生成AIは教育の可能性を広げる一方で、「考える力」を奪うリスクも孕んでいる。ハーバード大学が実践する、生成AIと共存しながら“思考力を育む”教育の在り方とは。
生成AI(AI:人工知能)の影響は教育現場にも及んでいる。AIツールは学習効率を大きく高める一方で、自ら思考し、深く学ぶ機会を奪いかねないというジレンマも抱えている。生成AIを一律に禁止することはもはや現実的ではなく、この強力な技術とどう共存し、教育を再設計していくかが問われている。
2025年5月、ハーバードビジネススクール(Harvard Business School)で全学規模の生成AIシンポジウムが開催された。講堂には教授、研究者、学生、大学職員らが一堂に会し、AI時代の学びと教育の本質をいかに守ろうとしているか、率直な議論が交わされた。
一部の教員は、生成AIが日常的に利用されている現状を、教育の在り方そのものを問い直す契機と捉えている。生成AIは「不正の助長」や「思考の外部委託」といった懸念をもたらす一方、その登場自体が、現在の教育や評価手法が抱える構造的な弱点を浮き彫りにしている。
生成AIは、説明や要約、分析といったタスクを一定の精度で、かつ瞬時に生成できる。事実と異なる回答をする「ハルシネーション」のリスクも依然としてあるが、一般的なテーマに関してはおおむね正確な回答を返すため、多くの学生にとっては生成AIのリスクよりも利便性が上回っているのが実情だ。特に試験期間のようにプレッシャーの高まる時期には、「ある程度正しい」生成AIの回答で十分だと感じる学生も少なくない。
ハーバード大学(Harvard University)教育学大学院の教授であるノーニ・ルソー氏は、こうした状況に警鐘を鳴らす。生成AIの利用が、丁寧な思考、創造性、柔軟な認知といった“深い学び”を損なう可能性があるからだ。「情報にアクセスすること」と「学ぶこと」は全くの別物だとルソー氏は強調する。
本質的な学びには、自己制御、衝動の抑制、集中の持続といった、一見非効率に見える認知プロセスが欠かせない。これらの“認知的筋力”は、生成AIが普及する前から既に低下傾向にあったとルソー氏は指摘する。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック(世界的大流行)以前から、学生たちの集中力、内省力、自己制御力には衰えが見られていたという。生成AIがそれを引き起こしたわけではないが、この傾向を加速させる要因となる可能性は高い。
とはいえ、AIを教育現場から排除することは現実的ではない。AIは既に広く使われており、検出手段も十分な精度を持っているとは言い難い。仮に教員が生成AIの使用を疑っても、それを確実に立証するのは困難であり、検出ツールが英語を母語としない学生に対して誤判定を出すケースも報告されている。これからの教育に求められるのは、生成AIと共存しつつも、学生が内省し、深く思考できる学習環境を設計することだ。
ハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)の公共政策学教授シャラド・ゴエル氏は、自身の講義でAIチャットbotを導入した際の気付きを語った。
匿名化されたログを確認したところ、学生たちはAIチャットbotに対して初歩的な質問を遠慮なく投げかけていたという。これらの質問は普段オフィスアワーでは出てこないようなものだった。「この時に初めて、学生の多くが基本的な内容を理解できていなかったことに気付かされた」(ゴエル氏)
この経験を通じて、ゴエル氏は授業の初期段階からつまずいていた学生が、これまでも多数いたのではないかと考えるようになった。AIチャットbotは、それまで見過ごされてきた“沈黙の混乱”を可視化するツールになったという。
ゴエル氏はチャットbotのログを活用して、学生がつまずきやすいポイントを特定し、授業内で意識的に振り返る時間を設けている。学生の質問傾向をAIが要約したレポートを教員チームと毎週共有し、授業設計や改善に役立てているともいう。
ハーバード大学の生成AI担当上級顧問で、物理学・天文学の教授を務めるクリストファー・スタッブス氏は、生成AIが従来の評価方法に与える影響について懸念を示す。特に小論文や志望動機書といった、ストーリー形式の評価手法が機能不全に陥りつつあるという。
スタッブス氏は、ある大学院の出願論文を例に挙げて説明した。ハーバード大学では出願プロセスで生成AIを使用することを禁止しているにもかかわらず、そのエッセイにはAIによる執筆の痕跡が見られたという。出願時の生成AI利用を禁じているが、そのエッセイにはAIによる作成が疑われる特徴が見られた。「文章による評価が、もはやその人の伝達力や思考力を適切に測る手段ではなくなりつつあることの典型例だ」とスタブス氏は語る。
こうした課題を踏まえ、ハーバード大学教育学大学院のアンドリュー・ホー教授は「評価の対象を再考すべきだ」と提案する。例えば、筆記試験ではなく対面式の口述試験を通して、学生の理解力、柔軟性、即興的な思考力を測るというものだ。
このような評価方法は、生成AIが再現できないスキルを問えるという点で有効だが、価値はそれだけにとどまらない。対話による評価は、文脈理解力や自己表現力といった、社会に出てから必要とされる能力の育成にもつながるという。「これは単なるAI回避策ではなく、対話力を高める取り組みそのものだ。対話スキルは過小評価されており、もっと重視されるべきだ」とホー氏は述べる。
ハーバードビジネススクール助教授のイアボル・ボジノフ氏も、従来の筆記試験自体が決して中立な評価手段ではなかったと指摘する。文章表現に長けた学生や英語を母語とする学生が有利になりやすく、必ずしも思考の深さや独創性を反映していたとは限らないという。
生成AIの登場によって多くの学生が文章作成に生成AIを活用する中で、これまでの評価が内容よりも“表現”を評価していた側面が明確になりつつある。「小論文を書かせる目的は、本来は批判的思考を促すことだった。その目的は、小論文以外の形式でも実現できるはずだ」(ボジノフ氏)
批判的思考やメタ認知、情報の真偽を見極める力。これらスキルの育成は、もともと難易度が高かった。生成AIの登場により、その難しさはさらに増す一方で、教育者に「何をどう学ばせるか」という教育設計そのものを改めて問い直している。
この授業を通じて、自分は何を目指しているのか。学生の思考にどのような影響を与えたいのか。どうそれを評価し、何をもって“できた”と判断できるのか。生成AIは、教育者に極めて根源的な問いを突き付けている。
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