計り知れない口コミの影響力
オンラインでつながる「友達の輪」――ITが変えた消費者の購買行動
オンラインでショッピングを楽しみ、そのまま決済してSNSで友人とシェアすることが当たり前になった。その影響を最も受けている小売業では、新たな取り組みが進められている。
オンライン専業からマルチチャネル、そしてオムニチャネルへと進化した小売業は、今や実店舗の時代をはるかにしのぐ売り上げを実現し、オンライン販売の比率が高くない本通りに大型店を構えるような“ハイストリートブランド”を探すことさえ困難なほどだ。
こうした状況はチャンスでもあり、脅威でもある。今日の小売業者は、顧客の購買行動に適切に対応するための技術に、大規模な投資を行わなければならない。顧客ロイヤルティーが希薄になりつつある今日、少なくとも競合他社と同等のサービスレベルを維持する必要があるからだ。たとえ小売業者が優れた製品をベストプライスで提供しても、顧客の購買行動に接点を持たなければ、売り込むチャンスはない。
最近開催されたCW500 Club(英国IT業界の会員制クラブ)のイベント「Retail IT:The high street vs the internet and the lessons for other sectors(リテールIT:ハイストリート vs インターネット、他業種に向けた教訓」では、さまざまな分野から集った3人のITリーダーが、小売業ITに関するそれぞれの知識と経験を披露した。
単にITを導入するだけではオンライン販売戦略の改善にはつながらないという点で、3人は一致する。さらには、売り上げに影響するのは販売員ではないという点でも同意した。重要なことは「最適な技術」「ユーザーエクスペリエンス」、そして「オンラインイメージの管理」であるという。
今やソーシャルメディアによって、人々はあらゆることにアドバイスを得られる時代だ。それだけに企業は、仮想世界において自らの姿がどのように見られているか、常に強く意識しなければならない。以前、われわれは気になる製品の評判を周りの友人に聞いたものだが、今日では製品の良しあしを教えてくれる「友人」がオンラインに数百万人もいる。
IT部門も変わった。今日のIT部門は、機敏な開発テクニックで迅速にアプリケーションを構築、実行し、最初からパーフェクトを目指すのではなく、テストを繰り返しながらバグを素早く除去できる体制を確立しなければならないのである。
全てがオンラインに
「人々は今、デジタル時代を生きている」と語るのは、オンライン衣料小売業、MandM DirectのITディレクター、グラハム・ベンソン氏だ。それは小売業が根底から変化したことを意味する。「デジタルは、これまでのルールブックをお払い箱にした」
同氏によると、ほとんど全てのものが今日、オンラインで購入可能であり、消費者にとって幅広い製品、サービスをオンラインで購入することがますます日常的になりつつあるという。「私がオンラインで購入しないのは、ディーゼルくらいなものだ。配達してくれないからね」
小売業ITで12年のキャリアを持つベンソン氏は、消費者デマンドの変化にIT部門は迅速に対応しなければならないと話す。「変化のペースは、もはや一刻の猶予も許さない。IT部門は常に大きなプレッシャーを感じている」
「小売業ITにおける急激な変化は、テクノロジーが大きく関わっている。テクノロジーがあまりにも目まぐるしく変化するので、現在は専門家がほとんど育たないという状況だ」と同氏は説明する。
そのため最高情報責任者(CIO)たちは、プレッシャーにさいなまれるITチームのモチベーションを高める方法を見いださなければならなくなった。「頭ではなく、ハートをつかむ必要がある。さらに先へ進むためには、今やっていることに自信を持ってもらうことが重要だ」と同氏。
IT開発者が用いる手法も変更する必要がある。開発段階において全てを分析することはできないので、開発者は自分の直観を信じる他ない、と同氏はいう。「正しいと思えることは、大抵正しいのだ。素早くルートを決めながらも、抑制と均衡を施せば、失敗してもすぐ立ち止まることができる」
さらに、同氏はこう付け加えた。「無駄骨を折っても意味はない。もしうまくいかないなら、別の方法を考えればよい。時間は十分にある」
ソフトウェア開発で重要なのは「アジャイル(俊敏性)」だ、とベンソン氏。「プロジェクトを迅速に、何度も立ち上げ、完全性を無理に求めず、取りあえず素早く完成させ、そのあと磨き込んでいけばよい。会社から開発を依頼されたとき、IT部門は安易に“できない”と突っぱねるのではなく、“もし、こうであれば、それは可能だ”と応じる態度を示すべきである」
変わったタイプのCIO
小売業のCIOたちは今日、他の業界とはかなり異なる。英旅行代理店Thomas CookのCIO、マリアーノ・アルベラ氏は、実際にはソフトウェア開発者だ。同氏はThomas Cookにいる2人のCIOのうちの1人である。同氏の役割は顧客対応関連のITで、同僚は伝統的なITインフラに責任を持つ。
やはり同じようにインターネットが破壊した旅行業界で働くアルベラ氏にとって、大手企業で働くことは大きな変化だった。それまで同氏は、小さな会社や新興企業で働いていたからだ。「正直にいえば、私は小売業界でキャリアを積んできた一介のソフトウェア開発者にすぎない」とCW500 Clubでアルベラ氏は語った(関連記事:大手卸売業の事例に学ぶ流通業のCIOに求められる適性)。
同氏によると、大企業は新興企業の製品開発手法から多くのものを学べるという。「私自身、アジャイルなソフトウェア開発者であり、これまでも迅速なソフトウェア開発に打ち込んできた」
ビッグビジネスにおける経営委員会のようなプロセスは、物事が急速に変化している状況では全く適切ではない、と同氏は主張する。「顧客こそが経営委員会だ。顧客が必要とするものは、顧客が教えてくれる」
「実利的に、迅速に行動しなければならない。5年先のロードマップにこだわらず、小さな成果にフォーカスすべきだ」と同氏。
開発の迅速化が必要であると、IT部門が経営陣を説得できれば、次はそれに向かってのチャレンジだ。「競合他社は素早く行動しており、顧客は1つのブラウザから世界につながっている」とアルベラ氏。
同氏のチームはオンライン販売だけにフォーカスしているわけではない。なぜなら前出MandM Directと異なり、Thomas Cookは今も実店舗を抱えているからだ。このマルチチャネル運用モデルには、優位性と同時に、解決すべき多様な課題が残されている。
技術開発の3つのギア
Thomas Cookと同様、マルチチャネルあるいはオムニチャネルと呼ばれる事業展開を行っているのが、英百貨店チェーン、John Lewisだ。同社のITリレーションシップ責任者のサラ・ベニング氏は、次のように語る。
「消費者は、オンラインとハイストリートのショッピングをそれほど異なるものとは見ていない。人々はブランドを見て、別々の方法で購入しているだけだ。お気に入りの小売業者とのやりとりを楽しむのか、単に欲しいものをさらりと購入するかの違いにすぎない」。John LewisのWebサイトは開設から12年経過し、売り上げ全体の25%がオンラインからのものだ。
ベニング氏の役割は、ITと会社の仲立ちをすることだが、同氏によると、小売業界ではここ数年、両者の距離がこれまでにないほど接近しているという。
「小売業ITは10年前と全く違ったものになっている。あのころのITは、ある意味仕方なく抱えるものであり、可能な限り出費を抑えることが求められた。ITは、いってみれば小間使いのようなものだった」
「ところが今日、ITは小売業における戦略的な差別化要素となっている。会社全体でテクノロジーをもっと理解する必要が出てきた。ITコンシューマライゼーション(消費者先導型IT)も、その背景にある」
コンシューマライゼーションは大きなチャンスだが、「そこには、会社の期待を管理しなければならないという課題も伴う」と同氏。なぜなら、会社はテクノロジーを活用すれば、IT部門があらゆることを実現してくれると期待しているからだ。
John Lewisは事業規模にふさわしいITインフラを整備する大企業だが、そのレガシーがITに大きな困難をもたらしている。顧客の要求に迅速に対応するためのIT開発ニーズと、レガシーのコアITのサポートという組み合わせは、John LewisのITチームが異なる速度でタンデム走行しなければならないことを意味している、とベニング氏。
顧客対応システムは素早くシンプルに開発可能だが、その他のさまざまなコアシステムとの連係を考えると一気に複雑になる。「複数の速度で開発に取り組まなければ、われわれは溺れてしまう」と同氏は語る。
「基盤となるコアビジネス、例えば財務やサプライチェーン、顧客データシステムなど主要システムへの投資は、今後も継続しなければならない」。それらはゆっくりとした速度のIT開発だ。「一方で、そうした開発だけにとどまっていたら、われわれは間違いなく沈没するだろう」と同氏。
第2の速度が必要となるのは、顧客の需要に合致するためのシステム開発だ。ここではアジャイル手法が用いられる。「われわれはアジャイルなソフトウェア開発とその配備にも、膨大な労力を注いでいる」と同氏。ここでJohn LewisのIT部門は“Fail Fast(早く失敗すること)”を学んだという。
ベニング氏によると、第3の速度は改革関連の開発手法に適用されるものだ。クラウドソーシングやハッカソン(※)などの活動を通して行われる開発であり、John LewisではIT部門以外のスタッフや社外からも優秀な人材を集めて行っているという。
※ ハッカソン(hackathon):英語のhack(ハック、ハッキング)とmarathon(マラソン)を合わせた造語。ソフトウェア開発の関係者(さまざまな役割のエンジニア、デザイナー、プロジェクトマネジャーなど)が一堂に会し、共同作業で集中的に(1日~1週間程度)開発を行うイベント。ここでいう“ハッキング”は“高い技術を駆使してプログラミングすること”という意味。
「過去のエキスパートは、必ずしも未来のエキスパートではない」とベニング氏。「われわれには複数の速度でIT開発に取り組むことのできる柔軟性が必要だ」
先は見えない
小売業は恐らく他のどの産業分野よりも、IT開発から大きな影響を受けてきた。ITコンシューマライゼーションは、実店舗からオンラインへの移行が進んでいるセクタにおいて、変化を加速している。小売業とそのIT部門が直面する最大の課題は、顧客の求めるものを、顧客の求めるように、少なくとも競合他社より迅速に、提供できるかどうかだ。
小売業IT部門の視界に終わりは見えない。新しいテクノロジー、顧客の要求が日常的にポップアップしている。それはITプロフェショナルとって大きなプレッシャーであることは確かだが、同時に、仕事をする上では非常にエキサイティングな環境でもあるといえる。
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