大解剖、PayPalの開発現場【後編】
4000人がアジャイル開発を始めたPayPal、技術者が考えたこととは
米PayPalが実施したアジャイル手法への全面的移行では、4000人のITスタッフと製品担当者の仕事のやり方が変わった。この改革はどのように達成されたのだろうか。
どんな業界であれ、競争優位を維持するのは容易ではない。オンライン決済処理企業であるPayPalにとって、競争優位を維持するためには、迅速で実用的な反復型のソフトウェア開発手法をIT部門と製品部門の4000人の従業員に受け入れさせる必要があった。
本連載の前編「やり手副社長が主導したPayPalのアジャイル開発移行、その凄腕を見る」では、PayPalで技術業務運用を担当するクリステン・ウォルバーグ副社長が、ウォーターフォールモデルからアジャイル手法への移行を決めた理由、そして新しい働き方を支える4つの要素について説明した。後編で同氏は、4000人の従業員を対象とした業務改革に要したコストについて説明。これらのコストには、コーチを雇い入れる経費や、開放型のフロアプランを設計するための経費も含まれる。ウォルバーグ氏は、この改革の成果の1つとして、顧客向けの新製品がかつてないペースで開発されるようになった点を挙げる。
――こうした大規模な改革では、短期ベースでのROI(投資利益率)を算出できない場合があります。今回のアジャイル改革を立ち上げるためには、どれだけの資金とリソースを投入する必要がありましたか?
ウォルバーグ氏 全社から集めた110人余りのメンバーで構成される改革チームを結成しました。各メンバーはフルタイムではなく、それぞれの仕事を抱えながら協力してくれたのです。110人の従業員を新たに雇い入れたわけではありません。この改革を推進する熱意にあふれた有志が集まったわけです。
これとは別に、フルタイムでこのプロジェクトを担当する約10人の専任スタッフのチームもありました。彼らは基本的に、どのような社内改革に対しても投入される社内リソースであり、今回の改革でもこうした社内リソースを投入したというわけです。彼らは最後までこのプロジェクトを担当することになります。
直接的なコストについていえば、まずオフィスの改装に必要な費用が約200万ドルでした。またアジャイル手法のコーチを外部から雇う経費も必要でした。これらのコーチは私たちが付き合っているサードパーティーのパートナーから派遣された人々で、2013年はコーチ費用として約500万ドルを支出しました。これらは直接的なコストにすぎません。加えて、改革を遂行するために社内の従業員を動員するための間接コストが掛かりました。
――この改革をどうやって達成したのですか?
ウォルバーグ氏 全体的な規模でいえば、約4000人の従業員が対象となりました。この4000人は技術部門および製品部門の従業員です。2週間でこれらの従業員全員を個々のスクラムチームに再編成しました。これらは機能横断型のスクラムチームで、先に述べた製品ラインに対応しています。結成された各チームは、既に進行中の仕事について決断をしなければなりませんでした。その仕事を従来の方法で完了するのか、アジャイル方式を利用して継続するのか、それとも棚上げして新たなプロジェクトに取り組むのか、という決断です。新規のプロジェクトに着手する場合は当然、アジャイル方式を採用することになるわけです。既に工程の4分の3ほど進んだ仕事であれば、従来の方法で完了するのが妥当な判断だったと思います。まだ半分も完了していない仕事の場合は、アジャイルに移行して継続するのが妥当だったでしょう。
各チームに対し、2013年5月から次のメジャーリリースまで基本的に2カ月間の猶予期間を与え、7月以降は全チームが新しい方式で仕事をするよう指示しました。つまり、この改革を遂行するに当たっては、各チームがそれぞれ最善の方針を決定してよいという移行戦略を採用し、その上で移行に必要なツールを彼らに与えたのです(PayPalでは「Rally」を米Appleプラットフォーム用のツールとして使用。構想や計画をRallyで管理することで作業を効率化できるという)。
従業員との接点もたくさん用意しました。チームを指導するコーチを現場に配置するともに、全てのチームが新しい仕事のやり方に移行するまでビデオトレーニングや個人トレーニングを繰り返し実施しました。
――4000人の従業員の中には、「このやり方は私にはとても無理だ」と辞めていった人も多かったのではないですか?
ウォルバーグ氏 辞めた人はいません。確かに、この改革を素早く受け入れた人がいる一方で、多少の抵抗を示した人もいます。PayPalは従来トップクラスの人材を雇い、これらの人材にとって魅力的な環境を提供することに力を注いできました。今回の改革もこの方針に沿ったものなのです。技術的な視点で進めているその他の改革は、この方針の第2の部分です。この部分では辞めた人もいます。こうした人員流出はやむを得ないと考えています。当社の環境が自分に合わないと感じる人が、自分に合った職場を見つけようとしているわけですから。こうした人々が他の道を選ぶのは残念なことだとは思いません。
われわれが必要としているのは、当社で働きたいという人、当社のミッションを理解している人、顧客としっかりとつながっている人、そして当社の仕事に意欲的に仕事に取り組む人です。現在のPayPalのすごいところは、こういったタイプの技術者を引き付けているということです。アジャイル方式、開放的なフロアプラン、共同作業環境、最新の技術、これら全ての面において、ベンチャー企業にいるのと同じようなやり方で仕事をすることができるからです。われわれは技術者の意欲を高めるような最先端の技術の導入および開発に真剣に取り組んでいます。当社の開発サイクル時間は数カ月という単位から2週間のサイクルへと大幅に短縮されました。これは優秀な技術者が働きたくなるようなダイナミックな環境だと思います。
――こうした大規模な改革は、何らかの危機によって促されることが多いのではないでしょうか。経営トップが「何とかしなくてはならない」と言うに至った背景には、どんな問題があったのでしょうか? 競争圧力ですか、決済業界に波乱が起きていたからですか、それとも新しい決済方法の登場に不安を感じたからですか?
ウォルバーグ氏 改革に踏み切れたのは、前社長のデビッド・マーカス氏と、現在の経営陣のおかげです。危機が外から押し寄せる前にPayPalを改革する必要があったのです。この業界の競争相手は増えていますが、当社は素晴らしい顧客基盤を持っており、彼らは非常にロイヤルティーの高い顧客であることに気付きました。現状に満足して、生き残るための努力を怠れば、こうした優位性が失われてしまいます。われわれは生き残るだけでなく、業界をリードし、決済方式および取引環境全体の改革を目指しているのです。そのためには、これまで通りのビジネスを続けていくだけではだめです。
改革のコスト面について質問を受けましたが、私はもう1つの側面を強調したいと思います。「われわれは何を得たのか」ということです。われわれはこの18カ月間で58種類の製品をリリースしました。これは当社がこれまでリリースした製品の数よりも多く、過去数年間でリリースした製品数をはるかに上回っています。当社の顧客に新製品を次々と届ける能力がついに開花したのです。
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