「オープンソース」という呼び方さえないはるか昔の1980年代から、オープンソースソフトウェア(OSS)は利用されてきた。当時は、開発者が「かゆいところに手が届き」、仲間と共有したい創造的なソリューションを発案することがほとんどだった。
OSSにとって重要なことは物事を「適切」に成し遂げることだった(「適切」の定義は開発者によって異なる)。それはスケジュールや事業価値、金銭を得ることよりも大切だった。やがて、志を同じくする人々がコミュニティーを作り、(ほとんどの場合)1人の開発者では手に負えない大きなプロジェクトに取り組むようになっていく。
多くの場合、成果物は非常に優秀なものだった。それは時間の制約がないことと、仲間のレビューによるところが大きい。アイデアだけがものをいい、経営陣が口を挟んで早急な決断を強いることのない実力社会だったことも理由の一つだ。
繰り返しになるが、OSSの当初の動機は利益ではなかった(今でも多くの開発者にとってはそうだろう)。重要なのは、できる限り優れたソフトウェアを開発すること、そして新しいアプローチ、アーキテクチャ、言語、プロジェクト管理戦略など、成果物を高め得る全てのことに挑戦する自由だった。
多くの場合、こうした取り組みに貢献するのは、日中は会計ソフトウェアなどの開発に従事するプロの開発者だった。こうした開発者にとって、夜間や週末に時間を費やしてOSSのメッセージングシステム、Webフレームワーク、NoSQLデータストアの完成を目指す方が楽しかった。忍耐力とエネルギーが許す限り、何度でも失敗とイノベーションを繰り返せるオープンソースの自由を満喫していた。
現代のオープンソースは、より大きな考え方で捉えられることが多い。ソフトウェアを世界中で共有し、全ユーザーは手に入れたメリットに対して貢献を返すべきだという考え方だ。
貢献することなくオープンソースを利用するSaaSやクラウドベンダーの台頭は「分かち合い」の精神を持つ人々を明らかに動揺させている。だが、それはオープンソースを本当に損なっているのだろうか。
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