン・イン・ザ・ループ戦略だ。人間の専門知識を失わせるのではなく高めるために、AIで業務プロセスを補強している。
特別支援教育の人材派遣や関連サービスを提供するPoint Quest GroupのCEO、クリス・ミラー氏も、自社の業務運営でAIを活用している。同氏は次のように述べている。
「従業員の知識低下がリスクになるのは、経営層が単調な作業ではなく『判断』までAIに委ねてしまった場合だけだ。戦略の策定、状況の診断、人間関係に基づく判断をAIに依存すれば、組織の知識は衰退する。だが、定型ログの事前入力、コンプライアンス項目の入力漏れ検知、生データの整理といった定型的で構造化された作業にAIを限定すれば、人間の能力は保護される。高度な専門家が複雑なコンプライアンス管理や顧客対応を担う分野では、事務負担とバーンアウト(燃え尽き症候群)が離職の主因になる。熟練者が専門スキルではなく書類仕事に追われれば、燃え尽きて退職した瞬間に組織の知見は失われる。事務負担をAIに肩代わりさせれば、その時間を高付加価値な人間の仕事に戻せる。原則は明快だ。プロセスの処理負荷はAIが担い、微細なニュアンスや判断を要する決定は全て人間が担う」
まとめ
人的資本の管理がガバナンスに必要な要素であることを企業は理解している。そのためAIの導入を進めると同時に、従業員のスキルや専門知識を維持するための対策も講じている。具体的には以下のアプローチが取られている。
- 反復的で単調な業務プロセスをAIで自動化し、従業員がより高度な業務に従事できるようにする
- 適切な人間の監視なしにAIが利用されないよう、ガイドラインを整備する
- AIを活用する新たな業務プロセスに対応できるよう、従業員のリスキリングを進める
- 従業員のリスキリングや教育を単発の施策で終わらせず、継続的な取り組みとする
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