私物端末の自由度が授業を変える
公立高校が「生徒入学時のiPad購入」を義務化できた理由
iPadを学科の全生徒が入学時に購入して授業で利用している、千葉県立袖ケ浦高等学校。公立学校では珍しい、私物iPadの採用をどう実現したのか? 同校担当者に聞いた。
生徒1人ひとりが入学時に購入したiPadを授業に利用しているのが、千葉県立袖ケ浦高等学校(以下、袖ケ浦高校)の情報コミュニケーション科だ。同科は、iPadでさまざまなITツールを利用し、授業内でのコミュニケーションや実習の習得度向上に役立てている。公立高校では珍しい私物iPadの授業利用をどう進めたのか。その中で見えてきた効果とは何か。袖ケ浦高校の情報コミュニケーション科主任を務め、iPad採用を推進した永野 直氏の話から明らかにする。
2011年に誕生した袖ケ浦高校の情報コミュニケーション科。2011年に同科へ入学した1期生の生徒40人を皮切りに、以後2012年入学の2期生41人、2013年入学の3期生40人と、同科の全生徒が私物のiPadを授業で利用している。教職員も、利用するiPadは自費負担だ。
iPad導入の動機:“特別なこと”を“自然なこと”に変える
情報コミュニケーション科が誕生した2011年の前年である2010年4月、同科設立の中核メンバーの1人として、永野氏が袖ケ浦高校へ赴任した。2010年は、iPadが販売開始された時期でもある。永野氏は、登場直後のiPadを購入。2010年3月まで、鳴門教育大学大学院の教科・領域教育専攻でマルチタッチデバイスの教育利用を研究していた同氏は、iPadが授業に役立つと判断。iPadの授業導入を決めたという。
iPadを導入した動機は、「今までの授業では、やりたくてもなかなかできなかったことを自然にできるようにするためだ」と永野氏は語る。「文字や言葉だけで説明するよりも、1枚の写真や10秒のビデオクリップを見せることで、生徒の理解度はずっと上がる。こうしたことを当たり前にできるようにしたかった」
今までは、授業中にたった1枚の写真を生徒に見せることも、「プロジェクターやクライアントPCを教室へ搬入したり、わざわざ生徒を視聴覚室へ移動させなければならず、“特別なこと”になっていた」という。「タブレットがあれば、写真でも動画でも教室ですぐに示すことができる」
私物利用を選んだ理由:借りものではない自由さを追求
千葉県は、県下の高校にタブレットを支給しているわけではない。そうなると、iPadを授業で利用するには、一般的には学校支給か生徒の私物端末の利用(BYOD)のいずれかしかないことになる。
同校が選択したのは、BYODだった。その選択を後押ししたのは、教科書やノートのように、日常の授業で自然かつ自由にiPadを利用してもらいたいという思いだ。
学校給付でもBYODでも、利用する端末のスペックが変わるわけではない。だが、学校給付の場合、基本的には端末を借りて返さないといけないことが、端末の自由な利用を妨げると永野氏は考える。「例えば、他人の携帯電話を渡されて、『どうぞ自由に使ってください』といわれても、『他人の端末で通信するのは気持ち悪い』と思ったり、『撮影した写真もどうせ消されてしまうんだろう』などと考えてしまい、積極的に使いたいとは思わないだろう」。一方、私物端末であれば、「自分のものなので自由に使い倒すし、愛着も湧く」。
同校の予算でiPadを支給することは、「今後も考えていない」という。仮に千葉県が県下全校にiPadなどのタブレットを支給することになっても、「ありがたいとは思うが、それほどうれしいとは思わない」と永野氏は語る。「むしろ生徒に対して端末の購入金額を援助するなどの施策にし、あくまで端末は私物にしてほしい」
私物iPad導入の障壁:中学校巡りの“人海戦術”で理解を促す
とはいえ、実際にBYODの採用に踏み切るとなると、ハードルは決して低くない。入学試験があるとはいえ、公立学校で新入生全員にiPad購入を義務付ける例は、極めて珍しい。「今までにないことだったので、いかに理解を広げるかに知恵を絞った」と永野氏は明かす。
同校が取ったのは、担当者が袖ケ浦市や市原市など、今まで同校への入学者を出している学区内の中学校をつぶさに訪問して説明するという、アナログなアプローチだ。「iPadで授業をするので、iPadの購入を前提に受験するよう生徒を指導してほしいとの説明を2、3回繰り返した」のだという。
ただし、中学校に説明するといっても、話を聞いてくれるのは中学校の教頭や3年生の学年主任、進路指導部長などがほとんどであり、「そこからさらに、生徒や保護者にまで伝えるのは相当難しい」。学校の公式Webサイトに「iPadの購入が必要だ」という説明文を掲載しても、全員が見てくれるかどうかは分からないという課題もある。
そこで、中学校への説明に加え、願書提出時に書類を配って「iPadの購入を踏まえて志願してください」と説明したり、志願変更前の願書提出時にも同様な対処をするといった工夫をした。こうした対策の効果で、入学者が「iPadを買いたくない」と言いだすといったトラブルは、これまでに1件もないという。
私物端末がつなげないネットワークも課題に
ハードルはネットワークにもあった。実は、2010年のiPad導入前は千葉県の回線を利用することを検討していたが、県のネットワーク利用規定では、私物端末のネットワーク接続は認められていなかったという。さらに、120台のiPadがネットワークに接続するとなると、回線が逼迫する懸念もあった。
そこで、同校が新たにプロバイダーとネットワーク回線を契約。加えて、県の予算で無線LANアクセスポイントやケーブルを新たに調達し、iPad専用のLANを構築したという(写真1)。
iPad専用LANの他、同校にはコンピュータ室や教員端末用に利用するLAN、成績書類管理で利用するLANがある。それぞれのLANは独立しているため、生徒の住所や成績情報などの機密情報は、iPad専用LANには流れない仕組みで、セキュリティを確保している。さらに、プロバイダーが提供する有害情報のコンテンツフィルタリングサービスも採用した。
私物端末の管理:購入後に学校で設定、利用制限はほぼなし
生徒は入学時にiPadを購入し、いったん袖ケ浦高校に預ける。同校は、校内無線LANの設定を手作業でした上で、預かったiPadを生徒に戻す。モバイルデバイス管理(MDM)製品は導入しておらず、iTunesの利用禁止といった制限は施していないという。
アプリケーションのダウンロードなどに必要となるApple IDは、生徒個人に取得させている。ただし、クレジットカードの登録はしないように指導しており、プリペイドカードである「iTunes Card」を購入してもらっている。つまり、アプリケーションの購入も生徒の自己負担となる。
同校は、ワープロソフトの「Pages」とプレゼンテーションソフトの「Keynote」、動画編集ソフトの「iMovie」を必須アプリケーションとして指定。3期生からは、音楽編集ソフトの「GarageBand」の購入も義務化した。
なぜGarageBandを必須アプリケーションにしたのか。「作成した動画を公開する際にBGMは重要な要素となる。とはいえ、著作権のある音楽は手軽に利用できないし、iMovieの音楽は聞き飽きている。オリジナルのBGMを作ることができれば便利だと考えた」からだ。現在は特に授業で使い方を指導しているわけではないが、3期生については解説授業をする予定だという。
表計算ツールの「Numbers」は、1期生、2期生は必須アプリケーションとしていたが、3期生からは必須指定をやめた。「表計算ツールは、マウスとキーボードの方が確実に使いやすい。タッチデバイスであるタブレットには向いていないと判断した」
iPadの選定理由:iPad以外は現状では「使えない」
操作性の高さを評価し、同校が初めてiPadを採用したのは2011年のこと。当時と比べ、現在はタブレットの選択肢が急速に充実している。「根っからのWindowsユーザーで、Appleオタクでもない」という永野氏は、評価目的でさまざまなタブレットを試用している。だが現状は、タッチパネルの反応性や操作性の高さ、OSのフリーズのしにくさなど、「端末全体の完成度で見ると、現状ではiPad以外の選択肢はない」という。
永野氏は、特にiPadの安定性の高さを評価する。「iPad以外のタブレットの場合、フリーズしてOSが反応しなくなり、動いているのかどうかさえも分からなくなることが少なくない。iPadは、今まで使い続けても、OSレベルで全く反応しなくなったことはゼロに近い」
一方で、iPad miniを採用するつもりはないという。「個人用途であれば、iPad miniは軽くていい」と永野氏は評価する。だが情報コミュニケーション科では、共同作業やディスカッション、プレゼンテーションなど、話し相手に画面を見せる用途でタブレットを利用することが多く、「画面サイズがある程度ないといけない」と判断し、iPad miniを採用していない(写真2)。
iPad導入の効果:ほぼ全科目で効果を発揮
現在は、情報コミュニケーション科の「ほぼ全科目で利用している」というiPad。iPadや、iPadで利用するアプリケーションやコンテンツを生かし、既に幾つかの効果を挙げ始めている。
教科「家庭」:動画で裁縫実習
興味深いのが教科「家庭」の授業だ。裁縫実習の教材として、教員が事前に撮影した裁縫の動画を利用している。
評価のために、動画を見ながらの実習をした生徒と、写真と文で説明するプリント教材だけを見ながらの実習をした生徒を比較したところ、裁縫結果が「良くできた」と判断されたのは、動画を見た生徒は7割、プリントだけを見た生徒は5割程度だった。「やりなおし」と判断されたのは、プリントだけを見た生徒の場合は5%程度いたが、動画を見た生徒の場合は1人もいなかったという。縫製の完成度だけではなく、動画を見た生徒の場合は完成までの時間も短かった。
教科「生物」:生徒の発想が授業を変える
私物端末の自由度が生んだ成果もある。教科「生物」でのことだ。微生物を顕微鏡で撮影してリポートを作成する授業で、ある生徒がiPadのカメラを顕微鏡に当てて、写真やビデオを撮影し始めた。撮影した画像や映像が非常に鮮明であることに、「これは使える」と教員は感心、次回の授業から本格的に授業に取り入れることにしたという。
こうした動きは、教科書やノートと同じように、私物としていつでも自由にiPadが使えるからこそ起こったことだと、永野氏は語る(写真3)。「生徒にしてみれば、『ちょっと写真を撮ってみようか』といった発想。決められたことをするためだけにiPadを導入しているわけではない」
iPad導入に込めた思い:コミュニケーション促進の起爆剤に
iPadを利用した授業の実践例の中には、生徒にiPadでドリル教材をさせることで、学力を効率的に伸ばすといったものもある。大学受験を目指す高校生にとっては、学力の向上は確かに大切だ。だが永野氏は、学力向上の重要性は認めつつ、「教育と受験対策は別物だ」と言い切る。
「大学受験対策も当然大事だが、大学に入学してからどう勉強して、社会でどう価値ある人材として活躍できるかの方がより重要だ。どうやって学び、学んだ内容を分かち合っていくかを習得させることが、教育の目的だと考えている」と永野氏は語る。
永野氏がiPadの導入で目指すのは、学科名にも入っているコミュニケーションの促進だ。「高校時代の授業では、テストの点数をどれだけ上げるかよりも、さまざまな媒体を使って人と協力しながら話し合い、自分でオリジナルのものを作り、人に説明して意見を出し合うといった経験をさせたい」
情報コミュニケーション科では、クラスの生徒や教員とのコミュニケーションにTwitterを活用している。ただし、Twitter内でのコミュニケーションにとどめることは端から想定していない。「コミュニケーションの経験不足と、授業内で発言することのハードルを克服し、生のコミュニケーションを活性化する手段して、Twitterでのコミュニケーションが役立つ」
課題と今後の展開:「情報コミュニケーション科が必要なくなる」ことが理想
私物iPadの導入は、現状は1学年40人程度のみ、特定の学科のみに限定しているからできている。1000人近い全校生徒に私物iPadの購入を義務化する場合には、「何らかの問題が出てくる可能性がある」と永野氏は認める。
ただし、将来的には、高校生がごく普通にタブレットを持つ時代が来るかもしれない。こうした状況になり、授業で私物タブレットを普通に利用できる状況になれば、「『情報コミュニケーション科』として特別に学科として続ける必要はない」と永野氏は考えている。
「情報コミュニケーション科は、特別な教育内容をやろうとするのではなく、ITを日常的な授業の中で当たり前に使おうとしている学科。日本中の普通の高校生に普通にITを使ってもらえる状況になるのが理想だ」というのが、永野氏の考えだ。
タブレットは教科書やノートを駆逐しない
永野氏は、タブレットを教科書やノートの代替だとは考えていない。「例えば、デジタル教科書を使って教員は板書をせず、生徒もノートを取らないという、未来的なイメージのIT活用はむしろ反対。タブレットは、あくまでも教科書やノートの役割を補完したり、分かりやすくするための存在であるはずだと考えている」
教育現場へのIT導入は、現状を変化させることではなく、生徒にとって最適な教育を実現することこそが目的であるはずだ。その目的の基に、導入する製品や手法を検討することが、IT導入成功の条件となるだろう。
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