2030年までにAIは単なる支援ツールではなく、ビジネスモデルそのものへと進化する。IBMが示したこの野心的な構想を実現する鍵は、技術導入ではなく「プロセスの再設計」と「人の役割の高度化」にある。
米IBMが5月4〜7日(米国時間)にかけてボストンで開催した年次イベント「IBM Think 2026」では、規制の厳しい業界のリーダーたちが、AIを中心とした「未来の働き方」のビジョンを語った。
大方の予測では、2030年までにAIはビジネスモデルを補完するものではなく、ビジネスモデルそのものになる。IBMが2000人以上の経営幹部を対象に実施した調査によると、79%の幹部が「2030年までにAIが収益に大きく貢献する」と回答した。一方で、その収益が具体的にどこから生まれるかを明確に把握できているのは、わずか24%にとどまった。
IBMの顧客である各企業の共通認識は、AIをビジネスの中核に据えるには、プロセスの再構築と従業員の納得感(バイイン)の醸成という、地道な準備作業が必要だということだ。
EY、State Street、New York Life、Providence Healthといった伝統的な企業にとって、AI活用の目的は明白だ。それは、事務的な苦労を取り除き、社内のユーザー体験を改善し、スキル向上やキャリアアップの機会を提供することで、人間に力を与えることにある。
New York Lifeのシニアバイスプレジデント兼グループ・ベネフィット・ソリューションズ責任者であるスコット・ベルリン氏は、「『AI変革』と聞くと技術プロジェクトだと思いがちだが、変革の本質は人間にある」と語る。「私たちは人間と技術プラットフォーム、そして新たに構築するデジタルエージェントとの対話モデルを再定義しようとしている。今後数年間で、社内のあらゆる職務記述書を書き換えることになるだろう」(ベルリン氏)
New York LifeはIBM Consultingと連携し、団体保険事業の変革に取り組んでいる。ベルリン氏が描くシナリオでは、デジタルエージェントが全てのファイルを継続的に確認する。医師が患者を別の専門医に紹介したことを検知すると、査定担当者を介さずに必要な記録を自動的に請求する。これにより、査定担当者は事務作業から解放され、相談業務や対面でのコミュニケーションに集中できる。
「私たちはこのプロセスを通じて、人間にしかできない仕事へと従業員を引き上げたいと考えている」(ベルリン氏)
一方、Providence Healthのリーダー層も、AIがプロセスを整理し、人間が本来の得意分野に専念できるようにするという同様のビジョンを共有している。
Providence Healthのタレント獲得担当バイスプレジデントであるキャロル・マクダニエル氏は、「私たちがやめてほしいと思っている事務的な作業を自動化している」と話す。「より高度な患者ケアや、介護スタッフのサポートに注力してほしいからだ」(マクダニエル氏)
Providence Healthは、ビジネスプロセスアウトソーシング(BPO)を通じて長年IBMと提携しており、給与計算や採用、人事サービスを委託している。同社はIBM Consultingと協力し、IBM watsonx Orchestrateを既存の人事プラットフォームと統合した。これにより、AIを搭載した求人・内部異動エージェント「Rita(リタ)」を導入した。
「特に人材獲得は自動化やエージェント型AIに適した分野だ」とマクダニエル氏は指摘する。Providence HealthはRitaを活用し、内部の人材流動化プロセスを高速化し、各職務に合わせて最適化した。人間中心の設計アプローチをとり、まずプロセスと体験を設計してから、技術をそこに当てはめたという。
「このような手順を踏まずに、エージェント型のプロセスを導入する勇気はない」とマクダニエル氏は言う。「現在、リーダーは以前よりも12日早く異動を完了できるようになった。一方で候補者となる従業員は、私たちが大切にしている『尊重されている』という体験を損なうことなく維持できている」(マクダニエル氏)
規制の厳しいこれらの企業では、AIが一部の仕事を代替する一方で、新たなスキルへの需要が高まっている。
「AIは、一日中ボタンを押し続けるような作業を代替できる。しかし、その従業員は組織で別のレベルで価値をもたらす存在でもある。その才能に投資しなければ、組織にとって大きな損失となる」とマクダニエル氏は述べる。
AI主導のワークフローが普及する中で、企業は従業員が最も価値を発揮できる場所を再考している。経営陣によれば、AIは人間を排除するのではなく、戦略的思考や判断力の重要性を高めているという。
EYの税務テクノロジーサービス担当プリンシパルであるクリストファー・アイケン氏は、「実際、いくつかのレベルで以前よりも人間的な知性が必要になっている」と語る。「1つは、データの操作や整理に費やされていた時間が減り、計画策定や意思決定という、現在は不足しがちな分野に注力できるようになることだ」(アイケン氏)
また、アイケン氏は、AIが税務ビジネスに新たな機会を生み出していることにも言及した。人間が支払う給与税の代わりに、AIやデジタルワーカーに対する税金が登場するといった例だ。
「これはビジネスの新しいチャンスで、従業員もこの機会について考える必要がある」とアイケン氏は言う。
前述のNew York Lifeでは、デジタルエージェントを顧客向けではなくバックエンドで使用している。ただしベルリン氏は、顧客向けエージェントの導入も否定していない。
「全ての従業員がコマンドセンターに座り、必要な瞬間にインサイトが提示される状況を想像している」とベルリン氏は話す。作業が自動的に提示されることで、情報を探し、追跡し、維持するためにかかる認知的負荷が軽減されるという考えだ。
マクダニエル氏は、「AIは、私自身も行わなければならないような事務的・管理的な作業を代替し、人間をその負担から解放してくれる」と述べる。「これにより、ビジネスの戦略的パートナーとなり、より良い業務プロセスの設計について考える機会が得られる」(マクダニエル氏)
また、マクダニエル氏はヘルスケア業界の採用難に対する解決策としてAIを挙げる。画像診断や医療助手といったエントリーレベルの職種のリスキリングを支援できるからだ。「事務作業の削減で浮いた100万ドル以上の資金を従業員の教育に再投資すれば、社内で人材を育成し、採用の機会を自ら創出できる」(マクダニエル氏)
スキルアップや異動の機会提供に加え、リーダーたちは従業員がAIを自然な道具として使いこなすことを奨励している。
New York Lifeは、全従業員にChatGPTへのアクセスを許可している。社内の「グループ変革オフィス」が、従業員が自身の業務でAIを活用する方法を見つける手助けをし、AIを使っている従業員同士をつないでいる。
「ChatGPTを使うことが、ステープラーを使うのと変わらない感覚になるべきだ」とベルリン氏。「ステープラーの芯を素手で曲げる人はいない。機械を使う。メモを書くときも、ChatGPTを使ってより良いものに練り上げればいいのではないか」(ベルリン氏)
アイケン氏によれば、フォーチュン500企業の税務ディレクターの平均年齢は大幅に下がっており、テクノロジーに対する期待も高まっている。
「従業員は、高度なテクノロジーに支えられたユーザー体験を求めている」とアイケン氏。「私たちは大学のキャンパスでもその必要性を訴えており、実際にそのような技術をユーザーに提供している」(アイケン氏)
この期待は顧客側にも存在する。会計や税務といった伝統的な分野であっても、顧客はハイテクな体験を期待しているという。
EYの組織構造は、AIの導入で有利に働いた。
「私たちのビジネス全体が徒弟制度(アプレンティスシップ)に基づいているのは幸運だった」とアイケン氏は説明する。「このモデルは人間とAIが混在する環境で非常にうまく機能する。AIを導入しつつ、人間による適切なレビューや監視を組み込めるからだ。これは私たちのビジネスに組み込まれた安全装置のようなものだ」(アイケン氏)
AI活用のメリットが叫ばれる一方で、エージェント型AIを組織全体に導入するには大きな変革が必要であることを経営陣は認めている。特に歴史の長い企業では、数十年にわたって特定のプロセスや考え方が固定化されており、あらゆる世代の従業員が働いているからだ。
経営陣は、従業員(そして時には自分たち自身)に「AIファースト」のビジョンを思い出させるための、継続的なコミュニケーションの重要性を強調した。
ベルリン氏は、「これは数年がかりのジャーニー(旅路)だ。2026年5月に構築して翌月に完成するというものではない」と語る。「長期的な取り組みでは、従業員は自分の立場がどうなるか不安を感じるものだ。オープンな対話、透明性、そして目指すべきビジョンを示すことが重要だ。一度きりではなく、プロセス全体を通じて頻繁に伝える必要がある」(ベルリン氏)
マクダニエル氏は、Providence Healthの内部異動モジュールの構築には多大な準備作業が必要だったと説明する。同モジュールでは、ユーザーがボタンを数回クリックするだけでAIツールのRitaが手続きを支援する仕組みだが、その裏側では、10年以上にわたって充足されていない数千件の求人情報を含む古い求人データの整理も含まれていた。
「悪いプロセスをそのまま自動化することはできない。プロセスに立ち返り、クリーンアップして再設計する必要がある。それにはデータの整理も含まれる」とマクダニエル氏は述べる。
この抜本的なプロセス見直しこそが、AI競争で企業を際立たせる要因となる。
ガートナーのアナリストであるヴク・ヤノシェヴィッチ氏は、「次のフェーズのAI競争で勝つのは、AIツールやコパイロットを最も多く持っている会社ではない。仕事の進め方を再設計した会社だ」と指摘する。「『AIネイティブ』とは、既存のワークフローにAIをちりばめることではない。人間とAIが共同で計画、実行、管理、改善を行えるよう、運用モデルを再構築することを意味する」(ヤノシェヴィッチ氏)
どんなにAIネイティブな組織であっても、AIに適さないタスクは存在する。
「人間が下すべき決断をAIに任せることは考えていない」とベルリン氏は断言する。「単純な承認であればAIでも構わない。例えば、出産休暇の申請があれば、特異なケースを除き99.9%は承認される。これをデジタルエージェントが行うのは、体験としても優れたものになるだろう」(ベルリン氏)
AI活用に最も積極的な企業も、人間の居場所が必要であることを認識している。State Streetのチーフデータ&AIオフィサーであるマノジ・ボラ氏は、「規制が非常に厳しいこともあるが、最終的には人間が介在するプロセス(Human-in-the-loop)が、業務の完成に『ソフトタッチ』な配慮をもたらすと知っている」と語る。
AIが人間に取って代わらないのと同様に、これまで頼りにしてきたツールを完全に置き換えることもない。
「基幹システムを置き換える段階にはまだない。ただし、インタフェースの重要性は時間とともに低下するだろう」とベルリン氏は予測する。「将来、営業担当者がSalesforceに文字を入力しているかどうかは分からない。デジタルエージェントに話しかけるようになれば、画面上のインタフェースは価値を失い、存在する必要すらなくなるからだ」(ベルリン氏)
ボラ氏は、インタフェースがエージェント間のコミュニケーションに特化したものになるというビジョンを示した。
「新しい経済圏では、エージェント主導の取引が主流になる。State Streetで、エージェント同士の通信や取引、ワークロードの実行が可能な基盤を整えることが重要だ」(ボーラ氏)
しかし、それはコアプラットフォームの重要性を損なうものではない。New York Lifeでは、医師や顧客が業務を遂行し、書類を保管し、メッセージを送信するためにSalesforceやSAPなどのツールを使用している。
「Salesforceと同じインタフェースは必要なくなるかもしれないが、Salesforceそのものが不要になるわけではない。こうしたプラットフォーム企業は、5年後も価値を維持するために、自らを少し再定義する必要があるだろう」とベルリン氏は付け加えた。
ベルリン氏によれば、同社のAIレイヤーは既存の支払いシステムや引き受けシステムの上に構築されている。
ガートナーのヴク・ヤノシェヴィッチ氏は、「エンタープライズAIの未来は、優れたモデルよりも、優れた『オーケストレーション(調整)』にかかっている。明確なルールの下で、人間、システム、データ、AIエージェントを調整する能力だ」と述べる。
AIはビジネスの文脈に沿ってデータを理解する必要があり、そのコンテキストを持つデータは、従来型のSaaSツールの中に部分的に存在している。
「伝統的なソフトウェアは、人間が仕事をするのを助けてくれた。AIネイティブなシステムは、仕事の実行そのものを助けるようになるだろう」とヤノシェヴィッチ氏は結んだ。
エンタープライズAIの未来はまだ不透明だが、リーダーたちは投資の手を緩めない。ベルリン氏は「いつか現実と交差する時が来る。しかし今は、大きく、大胆に考えたい」と語った。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
「SaaSの死」は本当か? SalesforceベニオフCEOが楽観視する理由
AI導入企業の8割が「レイオフ」実施もROI改善せず Gartnerが指摘
将来のIT部門はAIエージェント頼りに? ITリーダーが今やっておくべき備えは
メルカリは“AIネイティブ”企業になるためになぜ「Notion」を導入したのか
AI活用がうまく進まない? それは「現場」と「データ」を軽視しているからだ
瞬時にM365が乗っ取られる――全社員に周知すべき“新フィッシング”の教訓
MFA(多要素認証)を入れたから安心という常識が崩れ去っている。フィッシング集団「Tycoon2FA」が摘発されたが、脅威が完全になくなったというわけではない。

「サイト内検索」&「ライブチャット」売れ筋TOP5(2025年5月)
今週は、サイト内検索ツールとライブチャットの国内売れ筋TOP5をそれぞれ紹介します。

「ECプラットフォーム」売れ筋TOP10(2025年5月)
今週は、ECプラットフォーム製品(ECサイト構築ツール)の国内売れ筋TOP10を紹介します。

「パーソナライゼーション」&「A/Bテスト」ツール売れ筋TOP5(2025年5月)
今週は、パーソナライゼーション製品と「A/Bテスト」ツールの国内売れ筋各TOP5を紹介し...