2020年03月11日 08時00分 公開
特集/連載

GoogleとFacebookを当局が規制するのは本当に正しいのか?規制の正当性とは何か

市場が独占状態にあることは好ましくない。市場を独占する支配的な企業は規制する必要がある。それは誰の利益のためなのだろうか。GoogleやFacebookによって不利益を被っているのは誰なのか。

[Tim Worstall,Computer Weekly]

 英Competition and Markets Authority(CMA)(訳注)は、オンライン広告の大手GoogleとFacebookに狙いを定めている。ここでの問題は、市場支配力や独占状態に対する規制の正しい対応とは何かという最大の議論が始まることだ。

訳注:政府機関で日本の公正取引委員会に相当する。

 この経済的(ことによると政治的)議論のどちら側に立つかによってその主張は分かれる可能性がある。つまり「何もすべきではない」とするか「その企業を解体すべきだ」とするかだ。もっと言えば、何もすべきではないどころか何かを行うことが害になることもある。

 この議論は、どちらの側に立つかによって変わる。企業側に立てば、誰もが公平な扱いを望むだろう。消費者側に立てば、現状が満足できる状態ならばその状況を許すだろう。フリーの取引業者の立場にあり、どちらの側にも立てるとしたらどうだろう。あるいは政治的説得力や経済的説得力があり、どちらの側にも立てるとしたらどうだろう。その場合、これは難しい問題になる。

 一般論として、独占状態になることには反対だ。実社会では、独占状態になった企業は生産量を減らして価格をつり上げ、利益を増やすだろう。この状況は明らかに消費者にとって有害だ。それが反対の理由だ。

 「構築された」独占状態には反対だ。こうした状態は消費者にとって有害で、参入を試みる全てのサプライヤーにとっても有害になる。ここで言う「構築された」とは、市場に参入する道を閉ざそうと障壁を設けることを意味する。こうした構築状態は恐らく、法の制約や政治的行為を通じて行われる。縄張りへの侵入を全て締め出そうとするマフィァの古い手口が使われるかもしれない。

 自然に独占状態が生まれる状況があることは否定しない。電力供給網や下水設備がその例だ。ある場所の周辺に電線や下水路が2組ある意味はない。そこに独占状態が生まれるのは仕方がない。だが、その市場支配は消費者を傷つけるために使われることはない。

 こうしたことから広告大手についての意見の食い違いが始まる。これら広告大手が競争相手を意図的に締め出して押さえ込んでいるのであれば、確かにそれ以上のことはやめるべきだ。その広告大手が独占状態を構築しているのであれば、解体される可能性がある。

異なる状態

 だが「完全な独占状態ではない」としたらどうだろう。「完全な独占状態ではない」には2つの状況がある。一つは、独占状態になっている企業が現時点で他社より単純に優れているとしても、その市場にサービスを提供しようとしている他社と依然競争している状況だ。その時点では、競争可能な独占状態にある。こうした状態での一般的な経済策はない。それは、その市場に支配力を有する企業が競争を恐れてその支配力を行使する懸念はないためだ。もしも支配力を行使すれば競争が起きる。そうなると、競争に負けて特権的立場を失う恐れもあるだろう。

 こうした状況が起きた歴史的事実がある。Standard Oilは確かに市場支配力を持ち、その支配力を行使して多くの競争に打ち勝っていった。だがその競争によって市場価格がどんどん下がり続け、競争は起きなくなった。これは消費者にとってはメリットがある。ならば懸念する必要はあるだろうか。

 もう一つの考慮点は、広告市場がGoogleとFacebookに集中しているのは自然な流れであることだ。ここはコンピュータの世界だ。ネットワークの効果はよく知られている。あるOSの人気が高まる。すると多くのプログラマーがそのOS向けにプログラムを作成する。その結果、そのプログラムにアクセスするOSユーザーを引き付ける。OSのユーザー数が増えれば、そのOS向けにプログラムを作成するプログラマーが増える。そういう世界だ。

 広告オークション企業は、ある経済モデルによく合っている。それは、ただ一つの市場、ただ1社のブローカーの存在が効率的であることを示唆する経済モデルだ。そのため、1社の検索広告企業または1社のディスプレイ広告企業が市場を独占するのは自然の結果だ。これが真実なら、その企業を解体しても意味がない。ネットワーク効果によって独占状態が効率的な結果になるならば、同様の企業が幾つか存在する限り、その中の1社が市場を独占する規模に成長することになる。

 こうしたことから、技術業界で言う「ちょっと厄介な」立場に追い込まれる。独占状態が自然の結果となる市場でできることはあるだろうか。これが相反する立場を生み出す。

スミス対ケインズ

 「消費が全てだ」というアダム・スミスの格言がある。消費者が満足している限り、何もする必要はない。独占状態が問題になるのは、市場での立場を行使して過剰な利益を得ている場合のみだ。

 市場を支配する力が存在するだけで、規制が必要だという考えもある。大まかに言えば、ここでこういう状況(デジタル広告だけでなく、独占状態が起きる全ての状況)への対策として何をすべきかの意見が分かれる。もちろん、長い目で見ればあらゆる技術が変化する中で独占状態が続くことはない。だがケインズの言葉を借りれば、長い目で見ていると皆死んでしまう。

 お察しの通り、本稿はスミス寄りの立場を取っている。だが、単にはるか昔に廃れた学者の考えに執着しているわけではない。規制や企業の解体にはコストがかかる。自然の流れが独占状態なら、小規模製造業者にこだわることは製造の非効率を意味し、製品は高価になる。

 規制当局の権威と財力から分かるように、規制自体は明らかにコストがかかる。では、広告大手が市場に対して持つ疑いようのない力を規制の対象としなければならない時点をどのように判断するのだろう。

 本稿の提案は、消費者にとって有害かどうかを判断材料にすることだ。利益率が大きいことはネットワーク効果の自然な流れなので、判断材料として十分ではない。その点では、消費者にとって有害となる証拠として利益を指摘しているCMAの見解には同意できない。

 市場介入を正当化するには、消費者にとって有害だという実際の証拠が必要だ。無償で何かを得ることによって消費者に害があることを示せる直接的な証拠は提示されていないため、介入の正当性は明らかではない。

 この点では、世界の大半は本稿の見解に同意していないと言わざるを得ない。だが、違いはその結論にある。その結論に至るまでの論理はおおむね同意されている。独占状態と市場支配力は悪いことだ。それについて何かを行う必要がある。ただし、独占状態も市場支配力もない場合は除く。

 どうすればその違いが伝わるだろう。その違いを伝えることができる場合のみ、解体や規制が正当化される。

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