IT変革力【第13回】
コミュニケーション計画無視の落とし穴
プロジェクト関係者に適切なタイミングで適切な情報を開示し、質疑応答に答える。この行動をあらかじめ決定したものをコミュニケーション計画と呼びます。どんなにプロジェクト参加者の資質が優れていようと、関係者間の信頼関係が揺らいでいては、そのプロジェクトは失敗します。今回はITシステム開発において関係者間の信頼感を醸成させるための、コミュニケーション計画の重要性を考えてみましょう。
プロジェクト・マネジメントは色々な詳細計画から構成される
一般にITシステムの開発にはプロジェクト・マネジメントが重要だと言われています。プロジェクト・マネジメントの基本はコスト、品質、納期ですが、その下には色々な詳細計画があります。例えば全体スケジュール計画の下にある範囲計画(スコープ計画)やリスク計画(リスクマネジメント)などです。余談ですが、これは何かまるで仏教の華厳経や浄土経など色々な教えのような気もします。無論、これらの基礎的な計画はITシステムの開発上、極めて重要なものです。その上で筆者は、コミュニュケーション計画を非常に重視しています。いわば日蓮宗が法華経を最も重視するような感覚で考えてください。
このコミュニュケーション計画というコンセプトは長い間、ITシステムの開発には適用されていませんでした。しかし近年、方法論の標準化の流れの中で、建設業などで一般的に活用されているPMBOK(Project Management Body of Knowledge)が採用され、脚光を浴びてきました。
またドイツの哲学者ハーバーマスは、21世紀の人間関係は「コミュニケーション合理性」(お互いが納得できる自己開示と議論)の上に成り立つと言っています。
政府のプロジェクトの失敗事例
Itmedia系のIT専門誌『ITセレクト』2006年8月号は、電子政府構築計画の失敗事例として、日本政府による一種の政府内パッケージ型ソフトとして各府省で横断的に共通活用する予定の「人事給与システム」を取り上げています。
分かりやすく言えば「人事給与システム」は政府のERPパッケージの一部を構成すると言うことでしょうか。
本システムは人事院などが中心となりITシステムを開発しています。それを多くの政府組織が導入してそれぞれ別々に活用する計画になっています。
さて本誌の指摘が正しいとすれば、政府の「人事給与システム」は基本的な品質管理やコスト管理が全くできていないということになります。
しかし、本誌の指摘内容に基づく筆者の見立てでは、明らかにユーザーにあたる政府各府省と開発を担当した人事院などの開発担当府省の間でまともなコミュニケーションが成立していないように見受けられます。
もしこの懸念が正しければ、問題は「コミュニケーション計画無視の落とし穴」ということではないでしょうか。
各府省に対してまともなヒアリングがなされていない、質疑応答が適切に行われていない。適切なタイミングで関連情報の開示が行われていない。受け入れテスト計画などが開示されていないなど色々な指摘がなされています。
その結果、関連組織の間に拭い難い不信感が漂っています。
なぜ、コミュニケーション計画は大切なのか
認知心理学に「自己開示」というコンセプトがあります。例えば新しく隣に引越しをして来た人がきちんと挨拶をし、名前を名乗り、出身はどこで、どこに勤めているかを丁寧に話したとしたら、それだけで周りの住人は安心します。
即ち「自己開示」には聞き手を安心させ、お互いの信頼感を高める効果があります。
欧米のITシステムには「自己開示」を活用したトレーサビリティという概念があります。日本国内でも宅急便関連のITシステムには比較的古くから応用されていたコンセプトです。荷物が着くのを今か今かと待っている顧客は「期待と不安」が混ざり合った複雑な気持ちになっています。それをインターネット上で顧客自らが検索できるようになってからは、宅急便企業に対するクレームや問い合わせは激減しました。これはITシステムによる情報開示が顧客を安心させたためです。
さてこれはITシステムの開発においても当てはまります。
ステークホルダーと呼ばれるユーザー部門や協力会社も含めたプロジェクトの関連者に適切なタイミングで適切な情報を開示し、質疑応答に答えるという行動のやり方をあらかじめ決定したものをコミュニュケーション計画と呼びます。
コミュニュケーション計画は関連者の間の信頼関係を醸成します。従って色々な誤解や手戻りなどが置きやすいIT関連のプロジェクト・マネジメントには必須の計画な訳ですね。コミュニュケーション計画というコンセプトがない昔のプロジェクト・マネジメントは、結局、プロジェクト・リーダーの個人的な資質にプロジェクトの成否が委ねられていました。
PMBOKというプロジェクト・マネジメントの方法論はそれを誰にでもできるように形式知化した訳ですね。
どんなに参加者の資質が優れていようと予算があり余っていようと、関連者間の信頼関係が揺らいでいればプロジェクトは失敗します。
自己開示(情報開示)と信頼感の醸成の大切さ
さて、欧米企業と比べて平均雇用期間の比較的長い日本企業は、人で成り立っています。そうなれば、ますます信頼関係の醸成が非常に大切な訳ですね。
また、政府と同じように組織の壁が厚い伝統的な大企業においても信頼関係の醸成は非常に大切です。20世紀には日本一の革新企業として有名だったあるエレクトロニクス企業は、カンパニー制等をいち早く取り入れ、デジタルドリームキッズなどの優れたコンセプトを掲げていました。しかしコミュニケーション計画に弱点があったためでしょうか、肝心のエレクトロニクス部門の現場は一時完全にテレビの薄型化に乗り遅れました。そして最近やっと勢いを取り戻しています。
一方、我が国でも新興企業では、どんどん人材が流動化する欧米流のマネジメントが主流になってきています。しかしこのような状況においてもドイツの哲学者ハーバーマスの言う「コミュニケーション合理性」(お互いが納得できる自己開示と議論)は当てはまると思います。お互いが短期の繋がりの中で「互恵的な関係」を維持するためには、適切な情報開示による信頼感の醸成は不可欠な要素な訳ですね。
コミュニケーションの重要性は上司と部下、夫婦、恋人の間でも同じですよね。さらに言えば日本銀行の総裁の抱える問題も本質は同じです。適切なタイミングでの自己開示による信頼感の醸成が関係を長く続かせるための基本です。
筆者はコミュニケーション計画とは「企業は人なり」の21世紀的な表現だと思っていますが、いかがでしょうか。
(野村総合研究所 社会ITマネジメントコンサルティング部 上席研究員 山崎秀夫)
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