離れていても行政サービスの品質は高められる――長崎県の挑戦これからの「場」と「時間」はどう共有できるか

「つながる」をコンセプトに庁舎も労働環境も変える。そこには長崎県らしい担当者らの思いが込められていた。つながることで、どう県政を変えていくのか。「タテワリ」を想起されやすい地方自治体が実現した改革を追った。

2019年02月26日 10時00分 公開
[ITmedia]
長崎県 福祉保健部 福祉保健課 課長補佐 稗圃 砂千子氏 長崎県 福祉保健部 福祉保健課 課長補佐 稗圃 砂千子氏

 「五島列島から県庁までは船を使って片道約2時間。県の福祉のために企画した研修会に離島から参加してもらうのは大きな負担でした。それが今では簡単にテレビ会議で参加できます。以前なら参加者を集めにくかった連続ものの研修でも多くの方に参加いただけるようになりました」――こう語るのは長崎県 福祉保健部 福祉保健課 課長補佐の稗圃 砂千子氏だ。

 稗圃氏は県内の保健所やその管内の市町村と連携を取り、定例会議などを通じて情報伝達や課題の共有を密に行う立場にある。保健所の職員を対象とした研修会なども企画する。

 「例えば年に数回、連続でじっくり講義を受ける形式の研修会となると、参加者の負担が大きく、企画することすら難しかったのです」(稗圃氏)

 もともと長崎県には古い県庁舎の頃に導入したテレビ会議システムがあった。もちろん利用はしていたが使い勝手が悪く、大きな会議室では音声もうまく拾えないため、用途が限定されていた。ところが庁舎移転に合わせコミュニケーションツールを刷新したことをきっかけに、稗圃氏らはテレビ会議システムをフル活用するようになった。テレビ会議システムを「Cisco Webex」にしたことで専用機器だけでなく一般的なPCから簡単かつ安全に参加できるようになったからだ。場所や機器の空き状況を調整しなくても必要なときに必要なメンバーと会議できる。

 「今では実施すべきと判断した会議や研修会を諦めることなく実現できるようになりました。各地の保健所もすぐに使い方に慣れ、積極的に利用しています」(稗圃氏)

離島の仲間をどうつなぐか、生の情報をどう交換するか

福祉保健部 福祉保健課 主任技師 久保奈々氏 福祉保健部 福祉保健課 主任技師 久保奈々氏

 テレビ会議システムを活用するようになって、新しい発見もあった。遠隔地にいながら、「場の共有」を体験できるのだという。福祉保健部 福祉保健課 主任技師の久保奈々氏は「相手の表情がはっきりと見える」ことをその要因に挙げる。

 また会議そのものをカジュアルに実現する点も新システムの気に入っている点だ。隙間時間で会議ができ、はっきりと表情が見えることで「思いや考えがより伝わるようになりました」と語る。

 「うれしかったのは、各地をつなぎ、ある県外の専門家の方を招いて講演していただいたこと。今までよりもずっと多くの人たちに、より良い保健福祉行政につながる情報を分かち合えるのですから」(稗圃氏)

定期開催している保健所とのテレビ会議の様子(福祉保健課) 定期開催している保健所とのテレビ会議の様子(福祉保健課)

設備予約不要ですぐ打ち合わせ、どこからでも発言できる

企画振興部 IR推進室 係長 松山 哲氏 企画振興部 IR推進室 係長 松山 哲氏

 今回の取材ではもう1人、大きく働き方が変わった職員に話を伺った。企画振興部 IR推進室 係長の松山 哲氏だ。松山氏は2018年7月に成立した特定複合観光施設区域整備法にのっとり、長崎県佐世保市に特定複合観光施設(IR:Integrated Resort)を誘致すべく国への申請を準備する立場にある。国は第1弾として2020年代半ばをめどに最大3カ所でIR施設を開業する計画だ。

 法案が可決したことから第1弾の申請を目指す自治体はいずれも誘致プロジェクトを本格化しており、県内外の有識者や事業者を交えて計画作りに追われる状況だ。特に長崎県は法案検討の初期から誘致に積極的で、体制も早くから整えてきた。松山氏らは「東京や大阪に拠点を構える民間企業と協働して構想を詰める段階」と現状を語る。

 早くから準備をしてきたが、それでも首都圏や大都市でコンサルティング会社や専門家と接触しやすい自治体には地の利がある。「テレビ会議システムがなければとても構想を推進することはできなかっただろうと感じています。民間企業とのやりとりでも、相手方に費用負担なく参加いただけますから、取引先に案内しやすいですね」(松山氏)

 松山氏は今日だけでもテレビ会議システムを使って社内外の関係者を交えた会議を2件もこなす。地理的な問題はとことん小さくなっていることを実感する。

 「どうしても対面で話したい場合は現地に行きます。出張先から本庁の会議にも参加できますしね」

 両者に共通するのは、より良い執務環境を皆で分かち合うために地理的ハンディキャップを克服したことにある。こうした環境を実現したのは長崎県の「つながる働き方改革」という思想によるところが大きい。2018年に完成した新庁舎もこの思想を象徴する。

新庁舎移転とともに取り組んだ「つながる働き方改革」

企画振興部 政策企画課 地方創生・連携推進班 係長 大内田 基教氏 企画振興部 政策企画課 地方創生・連携推進班 係長 大内田 基教氏

 長崎県は壱岐、対馬、五島列島など県内に多くの島を持つ。県域も東西213キロ、南北307キロと広い。IR誘致の他、世界文化遺産などの観光資源を生かした地域活性化にも積極的だ。

 長崎県は老朽化した県庁舎の移転を2009年から計画、2018年に移転を完了した。9年にも及ぶ大プロジェクトでは、同時に県職員働き方改革と業務環境の合理化も進めた。

 「1953年に完成した旧庁舎は地域防災拠点としての役割を果たせず、万一のときに県民を守れません。設備も古く十分な県民サービスを提供しにくい状況もありました」(企画振興部 政策企画課 地方創生・連携推進班 係長 大内田 基教氏)

 庁舎移転プロジェクトは防災拠点の整備と同時に、職員が知や情報を連動させ「つながる」ための働き方改革や、県民やパートナー企業などと協働できるようにするワークプレース改革などを推進した。

総務部 新行政推進室 係長 直塚 健氏 総務部 新行政推進室 係長 直塚 健氏

 総務部 新行政推進室 係長の直塚 健氏によると、「限られた人的資源の中で県民サービスを維持していくためには、職員間の意識共有のための交流を進めるなどにより、職員一人一人の労働生産性を向上させる必要があります。2018年夏には『働き方改革集中期間(summer action!)』を企画し、そのメニューの一つとして1階の協働エリアにおいて、県庁内の各部署が所管する施策をPRする説明会を実施しました。庁内の有志職員だけでなく、民間企業の皆さまともざっくばらんに意見交換を行う場を設定するなど、新しい県庁舎を活用した働き方改革を進めました」と語る。

 ワークエリアには、腰を据えて議論するための「チーム型」、1人で集中するための「集中作業ブース型」、秘匿性の高い相談などを行う「スクラム型」、即座に集まってコミュニケーションを取る「スタンディング型」などを配置した。各階には外部とつながるための協働エリアが設けられ、1階の協働エリアは県民もイベントやワークショップを実施できる。

 新庁舎の「つながる」というコンセプトは、来庁者だけでなく職員同士の「横」の関係も強化するように仕組まれている。OA機器などを部門間で共有することで、設備の効率化を図ると同時に人の交流を促すのはその良い例だろう。もちろん、秘匿性の高い情報を扱う部門や集中した作業を必要とする職員のための場も用意する。

 「2018年1月から新庁舎が稼働し、これまでに移転前と比較して職員満足度は116%、時間外労働は12%減を実現しています。さらにペーパーレス化による文書削減50%といった成果も確認しています」(大内田氏)

広々とした庁舎内 広々とした庁舎内。実は旧庁舎と床面積はほとんど変わらないという。合理化の結果生まれた余剰スペースは協働エリアや県民が利用できる場になっている。取材当日もオープンスペースでセミナーの準備が行われていた

コミュニケーション活性化の策を講じた立役者たちの思い

総務部 情報政策課 総括課長補佐 村山健一氏 総務部 情報政策課 総括課長補佐 村山健一氏

 こうした長崎県庁のつながる働き方改革を支えるのが、無線LAN設備やテレビ会議システムなどのITインフラだ。長崎県は新庁舎移転に伴い、ネットワークインフラを全面刷新した。

 旧庁舎は古く、複雑な形状だったため、ネットワークの冗長化も限定的だった。また、比較的早期から無線LANは導入していたものの、アクセスポイントの配置にも制約があり、常勤の執務室だけが対象エリアとなっていた。当時利用していた機器には不安定な部分があり、用途ごとにネットワークの最適化ができていなかったことなどから、さまざまな問題が引き起こされていた。また、通信状況の把握が難しく、ベンダーサポートも不十分でトラブルの原因調査が困難だった。

 本庁と地方機関との連絡手段にもさまざまな課題があった。稗圃氏のコメントの通り、離島を多く抱える長崎県は各地域との連絡にテレビ会議システムを利用していたが、県庁LAN上に構築していたため、本庁と一部の地方機関会議室に設置された専用端末だけが接続可能だった。庁外からインターネット経由で参加はできず、また一度に1つの会議しか実施できなかった。

 総務部 情報政策課 総括課長補佐の村山健一氏は当時の状況について「関係市町や民間との協議をする際には集合会議とするか、専用端末のある場所までおいでいただくかしかなく、活用範囲が狭くなりがちだったのです」と話す。

 新庁舎はこうした課題を解決すべく、無線LANと新しい会議システムとしてCisco Webexを導入した。シスコシステムズのアクセスポイント「Aironet」シリーズと無線LANコントローラーを導入したことで、庁内の10のワークエリアや協働エリアで無線LANを利用できるようになった。さらに前述の通りCisco Webexも導入し、拠点間のコミュニケーションも円滑にできるよう環境を整えたのだ。

同時開催、PC参加、庁外からの参加も問題なく運用できる

総務部 情報政策課 課長 山崎敏朗氏 総務部 情報政策課 課長 山崎敏朗氏

 新庁舎の無線LAN環境に求められた要件は、執務エリアや協働エリアを含めた全館への拡張だ。県庁の職員はおよそ3000人。うち約2000人が無線LANに日々接続して業務をこなす。

 アクセスポイントや無線LANコントローラーには、そうした規模に対応できる安定性と信頼性に加え、旧庁舎での課題からリアルタイムに電波状況を把握できることが求められた。またネットワーク全体でも、安定性と信頼性だけでなくトラブル対応や運用管理ノウハウが豊富で確実なサポートが受けられることを重視。さらに定期的な人事異動や配置変更を前提に構成の変更や追加時に工事を伴わず、論理的な変更で柔軟に対応できるものが求められた。

 一方、テレビ会議システムにも幾つか重要なポイントがあった。総務部 情報政策課 課長の山崎敏朗氏は「基本的な要件は同時開催が可能なこと、庁外から参加可能なこと、PCからも参加できることでした。その他にも映像や音声がクリアなこと、安定性が高く実績があること、トラブル時はもちろん利用時にも十分なサポートが得られること、厳格なセキュリティを確保できることを重視しました」と話す。

 これらの要件を基に入札を行った結果Cisco Webexの採用が決定した。導入や運用もトラブルなく行えたという。

 山崎課長は「操作も分かりやすく、旧システムよりクリアな映像と音声で遠隔会議を開催できます。同時に複数の会議を開催できるので利用も運用も負担を軽減できました。庁外からもインターネット経由で参加が可能となったことから関係団体や市町、民間とのやりとりに使うなど活用の場が広がっています」と導入後の活用も順調に進んでいると語る。

コスト削減を実現し、コミュニケーション活性化に寄与

 無線LAN環境と新しい会議システムが整備されたことで会議室の据え付け端末だけでなく、各自がPCからいつでも参加できるようになった。

 Cisco Webexを始めとする会議システムや無線LANなどの基盤運用を担う総務部 情報政策課 情報基盤班 係長の永渕大輔氏は、今回の庁舎移転に伴う業務改革について総括し、次のチャレンジの構想を示した。

 「テレビ会議の開催件数は、旧システムに比べて約2.7倍、参加人数も3.1倍に増加しました。本格運用した2018年5月から12月までの効果を概算すると、移動時間で8230時間(月平均1028時間)の削減につながっています。あくまでも理論値ですがこれを出張費用の削減効果として見ると数千万円ほどの成果があったと考えられます。今後も利用者を拡大して効果を広めるべく、使い方を追求し、つながる県庁に貢献したいと考えています」

 情報政策課は、今後も職員の働き方改革を目指した改革を推進する計画だ。「直近では入力業務などを効率化するRPAの導入やAIの活用なども視野に入れ、さらに働きやすい県庁を目指した構想を計画中です」(山崎氏)

新庁舎 新庁舎外観 新庁舎は快適かつ機能的なオフィスを表彰する「日経ニューオフィス賞」において2018年の「ニューオフィス推進賞」に選出された

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