シンガポール国立大学保健機構(NUHS)は、スーパーコンピュータ「Prescience」とAI技術を活用して、ドキュメント作成支援から医療行為の高度化まで、さまざまなアイデアを実現しようとしている。
シンガポール国立大学保健機構(NUHS:National University Health System)は、大規模言語モデル(LLM)を利用して、ドキュメント作成やデータ分析など、医師の業務の効率化と変革に取り組んでいる。
NUHSはシンガポールに3つある公的な「医療クラスター」(注1)の一つだ。地域全体に医療サービスを提供するだけでなく、地域の医療ニーズに応える技術・サービス開発や、次世代の医療従事者の育成に携わっている。NUHSの傘下組織は、医学教育機関や研究機関、急性期病院、国立の高度医療専門センター、地域の中核となる総合病院、診療所、薬局など、多岐にわたる。
※注1 大規模病院や、著名な医学部を抱える大学、または医療機関が所在する自治体を中核とした、医療、介護、産業の組織複合体。
NUHSは「RUSSELL-GPT」というLLMを構築した。RUSSELL-GPTのトレーニングには、シンガポール国立スーパーコンピューティングセンター(National Supercomputing Centre Singapore。以下、NSCC Singapore)のスーパーコンピュータ「Prescience」を用いた。NUHSは2021年12月にNSCC Singaporeと協力協定を締結し、Prescienceを医療や医学研究に導入している。
RUSSELL-GPTによって医師の業務効率化を見込んでいるものは次の通りだ。
医師はRUSSELL-GPTに、症状や診療ガイドラインに関連する質問をすることで、その回答を業務に役立てられるようになる。RUSSELL-GPTを使って、尿路感染症の「一般的な経過」と「重症度」を予測する研究も進行している。
NUHSは傘下組織にRUSSELL-GPTを順次展開する計画を進行している。NUHSグループの最高技術責任者(CTO)を務めるニアム・キー・ユアン氏は「PrescienceでトレーニングされたRUSSELL-GPTは、地域の医療機関の知見を融合させ、医師と看護師の管理業務を減らしてくれる」と説明し、「医療従事者と患者の両方に恩恵をもたらす可能性がある」と語る。
NSCC Singaporeの企画・エンゲージメント戦略ディレクターを務めるバーナード・タン氏は「Prescienceの運用開始は時宜にかなっていた」と付け加える。近年は「生成AI」(ジェネレーティブAI)技術への関心が高まっているからだ。
「Prescienceがあれば、医療を変革するツールを開発できるようになる。その結果、地域医療の提供効率が向上するだけでなく、医学研究機関にも大きなメリットをもたらす。最終的には、シンガポールの患者が恩恵を得られるようになる」(タン氏)
歯科領域では、口腔内の3次元(3D)スキャン画像や、歯科パノラマ断層撮影(上下の顎のエックス線写真)を使用した機械学習(ML)モデルのトレーニングにPrescienceを活用している。
MLモデルのトレーニングに活用するための学習データとして、匿名化された患者(子どもから成人まで)の3D口腔内スキャン結果400点を収集している。同様に、匿名化された患者の歯科パノラマ断層撮影結果200点も収集している。大部分は歯茎に問題を抱えている患者の画像だ。
このMLモデルによって実現が期待されているのが、歯式(チャート。歯の位置を示す番号および図のこと)の3Dモデル生成だ。歯の状態と口腔内の位置関係を3Dで表現することで、従来は歯科医が手作業で作成していたチャートよりも作成効率と可視性が向上する。これまで歯科模型の作製には約1日掛かっていたが、3Dモデルならば患者の口腔内をスキャンして治療に必要な情報を収集するのは数分で済む。
シンガポール国立大学口腔衛生センター(NUCOHS:National University Centre for Oral Health, Singapore)で補綴(ほてつ)歯科のシニアコンサルタントを務めるピーター・ユー氏はこう語る。「歯科治療では、顔の構造、解剖学的分析、再建、治療後の歯の状態を3Dで把握する必要がある。Prescienceにはそれを実現するだけのグラフィックス処理能力があり、このアプローチに適している」
NUCOHSで矯正歯科のコンサルタントを務めるウィルソン・ルー氏は、こうしたAI技術に基づくツールは、患者の歯や歯茎の状態について、歯科医が客観的な臨床判断を下すのに役立つと考えている。「特に歯周病の予測モデルは、大規模な集団の単位で導入される可能性がある。そうすれば患者の歯周病発症リスクを低、中、高に分類し、発症前に医学的予防介入を推奨できるようになる」(ルー氏)
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