決定迫る米国のIFRS適用判断、議論の最前線は【IFRS】高田橋教授のIFRS Conferenceレポート

2011年は米国にとってIFRS適用の方向を決める年だ。コンドースメント・アプローチなど有力な適用方法は浮かんでいるが、その最終判断はまだ不透明。10月5〜7日に米国ボストンで開催された「AICPA/IFRS Foundation Conference」でもさまざまな案が浮上した。参加した中央大学専門職大学院 教授の高田橋範充氏がレポートする。

2011年10月21日 08時00分 公開
[高田橋範充,中央大学専門職大学院 教授]

Boston in Autumn

 周知の通り、2011年はロードマップで予告された米国の意思決定の年である。現在、わが国おいても、多様なレベルで行われているIFRS導入可否に関する議論にも、米国の意思決定が決定的な影響を受けることは明らかである。現在の米国の雰囲気をつかみたいと思い、初秋のボストンに向かった。本稿では、私個人が「AICPA/IFRS Foundation Conference」の討議やIASB(国際会計基準審議会)、FASB(米国財務会計基準審議会)、AICPA(米国公認会計士協会)のスタッフたちと交わした会話から受けた印象を報告したい。もちろん、これは私個人の印象であり、単なる個人的な意見であることを最初にお断りしておく。

 AICPAとIFRS財団の共同開催によるこの形式のカンファレンスは2009年、ニューヨークで行われたが最初であり、今回は2回目になる。2010年夏、IFRS財団が東京で行ったカンファレンスとほぼ、同じ形式のものである。初回のニューヨーク・カンファレンスでは、 デービッド・トゥイーディー前IASB議長とハーツ前FASB議長が同じ論壇に立ち、これまでのコンバージェンスの経緯を説明するという日本ではあまり見られないシーンが予告されていたので、興奮してこの季節のニューヨークに出かけて行った。

 だが、想像以上には会議は盛り上がっておらず、米国の熱気を感じないまま、帰国したことを覚えている。米国の全体の感じはまさに「躊躇」(ちゅうちょ)という言葉がふさわしいように思えたのである。その後の米国の経過は、周知の通り、まさに躊躇としか思われないような動きであったように思われる。今回のカンファレンスもそのようなトーンを基調としながらも、半面、全体としてIFRSは秒読み段階に入ったという認識が支配していたように感じられた。それを表す1つの事実が2011年のAICPAの会計士資格試験に部分的ながらも、IFRSについての問題が出題されていることだ。躊躇しながらも、彼らはしっかり準備しているというのが、現在の状況であるようである。

The North American Perspective

 IASB新議長のハンス・フーヘルフォルスト氏によるオープニングアドレスに続いて、IFRS財団評議員 ハーヴェイ・ゴールドシュミット氏による基調講演が行われた。これらの報告はIASBのWebサイトに既に掲載されている(参考リンク)。前回のニューヨーク・カンファレンスに出席した時にも強く感じたことであるが、海外ではIFRSの議論は金融危機(Financial Crisis)と結び付けられることが多い。日本でもこのような議論は時折、見受けられるが、それは公正価値会計(Fair Value Accounting)の問題点に直結し、最終的にはIFRS不要論に結び付くことすらある。

今回のカンファレンスはAICPAとIFRS財団の共同開催だった

 海外でのIFRSの議論はIFRSの限界を十分認識しながらも、情報の不完全性あるいは透明性の欠如が国際資本市場の機能障害を起こすとの理解が基盤となっており、それを是正するために単一の会計基準が必要である、とする論旨である。この本来的側面は日本ではあまり強調されていないように思われる。どちらかといえば、日本の独自性の主張がこれらの本質を見えなくしているように思われるのである。

 さらに、財務報告に関する国際的な統一ルールの必要性は多くの人が納得しても、それを自国基準と、どうすり合わせるかは現在、米国でも日本でも問題になっているといえるであろう。ただし既に10年近くIASBとFASBは共同作業を行ってきており、その中で何度もこの問題は話し合われてきたことが予想される。例えば今回のカンファレンスの収益認識に関するセッションでは、IASBとFASBの両方のプロジェクトリーダーがファシリテーターを務めるなど、両者の関係性の強さをうかがえるものであった。このような関係性こそが、IFRS導入の必然性を高めているといえるであろう。

 それでもなお、米国内部にも、強烈なIFRS反対論が存在するのも事実であろう。それは、自国基準に対する高い誇りと、なぜ今更、会計基準を変更する必要があるのかという変化への嫌悪が重なりあったものとして現れている。AICPAのあるスタッフは、IFRS導入にはやはり、年代的なギャップがあることを個人的な会話の中で指摘していた。そのスタッフは、それでもなおIFRSを導入しなければ、冗長化し、肥大化した米国会計基準(US-GAAP)をこれ以上、維持することは困難になりつつあることをも指摘していた。 それではすぐにIFRSを導入できるかというと、人材の面で困難だと述べていた。そこで登場するのが、いわゆるスタッフペーパーで明らかにされたコンドースメント・アプローチである。

 今回のカンファレンスでもこのコンドースメント・アプローチがある意味の主役であった。どのスピーカーもこの議論を意識しながら議論を展開していたように思われる。ただし、その理解は日本と同じように一様ではない。あるスピーカーはエンドースメントと同値と受け止めていたり、また他のスピーカーは二重に会計基準が存在している状態として理解しているように思えた。このように理解に幅を許容する方法が制度的になじむかという問題はありながらも、次の3つの方法が米国の採りうる方向性であることになる。

(1)フルアドプションないしはそれに近いエンドースメント

(2)コンドースメント

(3)選択適用

 (2)が現実的には採り得る方向性としても、(1)の可能性も皆無ではないであろう。ただし、それはかなり積極的な判断が必要であり、現在の米国の国内政治状況を考えるとかなり、難しいのではないかと思える。また欧州発の金融危機の懸念に見られる国際的な経済状況も阻害要因になり得る可能性もある。(3)は、(1)(2)とはレベルを異にするものと理解することができる。すなわち、この両者どちらかの方向性を採択しても、適用においては選択適用を認めるべきであるとする見解である。この見解はAICPAが積極的に支持しているようである。

 さらに、ゴールドシュミット氏は基調講演の中で、さらに進んだ悪い想定(Dark Side)にも言及していた。すなわち、SEC(米国証券取引委員会)がIFRS導入を拒否する可能性である。彼は現在、コロンビア大学ロースクールの教授であるが、それ以前は長年SECのコミッショナーを務めており、会計規制の大家である。その彼がその可能性に言及したことは驚きであった。彼によれば、その場合には次の2つのシナリオが想定される。

(1)幾つかの各国基準が併存する状態

(2)米国だけが孤立する状態

 日本にとってみれば、(1)になってくれれば、日本基準も生き残る可能性はあるが、現状ではIFRSとUS-GAAPとJ-GAAPの三つどもえ状態であり、その中で一定の地位を今後も占めることは困難であろうと思われる。ただし、現在コンバージェンス中のインド基準や中国基準がこれらに入ってくると、この(1)の構図は具体性を帯びてくるように思われる。しかしながら、この状態はよく考えるとIFRS導入以前の状態に戻ることになり、いわば「一組の高品質でグローバルな会計基準」(a single set of high-quality, globally accepted accounting standards)というこれまでのSECの理想は瓦解することになる。

 (2)はかなり悲惨な状況になると、ゴールドシュミット氏は予想する。このような孤立化状況は長く続くことはなく、2020年ないしは2030年にはIFRSを導入せざるを得なくなり、そこでIFRSコミュニティに参加しても米国の影響力行使はこれまでとは比較できないほど小さくなると思われるからである。

The Dark Side of Condorsement Approach

 このように、SECが“No”という可能性を指摘したのは、ゴールドシュミット氏だけではない。実はフーヘルフォルスト議長もそのオープニングアドレスの結論部分には次のような表現が含まれている。

 「10年間にわたるコンバージェンスの努力にもかかわらず、否定的な結論が導き出されること、ないしは米国が財務報告という基本的な領域において国際的リーダーシップを放棄することは考えにくい」(参考リンク、当該箇所は5ページ目)

 

論旨の展開はゴールドシュミット氏とフーヘルフォルスト議長で、まったく同じといってよい。金融危機との関連性において財務報告におけるIFRSの重要性を説き、それが米国資本市場にいかなる意義があるかを述べ、最後にこの否定的な可能性を指摘するといった流れである。両者がこのNoの可能性に触れるということ自体、何らかの予兆があるのではないかと思えるのである。

 これらの指摘は、わが国と同じようにIFRSに対する一定程度の反対が米国内部に存在することを示しているのではないかと思われる。また、フーヘルフォルスト議長がそのスピーチの中で何度も繰り返して指摘したように、会計基準の設定はまさに政治そのものであり、政治状況に強い影響を受ける。現在の混沌とした経済状況および米国の現在の政治情勢では「強い」決定をすることが果たして可能かという疑問が生まれてくるのである。そうであるとすれば、米国としては何らかの意思決定を延期したいのではないであろうか。

 かといって2011年は冒頭に触れたように、米国にとって公約した「決定の年」である。もちろん、そこでの決定で否定的なものがなされることも考えにくい。なぜなら、SECとりわけFASBはワークプランを通じてあまりにも深くIFRSに関わっているからである。また、フーヘルフォルスト議長やゴールドシュミット氏も指摘しているように、現在のIASBメンバー15人のうち、米国代表者が4人を占めるなど、その米国の指導的位置が、逆にNoということを困難にしているように思えるのである。そうであるとすれば、米国に残された手は何であろうか。

 実はそれがコンドースメントではないだろうか。以前、私はコンドースメントを積極的に評価したことがある(参考リンク)が、コンドースメントは半面、曖昧な概念ともいうことができる。5〜7年といったタイムラインの漠然さや、どのようにコンドースメントを展開していくのか、といった判然としない内容を含んでいる。そうであるが故に、コンドースメントを行うとアナウンスして、時間稼ぎをすることは可能ではあるように思えるのである。

Japan's Response

 2年前の会議と比較すると議論が具体的になっており、米国の対応が現実化してきたことは実感できたが、現在の政治・経済状況の混沌さが直接的にIFRS適用に影響を及ぼしていることが明確になったカンファレンスであったように思われる。このカンファレンスを通じて、参加者個々人はそれぞれの複数のシナリオを想定しているように思われた。単純に“YES or NO”という二分法ではなくて、SECの決定内容を幾つか想定し、それに応じた自己の代替案を列挙・想定しているようであった。

 現在、わが国で行われているIFRSの適用可否の議論とは異なるレベルで米国の議論は進行している。わが国においても、あるいは個々人においても複数のIFRS導入シナリオを構築することが求められているといえるであろう。

高田橋 範充(こうだばし のりみつ)

中央大学専門職大学院 国際会計研究科長/教授

1958年生まれ。中央大学商学部卒業。公認会計士2次試験に合格後、中央大学大学院経済学研究科博士後期課程修了(経済学博士)。福島大学助教授、中央大学経済学部教授を経て現職。2007年から1年間、クイーンズランド工科大学客員教授。


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