ITマネジャーがチームと十分なコミュニケーションを取らずに恣意的な意思決定を行うと、ソフトウェアの品質が損なわれる。
コミュニケーションは人間が生きていく上で不可欠だ。社会的なコミュニケーションを文字で記録した最も古い史料としては、約5000年前の南メソポタミアのものが知られている。当時、この地域の人々は粘土板にくさび形文字を記していた。幸いにも、われわれはその段階からはるか遠くまで進んできた。しかし、技術が進歩した今日でも、重大な情報の伝達がうまくいかない場合があるのは驚きだ。こうした場合は、そもそも情報伝達がなおざりにされているのだろう。
わたしは以前の職場で、ITプロジェクトやIT部門を率いるマネジャーが自分の都合で情報を恣意的に利用するときには、決まって幾つかの要因がかかわっているのを目の当たりにした。状況によっては、社内政治やマネジャーとしての権威を維持することの方が、ITチームに対してオープンで率直であることよりも重要視されてしまうわけだ。そうした場合、もちろん最終製品の品質は低下する。彼らの政治的な威信を守ることが優先され、結局、会社と社員、そして製品の品質がないがしろにされることになる。この「情報の恣意的な利用に基づく権威」の問題に、米国のITコミュニティーは早急に取り組まなければならない。さもないと、ビジネス活動全体の質が著しく損なわれてしまうだろう。
ビジネスの世界で一番大事な目標は仕事にベストを尽くすことだと言えば、ほとんどの人は賛成してくれるだろう。このことは、ITの品質保証に携わる人には特に当てはまる。「品質」の重要性が軽視されたらどうなるのか。出来の悪い製品のテストを何度も繰り返さなければならなくなり、適切なコミュニケーションが行われていれば避けられたはずの問題が持ち上がり、われわれの時間とリソースが浪費されてしまう。しかし、部下との仕事のプロセスや手続きの重要さを理解しようとしないマネジャーには、それが見えない。彼らの眼中にあるのは、納期と顧客サービスだ。このことは本来、顧客満足につながるはずだが、彼らの場合は近視眼的なやり方に終始することになる。そしてこうしたマネジャーの下では、この2つの要件が達成されない場合、事態が泥沼化してしまうのが常だ。
これまで述べてきたような、マネジャーによるチームとのコミュニケーションに問題がある状況では、マキャベリの有名な言葉が鳴り響いている。それは、「両方が望めぬなら、愛されるよりも恐れられる方がよい」というものだ。わたしは数々のITプロジェクトで、この偉大な政治思想家が語る恐怖という感情の、相互に関連する2つの作用を見てきた。
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