政府は医療DX構想「医療DX令和ビジョン2030」を掲げ、電子カルテの普及や標準化を推進しています。それ自体は望ましいとしても、医療現場はギャップを感じています。なぜでしょうか。
政府は医療のデジタルトランスフォーメーション(以下、医療DX)を急速に進めようとしています。その背景にあるのは少子高齢化の問題です。
団塊の世代が75歳以上を迎える2025年から2040年にかけて超高齢社会が続く、と厚生労働省は推計しています。高齢者の増加は医療需要の増加につながり、医療費および介護費の増大を招きます。一方、少子化は働き手不足をもたらします。医療業界も例に漏れず、看護師や医療事務などさまざまな職種で人手不足が深刻な問題となっています。
折しも2020年初頭には、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大によって、政府と医療業界はさまざまな場面で「デジタル化の遅れ」に直面しました。COVID-19の患者数把握、特別定額給付金の配布、ワクチン接種などの業務の傍らで、FAXや郵便を使ったアナログな情報共有が多数発生していました。
「2040年問題」と呼ばれる少子高齢化のリスクと、医療業界におけるIT課題。政府はこれらの問題解決の特効薬が医療DXだと考えています。医療機関同士の情報共有をスムーズにし、情報の利活用ができる環境を整えることで「無駄な医療」をなくそうとしています。
政府が推進する医療DX構想「医療DX令和ビジョン2030」は、医療現場の業務効率化と生産性向上に、どのような形で寄与し得るものなのでしょうか。
政府は医療DX令和ビジョン2030の中で「インフラ整備、情報の標準化、業務改革の取り組みを同時並行で進める」と宣言しています。具体的には、下記3項目を目標に掲げています。
「オンライン資格確認」(注1)は2021年から始まり、そのシステムも医療機関に普及しつつあります。この仕組みを拡充、再編しようというのが全国医療情報プラットフォームの目標です。資格情報だけでなく、薬剤情報からカルテ情報に至るまで、幅広い医療情報を共有できるインフラを構築しようとしています。
※注1 医療機関などの窓口で、マイナンバー(個人番号)カードのICチップか、健康保険証の記号番号などを用いて、オンラインで保険の資格情報を確認できる制度。
全国規模で情報共有基盤を構築するためには、セキュアなネットワークと、患者情報をひも付けるための「鍵」が必要です。鍵になるものがマイナンバーです。
このインフラの目的は、医療機関同士の情報共有に伴う非効率を改善するとともに、そこに蓄積したさまざまな情報の二次利用を促進することです。そのため、情報を利活用するに当たってのルール整備をする必要があるのです。それが2つ目の「電子カルテ情報の標準化」です。
医療行為にまつわるさまざまな情報は、基本的に全てカルテに集約されます。ただし、日本の電子カルテ普及率は5割前後にとどまっています。厚生労働省が公開するデータによると、2020年時点の普及率は一般病院で57.2%、一般診療所で49.9%でした。電子カルテを扱うベンダーは複数あり、そのせいもあってかシステム仕様の標準化は進んでいません。ベンダーをまたいでデータを交換する規約や技術はあるものの、現時点では「異なる電子カルテシステムの間で全てのデータをやりとりする」という理想には程遠いのが実情です。
だからこそ、必要な医療情報を全て共有できる基盤を作るために、官民一体となって電子カルテ情報の標準化を進めようとしています。政府は全ての医療機関に電子カルテを普及させることを目指し、「標準型電子カルテ」の開発も検討しています。政府はこれを「極めて重要な国家事業」と言及し、2030年までに100%の電子カルテ普及を目指すとしています。
診療報酬とは、いわば医療サービスのメニュー表であり、医療行為に応じた価格(医療費)を政府が定めています。診療報酬の内容は物価や賃金水準の変動に合わせて調整できるよう、通常2年に1回の改定があります。診療報酬の改定後に、その情報を全医療機関に周知するプロセスは、改定内容が決定してから約2カ月のうちに、レセプトコンピュータ(レセコン)ベンダーが新しいプログラムを配布するというものです。そのため、このシステム更新作業は医療機関とレセコンベンダーの双方にとって大きな負担となっています。
この現状を改善する意図で、診療報酬算定と患者の窓口負担金計算に使う全国統一の共通的な電子計算プログラム「共通算定モジュール」を官民連携で作成しようとしています。政府主導で診療報酬算定と請求に関わるシステムを構築することで、これまでベンダー各社が個別ルールで実施してきた“診療報酬改定のシステム更新作業”を1つにまとめ、業務効率を改善しようとしているのだと考えられます。共通算定モジュールを構成する要素は以下の4つです。
共通算定モジュールを組み込んだ「標準型レセコン」の提供も政府の検討項目に含まれています。これは前述の「標準型電子カルテ」と一体的に提供する計画もあるようです。この他、システム更新作業に時間がかかることを考慮して、合理的な作業期間が確保できるよう診療報酬改定の施行時期を数カ月後ろ倒しにすることも検討が進んでいます。
政府が描く医療DXの青写真について、医療現場と国民は大きなギャップを感じています。マイナンバーカードと健康保険証の統合(健康保険証の廃止)の延期を求める声は、その象徴といえます。
医療現場は、政策そのものに反対しているわけではなく、その進め方に問題があると考えているように見受けられます。政府はこれまで政策遂行のために“あめとむち”を組み合わせてきました。国民にマイナンバーカードを普及させるためにマイナポイントという報酬を用意したり、医療機関にオンライン資格確認システムを普及させるために診療報酬上の加点を付けたり、というのが“あめ”の政策です。その一方で、オンライン資格確認システムの導入を2023年4月に全医療機関に原則義務化し、2024年秋には健康保険証を廃止という強制的な政策が“むち”といえます。
こうしたあめとむちの政策誘導は、これまでは有効でした。しかしこれは政府と国民の信頼関係があってこそ成り立つ、という大原則は忘れてほしくないものです。政府には「医療現場を変革し、国民の誰もが充実した医療サービスを受けられるようにするために、医療DXは必要不可欠なのだ」という原点を繰り返し丁寧に説明するような、“マインド面のケア”を重視してほしいと考えます。
日本の医療制度は、受診する医療機関を自分で選べる仕組み「フリーアクセス」の原則にのっとり、全国各地で医療サービスを低価格で受けられます。これは諸外国の医療制度と比べても誇れる制度といえます。政府主導の医療DXで医療現場が混乱し、システムの不具合が生じて病院運営が停止してしまうようでは、フリーアクセスのメリットも脅かされます。国民にとっても急激な変革はデメリットになり得るのです。
一橋大学大学院経営学修士(MBA)コース修了。医療コンサルティング大手に入社。2002年に医療IT機器の常設展示場「MEDiPlaza」を立ち上げ、企画運営、スタッフ指導、拠点管理などを担当。2016年10月に医療ICT専門コンサルタントとして独立し、MICTコンサルティングを設立。医療機関向けシステムの開発アドバイス、導入アドバイス、医療IT人材の育成などを担う。過去2000件を超える医療機関へのシステム導入の実績から、公的団体を中心に講演を多数実施している。現在、医療事務・クラーク専門学校の非常勤講師も務めている。
「医療業界の人にとっては周知の事実だがITコンサルタントには認知されていないこと」またはその逆の「ITコンサルタントにとっては周知の事実だが、医療業界の人にとっては認知されていないこと」を取り上げます。両者の認識の違いが生じる理由を探るとともに、解決策を考えます。
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