IFRSの初度適用を行ない、監査も受けているHOYAの連結財務諸表は、これからIFRS適用を目指す企業にとって貴重な情報を提供してくれます。本稿ではHOYAのIFRS連結財務諸表を詳細に分析します。
日本初のIFRSベースでの有価証券報告書は、2010年3月期の日本電波工業です。しかし、同社は英文のアニュアルレポートにおいて2002年3月期よりIFRSに準拠した連結財務諸表を公表していたため、IFRSの初度適用に該当せず、これからIFRSに移行する日本企業の関心となる調整表等の初度適用に関する情報を得ることはできませんでした。
また、連結会計システム開発のディーバも任意でIFRSベースの連結財務諸表を公表しています。しかし、これはあくまで任意の位置付けなので注記の多くが省略され、監査証明もないものとなっています。従って、これからIFRSを適用していく日本企業にとっては、今もっとも参考になるのが、これらを備えたHOYAのIFRSに準拠した連結財務諸表となります(文中のかっこ書き部分は、HOYAのIFRS財務諸表日本語翻訳版からの引用です。また、文中の数値の表記を変更しております)。
HOYAは2010年12月、2010年3月期(「移行日」は2008年4月1日)のIFRSに準拠した連結財務諸表を公表しました(HOYAのWebサイト)。同社はIFRSの初度適用に該当し、IFRSに基づく遡及適用の原則・例外の適用や、移行の影響額の調整表等の開示義務の適用がなされています。この適用に伴い、同社は以下の調整表を公表しています。(日本語翻訳版、90ページから。以下同様)。
資本の部 | IFRS移行日(IFRS開始財政状態計算書日、2008年4月1日)および従前の会計基準で開示されている直近の財務数値の財政状態計算書日(2010年3月31日)の両日について資本に対する調整表 |
---|---|
包括利益 | 従前の会計基準で開示していた直近の財務諸表(2010年3月期)について純損益に対する調整表 |
キャッシュ・フロー計算書 | 該当なし 従前の会計基準の開示していた直近のキャッシュ・フロー計算書(2010年3月期)について重要な調整の開示が本来必要となるが、主要な相違点が存在しないため、開示を省略している |
IFRS初度適用企業は、少なくとも1期分の比較対象期間の情報を表示しなければなりません。その場合には従来の会計基準で開示していた直近の財務諸表は2009年3月期となります。同社は2期分の比較財務諸表を表示しているため、上記の開示が強制される事項に加えて、任意で「2009年3月31日現在の資本に対する調整表」および「2009年3月期の純損益に対する調整表」を開示しています。
HOYAの2010年3月期(平成22年3月期)の有価証券報告書における日本基準ベースの連結財務諸表と、IFRSベースの連結財務諸表の分量を比較しますと、以下のようになります。
日本基準(2010年3月期) | IFRS(2010年3月期) | |
---|---|---|
総ページ数 | 54ページ | 108ページ |
連結財務諸表注記 | 46ページ | 100ページ |
総ページ数および注記のページ数はどちらも約2倍となっています。この増加には、初度適用に関するページ数22ページを含みますが、それを差し引いたとしても注記が約1.7倍の分量となっており、大幅に注記が増加していることが分かります。
注記が増加する背景としては、日本基準が基本的に選択可能な会計方針について開示することを求めているのに対して、IFRSは、基本的に全ての重要な会計方針とその採用理由を意思決定のニーズを満たすように明瞭に開示することを求めていることが挙げられます。
以下にHOYAの日本基準による財務数値と、IFRSによる財務数値の概要を示します。
日本基準(単位:百万円) | 差額 | IFRS(単位:百万円) | ||
---|---|---|---|---|
売上高 | 413,525 | (約201百万円増) | 売上高 | 413,726 |
税引前当期利益 | 49,761 | (約1,796百万円増) | 税引前当期利益 | 51,557 |
当期利益 | 37,875 | (約3,338百万円増) | 当期利益 | 41,213 |
総資産 | 549,737 | (約10,553百万円増) | 総資産 | 560,290 |
純資産 | 351,472 | (約7,277百万円増) | 純資産 | 358,749 |
負債合計 | 198,265 | (約3,276百万円増) | 負債合計 | 201,541 |
この表を見て、意外と影響が大きくないと思われる方も多いと思います。確かに、すべての影響を合算すると影響は小さいようにみえますが、個々の項目については小さくない影響が生じていますので、2010年3月31日時点の調整表をもとに、IFRS導入が同社にどのような財務的影響を与えたのかを分析していきます。
IFRSの適用が損益に与えた累積的な影響を把握するために、同社のその他の資本剰余金、利益剰余金の変動額に注目すると、意外なことが分かります。同社のその他の資本剰余金、利益剰余金はIFRSの導入によって2010年3月31日時点において134億2900万円増加しています(108ページ、Q)。この増加に大きく貢献しているのが、固定資産関連(+24億6300万円)、のれん非償却(+38億7000万円)税効果(+62億4700万円)累積換算差額(+62億9800万円)です。以下にこれらの項目について解説をしていきたいと思います。
固定資産関係を把握するためには、106ページ、Aを読む必要があります。そこには「IFRSの適用にあたり、減価償却方法・耐用年数等の見直しを行ったことにより、有形固定資産−純額が2,416百万円(24億1600万円)増加しております」と記述されています。これは、日本の会計実務においては、事実上税法に従った耐用年数が採用されていますが(監査・保証実務委員会報告第81号参照)、IFRSにおいては、税法に従うのではなく、経済的耐用年数を見積もったうえで減価償却を行うこととされていることに起因すると考えられます。
従ってIFRS導入に当たり経済的耐用年数をあらためて見積もったところ、耐用年数が延びたことが想定されます。また、IFRSにおいては定額法が支配的になるということも、過去の減価償却費の減少に影響していると考えられます。上記によって耐用年数を延長し、償却方法を主として定額法に変更したため、過去の減価償却費が減少し利益剰余金を増加させていると考えられます。
その他、注目すべき点として費用処理していたファイナンス・リース2億6300万円、固定資産取得税2億2200万円、および賃借事務所退去時の原状回復費用等4億5400万円を有形固定資産に含めていること、さらに1つの固定資産をコーポネントに分けて測定するコーポネント・アカウンティングを採用(▲1700万円)していることが挙げられます。いずれも金額的な影響は小さいですが、情報の収集等の実務上の手数を考えると、これらの項目についても留意が必要となります。
IFRSにおいて、のれんは定期的な償却はされず、毎期減損テストが行われます。そのため、HOYAはこれまでに認識したのれん償却費の戻し入れを行った結果、のれんの額が22億3200万円増加しています(106ページ、B)。これに伴い利益剰余金の額が増加しています。このことから、のれんの非償却は一般に利益剰余金を増加させるということが分かります。ただし、戻し入れたのれんは減損テストの対象となるため、子会社の業績が良くない場合等の際には必ずしも利益剰余金が増加するわけではない点に留意が必要となります。
HOYAの税効果については、「未実現利益の消去に伴う税効果について、日本基準において用いられる税率で計算された金額とIFRSにおいて用いられる税率で計算された金額が異なるため、繰延税金資産が1,423百万円(14億2300万円)増加しております。また、全ての繰延税金資産の回収可能性を再検討した結果、繰延税金資産が4,032百万円(40億3200万円)増加しております」(106ページ、F)と注記されています。これについて注記から詳細は読み取りにくいですが、(1)適用税率が異なることに起因する影響、(2)回収可能性の再検討に起因する影響があることが分かります。
(1)適用税率が異なることに起因する影響(+14億2300万円)
日本基準において連結会社間取引の消去する未実現利益に係る税率は売り手に課される法定実行税率とされますが、IFRSにおいては買い手の連結会社の将来の外部売却時に適用される税率とされますので、この差異等が影響していることが予想されます。なお、2010年3月期の税効果会計適用後の法人税等の負担率は、日本基準においては23.3%、IFRSにおいては19.5%とされています。記載方法が異なるために単純な比較は出来ませんが、負担率の算出についての詳細は、日本基準は有価証券報告書の98ページ(参考リンク、PDF)、IFRSはIFRSに基づく連結財務諸表の46ページに記載されています。
(2)回収可能性の再検討に起因する影響(+40億3200万円)
日本基準においては、繰延税金資産の回収可能性の判断に当たっては、「監査委員会報告第66号 繰延税金資産の回収可能性の判断に関する監査上の取扱い」に従って行われているものと思われます。この委員会報告は、会社を5つの分類に区分して回収可能性の判断に一定の制限を加えています。従ってIFRSにおける経営者の合理的な回収判断と、同意見書に従った判断に差異が生じる可能性がありますので、HOYAの影響もこの差異によって生じている可能性があります。これからIFRSを適用する企業はこの点にも留意が必要となります。
IFRS第1号初度適用においては、IFRSへの移行に際して簡便規定をおいていますが、HOYAは累積換算差額についての簡便規定を適用しています。具体的には、IFRS移行日に係る累積換算差額をゼロとみなすことが可能であり、同社はこれを採用しています(12ページ)。具体的には、「IFRS初度適用により、IFRS移行日における海外子会社の累積換算差額3,850百万円(38億5000万円)はゼロとみなしております。また、海外子会社の一部の売却・清算に伴う累積換算差額の調整、及びのれん・在外支店の財務諸表項目の換算により発生した累積換算差額2,925百万円(29億2500万円)を計上しております」(107ページ、L)とされています。この累積換算差額の他にもIFRS第1号においては6つの簡便規定が設定されているので、これからIFRSを適用する企業は簡便規定を採用するか否かについて検討する必要があります。
以上が主としてHOYAの利益剰余金を増加させている項目ですが、以下に利益剰余金を減少させている主要な項目についても見ていこうと思います。利益剰余金を減少させている主要な項目としては、未払有給休暇(▲13億1400万円)カスタマー・ロイヤルティ・プログラム(▲10億6800万円)があります。
日本においては、未消化の有給休暇について費用を認識する実務はありませんが、IFRSにおいては報告期間の末日に、有給休暇の権利が累積する仕組みの制度であって未行使が存在する場合には行使が見込まれる部分について未払金を認識することが求められています。これによりHOYAは13億1400万円の負債の計上を行っています(108ページ、P)。これは同社の連結従業員数1人当たり約4万円と小さいものとなっていますが、賃金が低い国の海外子会社が含まれている可能性や消化率が低い可能性もあります。従って会社によっては影響が大きくなる可能性があり、注意が必要となります。
HOYAは「日本基準においては、カスタマー・ロイヤルティ・プログラムにより翌期以降にそのポイントを充当することによる物品の販売による原価相当662百万円(6億6200万円)を、その他の流動負債(未払金)に計上しておりますが、IFRSにおいては、当該カスタマー・ロイヤルティ・プログラムについて、個別に認識可能な収益の構成要素として認識し、その他の流動負債(前受金)に1,730百万円(17億3000万円)計上しております」(108ページ、P)としています。これは、日本基準においてはカスタマー・ロイヤルティ・サービスについて明確な基準がないため、HOYAは引き渡す商品の原価相当額をもって売り上げから控除し、販売費及び一般管理費として計上する方法を採用していたものと思われます。
しかし、IFRSにおいてはIFRIC13号に従って個別に認識可能な収益の公正要素として認識し、売価相当額を負債として繰り延べることが要求されるため、同方法を採用した結果として売上収益が2億8200万円増加しています(108ページ、A)。小売業やサービス業においてはポイント制を導入している企業も多いと思われますので、カスタマー・ロイヤルティ・プログラムの影響についても把握する必要があるといえるでしょう。
「日本基準においては、主に出荷基準により売上収益を認識しておりますが、IFRSにおいては、リスクと経済価値が顧客に移転した時点で売上収益を認識するため、売上収益が56百万円(5600万円)減少しております」(110ページ、A)とされています。
これに対してIFRSにおいては、物品の販売については「物品の所有に伴う重要なリスクと経済価値が顧客に移転し、物品に対する継続的な管理上の関与も実質的な支配もなく、その取引に関連する経済的便益が流入する可能性が高く、その取引に関連して発生した原価と収益の金額を信頼性をもって測定できる場合に、収益を認識しております。具体的には、所有権及び危険負担が当社グループから顧客に移転する時期に応じて、船積日、顧客に引き渡された時点、又は顧客の検収がなされた時点等で収益を認識しております」とされています(28ページ)。
また、サービスの提供については「当社グループにおけるサービス提供は、主として製品等の販売に付随して発生する修理依頼、短期間で終了するメンテナンス請負となります。当該取引については、サービス提供時に収益を認識しております」とされています(28ページ)。収益を認識するタイミングが出荷基準から主として検収基準等の所有権・危険負担が顧客に移転する時点に変わっていることについても留意が必要となります。
HOYAは、当期純利益の計算と包括利益の計算を1つの計算書(連結包括利益計算書)で表示する方法(1計算書方式)を採用しています(6ページ)。包括利益を表示する計算書には、当期純利益を計算する損益計算書と包括利益を計算する包括利益計算書とで表示する形式(2計算書方式)もあり、現行のIFRSでは、両方式とも認められています。包括利益については、日本基準においても2011年3月期より導入されるため、どちらの方式を採用するかについて1つの参考になると思われます。
当期利益 | 41,517 | |
---|---|---|
その他の包括利益 | ||
在外営業活動体の換算損益 | 5,866 | (1) |
売却可能金融資産の公正価値の変動 | 495 | (2) |
持分法適用関連会社のその他の包括利益持分 | △281 | (3) |
その他の包括利益(損失)に係る法人所得税 | △64 | (4) |
その他の包括利益(損失)合計 | 6,016 | (5)=(1)+(2)+(3)+(4) |
当期包括利益 | 47,533 | 当期利益+(5) |
IFRSの初度適用第1号であるHOYAの連結財務諸表は、今後のIFRS適用に当たって、非常に参考になるものであると思われます。同社のIFRSに基づく財務諸表からは注記量がかなり増加することや、必ずしもIFRS適用によって財務数値が大きく変化することはないということが分かります。
しかし韓国などIFRSを導入した国々では、IFRS適用により大きく財務数値が変化した企業もありますし、あくまで同社にとって影響が大きくなかったという点にも留意することが必要です。また、財務数値に大きな影響を与えなかったとしても膨大な量となる注記が必要となることや、データの収集が大変であり、あらかじめ移行日に合わせて準備をしていく必要があること等の実務上の問題点についても留意が必要となります。
いずれにせよ、IFRSの導入が与える影響は各企業のビジネスモデルや財務戦略等により異なることと思われますが、HOYAのIFRSに準拠した連結財務諸表を見ることにより、自社に与える影響をイメージしていくことは非常に有益であると考えられます。
2007年3月中央大学法学部卒業。2009年3月北海道大学大学院経済学研究科専門職学位課程修了後、同年11月公認会計士試験合格。2010年2月より仰星監査法人にて法定監査に従事。校正協力に「ベーシック税務会計I・II」(創成社)がある。
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