1秒間に約4000件の馬券取引を処理
15万人が熱狂する「ダービー」舞台裏 “通信の崩壊”を防いだIT部門の戦略
膨大なトラフィックが押し寄せる大規模イベントでは、ITインフラの突発的な「火消し作業」がたびたび発生する。ケンタッキーダービーを運営するCDIはいかにしてこの窮地を脱し、強固なシステムを構築したのか。
毎年5月の第1土曜日、米ケンタッキー州ルイビルの歴史あるチャーチルダウンズ競馬場で、「スポーツ界で最もエキサイティングな2分間」として知られるメインレース「ケンタッキーダービー」が幕を開ける。その裏側では、高度に洗練されたシステムが稼働している。15万人を超える来場者のデジタル体験から、膨大な数のリアルタイムな馬券購入まで、ダービーのあらゆる要素を円滑に進行させるのがその役割だ。
「競馬はわずかな遅延も許されないスポーツだ。馬がゴールラインを越えた瞬間、それを正確に知る権利が観客にはある」。ケンタッキーダービーの運営母体であり、全米でカジノやオンライン馬券販売などを多角的に展開するChurchill Downs(CDI)でシニアバイスプレジデント兼CTO(最高技術責任者)を務めるネイト・サイモン氏はそう語る。
常設設備と仮設設備を組み合わせたネットワークは、ピーク時の膨大なトラフィックを処理し、高い信頼性を確保しなければならない。1週間に及ぶイベントの拡大にも適応する必要がある。CDIは近年、ITインフラを刷新するためにCisco Systemsと提携した。ファンが技術の存在を意識せず、レースの興奮にのみ集中できる環境を、標準化と自動化、予防保守によっていかに実現したのかを見ていこう。
1週間にわたる祭典を仮設設備で乗り切る
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スポーツイベントを支えるITインフラ
2026年のケンタッキーダービー(5月2日開催)に向け、解決すべき課題は山積みだった。まず、競馬場のITインフラは全てが常設ではない。イベント期間中に押し寄せる大量の来場者を扱うため、膨大な仮設設備を構築する。ダービーはいまや1日限りのイベントではなく、水曜日の「Winsday」(勝利の水曜日)や木曜日の「Thurby」(ダービーと木曜日を掛けた地元祭)といったプレイベントを含む、1週間に及ぶ祭典へと進化しているからだ。
シーズンオフには倉庫に眠るこれらの仮設設備にも、ダービー開催週には常設システムと同等の堅牢(けんろう)さが求められる。そのため、光ファイバー敷設のための大規模な掘削作業や、毎年5万フィート(約15キロ)に及ぶ仮設銅線ケーブルの配線、分散型アンテナシステム(DAS)による携帯電話の通信容量向上など、多様な通信手段を組み合わせる必要があった。
ダービー当日のネットワークトラフィックは、通常の土曜日をはるかに上回る。基幹システムの帯域需要は約60%増加するが、これには来場者の個人デバイスによる通信や、特定目的のための仮設接続は含まれていない。ピーク時には1秒間に約4000件の馬券取引を処理する。北米の競馬は、日本の競馬と同じ「パリミュチュエル方式」が主流だ。これは全ての賭け金を一元的に集計し、総額に基づいてリアルタイムにオッズを算出する仕組みだ。正確なオッズを提供し続けるには、世界中の拠点と一瞬たりとも途切れない通信を維持しなければならない。
175エーカー(約70.8万平方メートル)という広大な敷地を、15万人以上の来場者が移動する。ゲートでの電子チケット提示、名物カクテル「ミントジュレップ」の決済、馬券の購入、無線LANの利用。来場者が競馬場に足を踏み入れた瞬間から、ネットワーク技術は彼らの体験を裏側で処理し続けている。
成長を見据えたシステムの標準化
CDIのインフラ戦略は、新規拠点の買収や施設の建設に合わせて、迅速かつ一貫して規模を拡大できるよう進化してきた。2026年5月現在、同社は12カ所のカジノや18カ所の競馬場、オンライン馬券販売サービスなどを多角的に展開している。
「急成長を遂げるために不可欠だったのは、標準化と一貫性だ。どこでも同じ手順で横展開できるアーキテクチャモデルを選定する必要があった」とサイモン氏は言う。
標準化を進めることで、IT部門は問題が起きてから対処する「火消し作業」から解放される。将来の負荷を予測し、障害が起きる前に芽を摘む予防的なアプローチが可能になるからだ。大規模な企業がばらばらの設定や設備を抱えていると、パッチ適用などの管理作業に追われ、本来の業務に手が回らなくなる。基準を統一したことで、拠点ごとに一から設計する手間や、同じトラブルを繰り返す無駄がなくなった。
「大規模な企業における標準化とは、全てを画一化することではない」。Cisco Systemsでネットワークプラットフォーム部門のバイスプレジデントを務めるオースティン・リン氏はそう指摘する。カジノ、競馬場、事務オフィスといった用途ごとに、最適な設定やポリシーを組み込んだ「型」(テンプレート)を用意しているのだ。このモジュール化された手法によって、新しいITインフラを迅速に構築でき、テクノロジーの導入から効果発揮までの期間を短縮できる。
「小規模な企業が成長の壁を越えるには、何をなすべきかだけでなく、効率を維持するために『いかに進めるか』を考える必要がある」とサイモン氏は語る。共通の基準を採用することが、システムの回復力と信頼性を高める近道であることをチーム全員に浸透させた。
CDIはCisco Systemsと複数年の提携を結び、7000台以上のネットワークスイッチの刷新とルーティング構造の最新化を進めている。新設エリアや改修エリアでは、初めから最新の配線とCisco Systems製品を導入した。これによって、数年前に導入したIPTV(インターネットプロトコルを用いた映像配信)での広告や緊急放送の効率も大幅に向上した。
規模の拡大に対処するため、自動化ツール「Cisco Catalyst Center」の活用にも注力している。これによって、現場のスタッフが高度な専門スキルを持たなくても、スイッチの導入や更新を効率的に行えるようになった。本社のエンジニアをわざわざ派遣することなく、適切なセキュリティ設定を各拠点に一括して適用できる。
「多くの施設を一から建設できたため、新しい基準を建物の『骨組み』の段階から組み込むことができた」とサイモン氏は語る。買収した既存拠点のシステムを無理やり統合する苦労とは対照的だ。「移行には多大な手間がかかるが、一度完成してしまえば実に素晴らしい結果をもたらしてくれる」(同氏)
決戦の瞬間に向けた万全の備え
「スポーツ界で最もエキサイティングな2分間」において、主役がネットワークではなく馬であり続けるよう、サイモン氏は「鉄壁のシステム」の構築に余念がない。
ダウンタイム(システム停止時間)の発生を未然に防ぐため、ITチームは競馬場用のバックアップ電源や無停電電源装置(UPS)の入念なテストを繰り返している。オンライン販売サイトでは、アクセス集中を想定した負荷テストも実施される。エンジニアは全ての機器を巡回点検し、更新サイクルが計画通りか常に目を光らせる。物理的、技術的なセキュリティリスクに備えたシナリオ演習も定期的に実施している。
ゲートが開けば、全ての注目はコース上のドラマに注がれるべきだ。
「われわれが手掛けるのは一生に一度の体験を提供するための仕事だ。Cisco Systemsの存在も、CDIのIT部門の存在も、誰にも気付かれないことが理想だ。誰もが背後の技術を忘れ、友人との時間を心から楽しんでいる。それこそが私たちの成功だ」(サイモン氏)
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