なぜSAPはAI戦略を大きく転換したのか? CEOが明かす“Code Red”の舞台裏Sapphire 2026

SAPはAI戦略を「技術提供」から「ビジネス成果」へと大きくかじを切り、ビジネスコンテキストを統合した新プラットフォームを発表した。制御不能なAIが社内データを勝手に扱う「エージェントの混迷」をいかに防ぐかが、情シスの新たな課題となる。

2026年06月03日 05時00分 公開
[Brian McKennaTechTarget]

 SAPの最高経営責任者(CEO)クリスチャン・クライン氏によると、同社が本格的なビジネスAIプロバイダーを目指す「旅」の方向性を変えたのは「8〜9カ月ほど前」のことだという。

 同社は、2026年5月に米国オーランドとスペインのマドリードで開催した年次カンファレンス「Sapphire 2026」で、AI技術そのものよりも、同社が言うところの「自律型企業」につながるビジネス成果を重視する方向に転換する姿勢を打ち出した。

 各顧客のビジネスコンテキスト(背景情報)をより的確に捉えられるように、AIの技術スタックを再調整しているとした他、新ブランド「SAP Business AI」および「SAP Autonomous Suite」の下、一連のAIアプリケーションや開発・データ管理ツールを発表している。

SAPは顧客の期待との乖離にいつ気付いたのか?

 マドリードで行われた会見でクライン氏は、同社が発信するAI関連のメッセージがビジネス成果を求める顧客の期待と乖離(かいり)していたことに「いつ気付いたのか」と問われ、次のように答えている。

 「状況を正確に理解したのは、8〜9カ月前のことだ。AIアシスタント『Joule』や当社のAIに対するフィードバックを分析した結果、一部で高い評価を得ていたものの、大きな課題も見つかった。具体的には、『Business Technology Platform』(BTP)上のエージェント作成機能と、データコンテンツを保持する 『SAP Business Data Cloud』(BDC)が十分に連携していなかったのだ」(クライン氏)

 さらに、ガバナンスの面でもそれらは完全に独立した状態だったという。「例えばAnthropicなどのモデルを単体で選び、エージェントを構築しても、BTP上で構築した場合と同じ結果が得られた」とクライン氏は振り返る。

 「その瞬間、任意のLLM(大規模言語モデル)で構築でき、即座にビジネスコンテキストを付与できる新しいAIプラットフォームの構築を決断した。われわれはLLMの部分で他と競合するつもりはない。当社の強みは、例えばSAPのプラットフォーム上でAnthropicを利用する際、エージェントが即座にビジネス目標やデータを理解できる環境を提供することだ」(クライン氏)

 クライン氏は、このことを同社にとっての「コードレッド(緊急事態)」だとして、全エンジニアを招集し事に当たったという。「Sapphire 2026で発表した内容を示すまでには非常に困難な作業が伴った。全ての顧客が否定的だったわけではないが、こう言われた。『精度や結果が100%正確ではない。ビジネスシーンにおいては、質問に対する回答・結果には高い信頼性が必要だ』と」

 新しいプラットフォームとエージェントについてクライン氏は、「初期のテスト段階にある顧客やパートナーからのフィードバックに基づき、1年前よりも格段に優れた体験を提供できると確信している」と自信をのぞかせた。

エージェントによる混乱を回避

 SAPの欧州・中東・アフリカ(EMEA)およびアジア太平洋(APAC)地域担当カスタマーサクセスグローバルプレジデント、マノス・ラプトポロス氏は、AI導入における「主権」以外の懸念事項として、「エージェントによる混乱」を挙げた。

 「現在、顧客の関心が高まっているのは、自社内のあらゆるエージェントをいかに制御し、混乱を避けるかという点だ。制御不能なエージェントが貴重なデータにアクセスし、不適切な相手に公開してしまうことは、経営層にとっての『悪夢』でしかない。これはセキュリティとガバナンスの問題である」(ラプトポロス氏)

 この課題は欧州、アジア太平洋、中東のどの国でも共通しているという。同氏は、単にAIを導入できるかどうかではなく、AIが顧客に具体的な成果をもたらす「関連性」を確保することが重要だと強調した。

 今回のSapphireでは同社が「カンパニーメモリ」と呼んでいるナレッジ管理も強調された。ラプトポロス氏はこの概念を次のように説明する。

 「どの企業にも、独自の『暗黙知』や仕事の進め方がある。それはマニュアル化されていないことも多いが、システムがその振る舞いから学習できるようにする必要がある。これがカンパニーメモリの概念だ」(ラプトポロス氏)

 さらに、プロセスマイニングツールの「SAP Signavio」を活用することで、業務プロセスのデジタルツインを構築できるという。これにより、どの業務プロセスが自動化されているか、あるいは自動化の余地があるかを可視化し、エージェントによるワークフローの成果を確認できる。

 Celonisなど他社のプロセスマイニングツールを利用する選択肢もラプトポロス氏は認めている。「顧客には常に選択肢がある。当社はオープンなエコシステムとコラボレーションを約束している。しかし、SAPの強みは統合による摩擦の少なさと、プロセス間の緊密な連携にある」

標準機能としてのエージェント活用

 SAPのメッセージに共感を示した顧客の1人が、Haleon(ヘリオン)の最高デジタル・技術責任者(CDTO)、クレア・ディクソン氏だ。同社は2022年にGSK、Pfizer、Novartisの統合により生まれた英国の多国籍消費者向けヘルスケア企業である。

 ディクソン氏は「SAPとのパートナーシップで、将来的にエージェント機能が提供されることを想定していた。そのため、基盤を整える『クリーンコア』戦略を進めながら、エージェントの実装を待っていた」と話す。

 「今回の発表には非常に満足している。多くの機能がすぐに使える『アウト・オブ・ザ・ボックス』として提供されるからだ。当社のAI戦略は、可能な限りサプライヤーの標準機能を活用することにある。自社で膨大な数のエージェントを一から構築し続けることは、戦略として望んでいない」(ディクソン氏)

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